あのドアを開けてから、どのくらいの時が経ったのだろう。今は固く閉ざされている、そのドア。
 眠らずに少し休んで、彼に促されて身を起こした時、僕はその白く四角いものを何気なく見た。
 時計を見なくなった僕らには、二人の感覚と闇の深さ、月光の明るさだけが 時の移り変わりを告げるものだった。闇はまだ濃い。夜明けには遠いのだろうか・・・。
「おいで・・・」
 ベッドの上に座り、脚を開いた彼が、優しく囁いた。
 ためらうことなく、僕は彼と向き合う形で上に乗り、彼に支えられた。
 彼が入ってきた時、一陣の風が、二人の間に吹きぬけた。先ほど、部屋が暑いからと、窓を開けたのだ。そのまま、閉めるのを忘れていた。そんなに大きくは開いていないけれど、カーテンがふわりとはためいていた。
「あ・・・閉める?」
 僕を抱えながら、光樹が耳元で言った。
「いいよ・・・だって・・・無理でしょう?」
 僕は彼の動きを助けながら答える。
「そうだね」
 言いつつ、より深く僕を愛する光樹。
「あっ・・・!」
 思わず僕は、体をはじかせた。
「ね・・・キ、キスして・・・」
 僕が細く囁くと、彼は応えてくれた。
 僕は、繋がりながらのキスが好きだった。全身で、彼を感じることができるから・・・。
 またひとつ、風が入ってきた。それは二人には、心地よい風だった。

 僕らは互いを求め合って、相手をきつく抱きしめた。僕は、光樹の髪に指をからませた。その間も、唇は離さなかった。
 こんな暗闇の中でしか、自分に素直になれない。日の光の下(もと)では、自分に嘘をつかなくちゃいけない。好きな人の名前も叫べない。僕たちは、月の光の住人だった。
 光樹の肩を見ると、背中から浴びた月光を受けて、汗の雫の一つ一つが光を湛(たた)えて、暗闇の中に光っていた。僕の肩にも、同じことが起こっているのだろう。

 いつの間に眠ってしまったのだろう。僕は眠りについた瞬間を、覚えていなかった。夢の中から夢の中へ陥ったからだ。まぶたの向こうに、光を感じた。遠くでは波の音、すぐそばでは静かな息遣いが聞こえる。
 僕は時々、ほんの少しまどろんだ後、目が覚めたら彼――光樹がいなくなっているのではという不安にとらわれることがあった。でも、今はそばに彼の存在を感じる。安心して、僕はゆっくりと目を開けた。
 部屋の中はカーテンを通して、朝の光に包まれていた。天井に、そのカーテンの上部から漏れた光が、窓枠の形を、長い影で教えてくれていた。影が、揺れている。天井からカーテンに目を落とすと、まだそれは昨夜同様に、はためいていた。

 僕の胸の上には、彼の片腕が載っていた。その体温を感じる。彼はうつ伏せで、こちらに寝顔を見せていた。初めて見る、彼の寝顔。その背中に、光が落ちている。月の光よりも明るく温もりを持った、朝の光。
 僕は彼を起こさないよう、載っていた腕をそのままにして、体を反転させ、自分も横向きになろうとした。だが、肩が当ってしまい、彼の右腕は二人の間の、シーツの上に落ちた。起きちゃうかな、と思ったが、彼はまだ寝息を立てている。ほっとして、彼と向かい合い、しばらくその寝顔を見つめた。
 男らしい、真っ直ぐな眉。彫りの深い、目元・・・。伏せられている睫毛を、僕はかわいいと感じた。赤茶けた、ウェーブがかった髪の縁の部分は、朝日を受けて金色に輝いている。その髪に、手を上げてそっと触れてみた。細くて、柔らかいけれど、海で焼かれたせいか、毛先が少し傷んでいる。何度か、なでてみた。

