こうして部屋に二人きりになり、初めに交わすキスは、いつも長かった。
 僕の頬を覆っていた光樹の手も、やがて背中に回された。彼の次の行動を待ちながら、僕は背中に回した両腕に力を込めた。
 唇が離れると、彼は僕に優しく笑いかけ、もう一度片手で頬に触れた。キスの続きをしてくれるのかと思って、目を閉じ身構えたが、それは唇をそれて額や頬にされた。
「かわいいよ」
「やだっ、じらさないで・・・っ」
 僕は赤くなって、首筋に口付けている光樹に言った。
「ねぇ・・・シャワー浴びようよ・・・」
 唇で耳を探られると感じて、僕の方から先を促してしまった。

「あ・・・」
 バスルームを出て、二人ベッドに落ち着き、光樹の濡れた髪に触れた僕は、気がついたような声を漏らした。
 下になっている光樹が聞く。
「何?」
「髪・・・ちゃんと乾かした?」
 彼の髪の束を指でつまんでみせた。
「だって君がその・・・せかすから」
 彼は上目遣いに僕を見る。
「ばか・・・っ」
 僕の腕は、光樹の頭を挟んで、体を肘で支えているような形になっていたので、顔を真下に向けると彼の顔と真っ直ぐに向き合う。下から、光樹が彼特有の少年っぽい、意地悪な笑みをこぼした。
「君が俺に『ばか』って言ってくれたの、初めてだ」
「もう・・・。そう・・・だっけ?」
 そして彼は僕の肩をつかむと、体勢を逆転させた。
「そうだよ。なんか、恋人同士みたいだ」
 彼を見上げながら、僕はちょっと不機嫌に眉を歪めた。
「みたいって・・・違うの?」
「いや、もうそういう仲になれたってこと」
 そう言って、僕の額に軽くキスした。

「今日は泊まりたい」――1回済ませた後、余韻にひたって僕の胸のあたりに口付けている、彼の髪の動きを見ながら、僕はまだ、この言葉を言えずにいた。
 目を閉じながら耳を澄ますと、窓の外から、静かな波の音が聞こえてくる。まぶたを開けて、顔をそのほうに向けた。カーテンの向こうは、すでに闇の中だ。そのカーテンが、日の光をはらむ瞬間を、光樹と迎えることはできないのだろうか。
 せっかく逢えたのに、やっと二人きりになれたのに、あと少しで別れるなんて、嫌だ。もっとずっと、一緒にいたい。
 今日の彼は、思ったほど僕を求めていないような気がする。さっき、バスルームに二人で入った時だって、体に触れてくるかと思ったのに、彼からは触れてこなかった。前、初めてここのホテルに入った時は、そこで求めてくるくらい、激しかったのに。今日は抱き合った時も、僕は感じてはいたけれど、最後までいけなかった。ひとつにはなれなかった。彼は、することだけ済ませたって感じだった。僕は寂しい気持ちでいっぱいだった。

 そんな中、光樹がとうとうこの一言を言った。
「そろそろ、出ようか」
 ベッドのそばの、作り付けの棚に置かれた時計のほうに頭をめぐらすと、まだ時間はあった。
「え・・・まだいいじゃない」
 不安げに、僕は言った。
「でも、遅くなっちゃうし」
 彼はこともなげに言う。僕の上から、起き上がろうとした。
「やだ・・・」
 必死で、彼の体を下から押さえようとした。
「清太、だめだよ・・・」
 彼は困ったような声を出し、必死でしがみついている僕の腕を、背中からはがそうとした。
「嫌だ・・・」
 それでも離れようとしない僕。
 光樹は二日前まで本命の人と逢っていたから、抱き合っていたから、それほど僕が欲しくないのだろうか。やっぱり僕はあくまでも彼にとって、”2号”に過ぎないのだろうか――。そう思うと、急に悲しくなった。
「清太?」
 光樹が少し、驚いたような声を出した。気が付くと、僕の両目には涙が溢れ、とどまっていられなくなった一滴(ひとしずく)が、頬を伝って枕に落ちた。そのまま、次々と流れ落ちるいくつもの雫たち。
「落ち着いて・・・」
 彼は横になったまま、しがみついて泣きじゃくっている僕の髪をなでた。やがて、彼の背中に回されていた僕の腕から、力が抜けていった。

