啓二に連れられて入った彼の部屋は、黒と白とシルバーで統一された、落ち着いた雰囲気だった。アクセントに、青が点在している。床は前面フローリングで、入ったところはリビングになっていた。部屋の中央にはガラスの四角いテーブルが、二つの黒いソファーに挟まれて置かれていた。上にはテーブルの面より小さめのクロスが敷かれている。窓のそばには黒い机、オーディオコンポ、それと直角の壁にはパソコン、その前に図面を書くための製図機があり、反対の壁にはテレビや難しそうな書籍の収まった本棚、入口横の、キッチンに近い壁にはガラス戸棚や電話台などがある。それらが整然と並んでいた。光樹のそれとはまた違う、大人の部屋・・・。清太は以前、最初にここに入った時に、そんな印象を受けた。
 この部屋に脚を踏み入れるのは、初めてではなかった。不本意に彼と逢う時にも、ここを訪れたことが数度ある。――今は、不本意だろうか、それとも・・・?

「夕食は、済ませたか?」
 制服で、教科書などを入れた青いリュックのほかに、サッカー部の練習着が入ったままの黒く大きなバッグを提げた、横の清太の肩に腕を回したまま、啓二は聞いた。清太は首を横に振る。
「学校終わって・・・そのまま来たから。あんたが、放課後にベルで呼び出すから・・・」
「じゃあ、何か作るか」
 紺色のスーツを肩から落としながら、啓二は言う。脱いだそれを持ち、ドアを開けてワードローブがある隣の寝室へと彼は向かった。
「いいよ。すぐ・・・帰るんだし」
 半分開け放たれた、濃茶色をした木作りのドアに向かい、清太は言った。
「そう言うなよ。せっかく来たんだし、ゆっくりしていけよ。練習で、疲れてるんだろ?」
 上着を脱ぎ、ネクタイを外した格好で、啓二は再び現れた。薄青色のYシャツのボタンを、二つほど外してある。
「それをそのへんにでも置いて、まあ、座れよ」
 再び清太のほうへ近付き、二の腕を引いてソファーのところへと導いた。
 清太は言われるまま、リュックとバッグの肩紐を肩から外してソファーの端に置いた。その横に、自分も腰を沈める。

 ふとテーブルの上を見ると、濃い青色をした、小さなガラスの入れ物があった。
「今軽く作ってやるから、待ってろ」
 啓二はキッチンへ入った。
「啓二さん・・・これ何?」
 入れ物を手に取ってみながら、清太は首をキッチンのほうへ傾けて聞いた。
「ああ、オイルウォーマー・・・いや、アロマポットと言ったほうが分かりやすいかな。最近始めたんだ。・・・それからお前をここへ呼ぶのは、初めてだったかな」
 啓二は複雑な表情をしてみせた。
「アロマテラピー・・・?」
 清太はそんな啓二の顔から目を逸らした。
「そうだ。気分が落ち着くんだ。家で仕事する時には、集中力がつくものを焚いてる」
 それを聞き、清太は製図機のほうへ目をやった。机の横には、図面を入れるための黒い筒のケースが何本か、長細いスチール缶に収められていた。こんな、色に目が眩んだ男でも、ちゃんと仕事をする時があるのだ・・・。

「なんで、こんなの始めたの・・・?」
 普通は女がやるものなのに、と少年は思っていた。ガラス瓶の中には、火の灯っていないロウソクが入っているようだ。瓶には花か草のような模様の切り込みがあり、その上に、同じ色の皿が載っている。
「おかしいか? 大人の男がやったら。・・・お前が・・・お前が、いつもそばにいないからだ」
 何かを炒める鍋の音をさせながら、啓二は呟く。
「お前がそばにいないと、俺は気が狂いそうになる。だから正気を保つために、どうしても必要だったんだ。・・・お前が別れるなんて言う、少し前だ」
 震えた声でそう語る啓二に、やはりこの男はどこかずれている、と清太は思った。心が、病んでいる。――彼をそうさせたのは、自分なのかもしれないのだが。いや、紛れもなく自分の、せいだ・・・。清太は瓶をそっとテーブルに戻した。