「ん・・・」
 その時、彼が目を覚ました。彼とまともに目が合って、僕の手は止まった。恥ずかしさで、手を髪から離した。と、その手を、先ほどシーツの上に落ちた彼の手が握った。彼は横向きのまま枕の上で、くすっ、という感じに微笑んだ。体を動かし、僕を抱きしめてきた。
「昨日、どっちが先に寝たか覚えてる?」
 光樹が言った。
「え・・・分かんない」
 僕は彼の腕の中で答える。顔は、彼の胸のあたりにある。
「君が先でさ、あんまり寝顔がかわいいから、ずっと見てたら眠れなくなっちまったんだ、俺」
 この時僕は、真っ赤になっていたと思う。
「やだ・・・っ。じゃ、いつ寝たの?」
「明け方かな?」
「じゃ、起こしちゃったの、いけなかったね、僕・・・。ごめん」
「いいよ、そんな。・・・外、見た?」
 彼はゆっくりと仰向けになり、僕を胸の上に載せる形になった。
「まだ・・・。僕も、今起きたとこだから」
「一緒に見よう」
 こう言うと彼は、起き上がってベッドの下の床に脚を下ろした。

 二人、簡単にシャワーを浴び服を着ると、カーテンがはためき、開け放されたままの窓に向かった。光樹がカーテンを横に滑らせ、開いていた窓をさらに広く開けた。とたんに、風の量が増して吹き込んだ。二人の髪が乱れた。
「わ・・・」
 その時出された僕の声は、風の強さに対してなのか、目の前――正確には景色の左側だったが――に見えた朝日のまぶしさに対してなのか、自分でも分からなかった。とにかく僕は、胸が震えた。
「僕、光樹とこんな景色を見たかったんだ・・・」
 僕は、横にいる彼の肩に顔をもたせかけて、言った。
 太陽は、左方向に見える小さな島の、上空にかかっていた。海の上には、その輝きが落ちている。無数の光の粒が集まって、青い海の表面にいくつもの帯を作っていた。
「俺も・・・本当はずっと見たかった。今まで、ごめん・・・」
 言って、光樹は僕の肩を抱き寄せ、僕の髪に顔を埋めた。
「謝らないで・・・」
 昨日から、何度も聞いている彼のこの言葉を、僕はさえぎった。
 二人黙ると、波の音が大きく聞こえた。海が呼吸しているような、その音・・・。

 防波堤の上へ出てみると、海岸にまだ人影は少なかった。サーフ・ビレッジのあたりだけ、何人かサーフィンを楽しんでいるのが見える。
 防波堤の階段の一つにボードとバッグを置くと、光樹と僕は防波堤を降り、砂浜の上を少し歩いた。と、少し先を歩いていた光樹が立ち止まったので、僕も止まった。彼は振り向いて、右手を僕のほうへ差し出した。微笑んで・・・。体の後ろに朝日を受けて、より輝いて見えた、その笑顔。僕は、そっと彼の手を取った。 
「俺・・・君にまだ言ってなかったことがあるんだ」
 立ち止まったまま、彼は海のほうを見ながら言った。
「え・・・何?」
 僕は、彼の手を強く握り締めた。
 光樹は僕のほうを見る。
「好きな子をここに連れてきたのは、君が初めてなんだ」
 この言葉を聞いた時、僕の胸は否応なく揺さぶられた。彼の顔を、見つめた。彼は視線を逸らさない。
「ほんと・・・?」
 熱いものがこみ上げてくるのを、僕は必死で抑えた。昨日から彼に、泣き顔 ばかり見せているから・・・。
「ああ」
 光樹は、頷きながら答えた。
 二人また、海のほうを見た。その先で、波がいくつも砕けていく。波頭に、光をちりばめて。海風が絶えず吹きそよぐ。光樹が、自分の乱れる髪に手をやった。僕は吹かれるに任せた。その風は太陽に守られているので、暖かく感じた。


END


暖かい風