 流れてしまった涙のために、嘘がつけなくなった。
「光樹・・・僕のことどう思ってるの?」
 力なく首を傾けて枕に頭を預け、涙が流れるに任せたまま、僕は声を振り絞った。
 光樹は体を横向きにして、左腕で体を支え、右手では、投げ出された僕の手を握っていた。
「どうって・・・」
「やっぱり、僕は遊びなの?」
「なんで、そんなこと・・・」
 今度は、真っ直ぐに光樹の目を見た。
「真人さんがいるから・・・光樹、結局あの人のほうが好きなんでしょ?」
 半同棲のことを了解の上で付き合い始めた二人にとって、これは禁句だった。だが、僕は自分が止められなかった。戸惑っている風の彼。
「そうなんでしょ? だから今日だって、つれないんだ。僕を欲しがってくれないんだ」
 彼は、僕の体の脇に置いた手を、動かした。僕の手を握っているもう片方の手には、力を込めた。
「何言ってるんだよ、そんなことないよ。ここんとこずっと、こうやっては逢えなかったし。・・・なんで、そう思うの?」
 彼は、作り笑いを出すこともなく、真面目に聞いた。
「だって・・・僕は朝までいたいのに光樹は・・・。今までだって、一度も一緒に泊まってくれたことなんか、ないじゃないかっ・・・!」
「それは・・・君、親と同居してるし・・・だから・・・」
「そんなの関係ない! 女の子じゃないんだから・・・! ねぇ、僕のこと想ってくれてるなら、泊まってよ」
 僕は握られている手を離し、彼の腕にその手をかけて訴えた。
「光樹・・・もっと、抱いて・・・」
 再び溢れ出した涙をどうすることもできないまま、背中に強く腕を回して、しがみついた。
「朝まで抱いて・・・っ!」
 光樹はしばらくそのままうつ伏せで、胸に僕の頭部を抱えたままにしていたが、一度僕を抱き起こして、僕の顔を両手で挟み、涙を親指で拭った。
「ごめん、清太・・・そんな思い、させて・・・」
 再び優しく、僕を横たわらせた。
「好きだよ・・・」
 彼がそう言った時、窓の外にあるはずの海の音を、とても間近に感じた。

 カーテンは、先ほど見た時は真っ黒に見えたが、よく見ると、うっすらと月光を受けて青白く浮かんでいた。
「何を、見てるの?」
 繋がろうとして、僕の脚を開かせた光樹が、少し微笑んで言った。
「ん・・・なんでもない・・・。早く、来て・・・」
 首を光樹のほうに戻し、僕はまぶたを半分閉じながら彼を求めた。
 そうして、今日2度目の繋がりを持った。
 彼の首に腕を回し、彼を体の中に感じた。
 1度目は「優しさ」に包まれた彼を受け入れたが、今僕の中には、裸の彼がいる。彼の熱が、僕にも伝わりそうな気がした。さらに強く、彼を抱きしめた。彼も僕のもものあたりにかけていた手を動かし、腰の下に回した。
「光樹・・・あったかい・・・」
「君も・・・」
 今度こそ、ひとつになりたい。そう願う僕は、彼と一緒に揺れた。
 波の音が、聞こえなくなった。

「今、何か考えてる?」
 彼の胸の上に寝ながら、僕は息をついた。時間が経つのも忘れて、何度か愛し合った後だった。お互いの汗は、まだ完全には乾いていない。
「考えてたら、怒る?」
 光樹は下から、僕の濡れた髪を優しくなでた。
「僕以外のことだったら、ね。ね・・・今は、僕のことだけ考えて・・・」
「そんな心配、いらないよ」
 僕の頭を抱き寄せて、この日何度目か分からないキスをした。
「少し、眠る?」
 彼が聞いた。
「やだ、今日は眠りたくない」
 彼と一緒にいられるなら、少しも時間を無駄にしたくない。この部屋に流れる全ての時が、僕には失いたくないものだった。彼も、そうだといいと思った。ずっと、ずっと、感じ合っていたい。



暖かい風