彼は白いサーフボードを持って、黒いショート・ジョンのウェットスーツを着て、砂浜に立っていた。輝くような笑顔で・・・。
手帳のビニールケースに挟んだ恋人のその写真を、清太はベッドに横になったまま、天井のほうに腕を掲げて眺めていた。
それをそっと唇に近づけ、目を閉じながら口付けた。離すと、吐息の跡が唇の形に残り、やがて消えた。
光樹と愛し合ったのは・・・涼と再会する少し前。それきり、逢っていなかった。今週は大学のレポート提出があるから逢えない、と先ほど電話で告げられたばかりだった。
親も寝静まったであろう夏の夜、清太は寝巻き代わりのTシャツとショートパンツ姿で、手帳を手に持ったままうつ伏せに寝転がった。部屋の明かりは、まだつけている。
顔だけ横に向けて、再び、写真を見た。彼は、笑っている。
――逢いたいのに、逢えない。
――逢いたい時に、逢えない。
これもまた、罰なのかもしれなかった。
逢えない時こそ、本当に自分が愛しているのは彼――光樹なのだと感じる。
彼に逢う度、心から愛しているのは彼だけだと認識できる。
彼は優しい。どこまでも優しい。
それだけに、逢えない時はそこはかとなく辛い。
清太の目の端から、ふと涙がこぼれ、枕に吸い込まれた。
目を閉じ、今日はこのまま寝てしまおうかと思い始めていた。
ピーピーピーピー・・・。そんな時、ポケベルが主を呼んだ。
清太は顔を上げた。涙を拭い、カバンの中から、騒ぐ青い小さな機械を取り出した。
誰だろう、光樹だろうか・・・? だが、先ほど電話で話したばかりだ。
音を止め、画面を見た。
そこには、こうあった。
『こんしゅうあえるか? タケシ』
清太はしばらく、小さな液晶画面を見ながらじっとしていた。
ちらり、と机の上に置かれた電話の子機を見た。そして、またポケベルを見る。そんなことを、何回か繰り返した。
だが気付くと、武司の携帯番号を押している自分がいた。
ベッドの上では、恋人が手帳の中で微笑んでいた。
武司と抱き合い、一つ済むと清太は、彼の胸に顔を預け、上に寝た。
武司は目を閉じながら右腕を頭の後ろに回し、左腕で清太の肩を抱いている。
二人、息を整える。
二人が抱き合う時、精神的なものはどこにも存在していないかのようだった。ただ、体が体を求め、時間だけが過ぎていく、という感じだった。
「ね・・・」
息が少し整った清太は、そっと声を出した。
「何だ?」
目を閉じたまま、武司は答える。
「この間さ・・・涼に逢ったよ」
武司は目を開けた。
「・・・どこで?」
「小雨の中公園で。偶然・・・」
街灯に照らされ、向こうから歩いてきた彼。雨に濡れる髪を掻き揚げる彼。その雨の香り・・・。清太は再会した時のことを思い出す。顔を上げ、右手の人差し指を頬のあたりにやった。
「ぷっ。おかしいね。二人とも男求めて・・・H公園うろついてたの」
起き上がり、半身に毛布をかけ、ベッドの上に座る二人。
清太は武司の横顔を見ながら話した。
「涼ってば当然のごとく、もう一度僕と寝てくれってさ・・・しつこいの」
武司は清太のほうを向く。
「それでお前はどうしたんだ?」
清太は右手指を曲げ、頬に当てながら笑みを浮かべて言う。
「寝てあげた・・・。だって涼、僕が金払えって言ったら・・・路地裏で僕を犯すって・・・押し倒すの」
手を下ろし、毛布の上で両手を組んだ。
「僕が本気で好きなんだって。金で買うなんてヤだってさ」
顔を上げ、遠くを見るような目になる。
「僕は・・・愛だの本気だの、面倒くさくてヤなんだけどね」
愛しているのは光樹だけなのだから、本気になってもらっては困る。
逢うことにしたのはいいが、清太はこれから涼に対しては、軽くあしらうつもりでいた。
清太は体を動かし、武司の左手首に右手を置きながら、キスした。
「それよりあんたみたいに・・・あっさり体だけの関係でいてくれるほうが好き・・・」