 無言の数分間が過ぎると、啓二ができあがった料理を二皿、テーブルへと運んできた。それを置くと、木の食器に入れられたサラダをこれも二人分、置く。料理はカレーピラフのようだった。
「悪いな。昨日の残り物で、なんとか作った。・・・さあ、食べな」
 無感情に啓二は勧め、スプーンを少年に手渡す。啓二も向かいのソファーに座って、食べ始める。
「・・・いただきます」
 清太が食べ始めたのを確かめると、途中で席を立って、啓二はグラスを二つガラス戸棚から取ってきて、冷蔵庫からは白ワインを取り出してきた。
「だめ、啓二さん。僕、飲めないよ」
 未成年だから、と続けて言おうとした清太を、啓二は遮った。
「いいじゃないか。今は二人だけなんだ。少しだけなら、飲めるだろ?」
 言いつつ、彼は瓶を傾けて二つのワイングラスに中身を注いだ。その、螺旋状に注がれる線を、清太は無言で眺める。
「再会の記念だ。・・・この間は、そんな余裕もなかったからな」
 啓二は乾杯のつもりで、一人だけグラスを宙に掲げた。清太は掲げなかった。啓二の顔をわずかに覗き込むだけで、グラスをゆっくりと口元に向けて傾けた。


 食事が済み、食器を啓二が洗い終えると、彼は部屋の明かりを少し落としてガラス戸棚の戸を一つ開け、その1段に集められた遮光瓶のうち、いくつかを取り出し、テーブルに置いた。
 先ほどの小さな青いガラス瓶の、上に載っている皿を持ち、キッチンで水を注ぎ、一旦テーブルの上に置く。中の白く短いロウソクにマッチで火をつける。火が芯に移るのを確かめると、皿を自分の近くに寄せる。
「サンダルウッドを6、ローズを4、イランイランを1・・・」
 そう言いながら啓二は、いくつかの遮光瓶から、皿に入った水の上にそれぞれ4、5滴ずつ落としていった。その様はまるで、媚薬を作る魔術師のようで、清太は空寒くなった。落とし終えると、啓二は皿を青い瓶の上に載せた。
「・・・これでいい。あとは部屋中に香りが広がるのを待つだけだ」
 啓二の言葉通り、やがて不思議な甘い香りがガラスの皿から立ち上ってきた。
「こうやって、下からロウソクで温めて、香りを作るんだ。上の水が蒸発したら、また水を注ぐ。このオイルで、香水なんかも作れるんだ」
 瓶を眺めながら、啓二は説明する。瓶の横に開けられた切込みは、ロウソクの火を絶やさないための、空気を入れる役割を果たしているのだろう。
 香水・・・。そういえば、彼のスーツや体から、甘い香水の香りを嗅いだことがある。自分で作った香りだったのか・・・。

「さて・・・シャワーでも浴びるか。お前も来るだろ?」
 清太はすぐには答えなかった。香りを立ち上らせる小さな瓶を、じっと眺めている。
「練習で体動かしたんだろ。入りたくないか?」
「・・・入るよ」
 清太がソファーから立ち上がりかけると、その腕を啓二は取っておもむろに抱き寄せた。
「啓二さん・・・」
 戸惑って、少年は青年の肩のあたりで声を出す。
 少し離すと、啓二は清太の左頬に右手をそっと当てた。
「今日もきれいだ・・・」
 少年の瞳を見つめ微笑みながら、彼は囁いた。
「嬉しいぜ・・・。お前が俺を選んでくれて・・・」
 そのまま、口付ける。舌も、からませてきた。
 戸惑いながらもそれを受け入れた後、清太は目を逸らして言った。
「べっ別に・・・あんたを選んだわけじゃないさっ。光樹とも別れるつもりはないし・・・」
「ほー・・・」
 少年の手を引きながらバスルームへと向かい、啓二は声を漏らす。

 互いに服を脱ぎ終え、バスルームに入ると、啓二はシャワーの湯を上から注がせたまま、清太の後ろへ回った。左手を彼の胸のあたりに滑らせる。
「そんなこと言ったって・・・俺が好きなのは事実だろ? 好きだから寝るんだろ?」
 いつもの口調に戻った彼に、この男の本性はやはりこっちなのだ、と清太は気分を悪くした。食事を作ったりして優しさを見せても、この後は自分の体をむさぼるつもりでいるのだ。
「相変わらずこっちは正直だな・・・」
 少し持ち上がっている少年のものに右手を伸ばし、さらに下から上向かせた。
「ばかっ・・・!」
『また触ってくるんだから・・・』
 すでに彼の欲望が燃え始めていることを、清太は感じ取った。
「なっ、何すんだよ・・・!?」
 添えられているだけだった啓二の手は掴む形に変わり、清太のものを刺激し始めた。
「あっ、嫌・・・。ああ・・・」
 その動きに、少年は感じ始めてしまう。湯は二人の肩に注ぎ続ける。
「や・・・め・・・」
 息をつきながら、やっとのことで清太は言いかけた。
「やめるか?」
 啓二は意地悪い感じで、手の動きを緩めずに聞く。包んでいる相手のものは、徐々に熱を持っていく。
「ないで・・・」
 快感が中断されることを望まない清太は、続きを呟く。


The Aroma Of Him