彼の口中に、自分から舌を入れた。
「ね・・・もう1回やろうよ・・・」
目を半分閉じ、色気のある声を出した。
だが武司は乗らず、清太の口元に左手の人差し指を当て、他の指であごを包んだ。
「その前に・・・お前は涼とやって”いった”のか?」
武司の手をそのままにし、清太は顔を上げた。
「・・・それって重要なこと?」
武司は首筋に手を滑らせ、握りながら声を低くしてさらに言う。
「いったのかと聞いている」
「い・・・いったよっ!」
赤くなり、清太はヤケになりがちに答えた。
すると武司は毛布をめくり、清太を抱きかかえ、おもむろにベッドに押し倒した。
「! なっ・・・なんだよ! 嫉妬してるとか言わないでよね!」
構わずに、武司は清太の体の入口に、口を使って特別なことをした。
「ん!」
「奴は・・・今みたいなことをしたか?」
唇を離し、清太の顔を伺いながら武司は聞いた。
「武司・・・」
清太は戸惑う。
「これは?」
また、武司は清太の体を刺激した。
「あっ・・・!」
と、清太は思わず目を閉じて顔を横に振った。おずおずと目を開けて、言った。
「そっそういえば・・・された・・・」
準備が済むと、武司は清太の体を抱えながら聞く。
「じゃあ・・・、こういう体位は?」
『武司・・・まさか・・・』
この時には、清太の心にある予感が生まれ始めていた。
「攻めはこんなか?」
「あっあっ・・・! た・・・け・・・やめてっこんなっ・・・! あっ・・・」
その行為のどれもが、この間涼と過ごした時間の、再現のようだった。
ホテルこそ、違うけれど。
やがて、清太は最後までいってしまった。
「・・・ばか・・・!」
汗をかき、息を整えながら清太は言った。枕に頭を預け、仰向けになったまま、右腕を後ろに回した。顔を少し横に向け、武司のほうをまっすぐに向かずに口を開く。
「なんで・・・? 今日・・・涼と同じ技なの・・・?」
武司は起き上がり、清太の横で鼻で笑った。
「はっ! 決まってるだろ。俺が教えたんだよ」
「やっぱり・・・」と清太は独りごちた。もう片方の腕も、頭の後ろに回した。
その様子を見ながら、武司は話し始めた。
「お前と2丁目で別れた後・・・大学の授業中・・・」
*
教室の一つに、武司と涼は並んで座っていた。それはユーモアを持った独特な講義を行うことで人気の教授が受け持つ、心理学の授業で、席には学生が大勢集まっていた。教室は大教室で、広い。二人はファイルノートと、配られたプリントを机の上に置いている。
いつもは涼もこの授業を聞き込んでいるはずなのだが、今日はシャーペンを持ったまま上の空で頬杖を突き、溜息を吐(つ)いた。それを見て、武司はにやりとした。
「・・・」
何事か、企むような顔をした後、自分のノートに文字を書き付けた。すまし顔で面白そうに目を閉じつつ、ス・・・と隣りの涼のほうへ、ノートを滑らせた。気が付く涼。そこには、こんな文字が躍っていた。
『今夜なぐさめてやろうか?』
それを見て、涼はかっとなった。すかさず、そのノートに返信を書き付ける。
『ふざけるな! オレが物欲しそうに見えるってのか!?』
こくん、と頷く武司。涼は切れた。だが、授業中なので叫ぶこともできない。周りに、他の学生もいる。仕方なく、また涼はノートに書きなぐった。
『元はといえばお前が悪い! オレから清太を取るから・・・』
すると、武司の反撃が来た。
『あいつがいつお前のモノになった? イカしてないくせに、この間・・・』
勢いで、また書き付けた。
『お前は清太を遊び道具としてしか見てない!』
『清太が選んだのはお前じゃなくて俺だ』
涼は「この・・・」という顔をした。「おっと」と、武司は横目で彼を見る。
『この続きはまた後でな 俺ん家へ来いよ』
武司の家で、涼は振り向いた。黒と白を基調にしたシンプルな作り。涼の家は両親と同居なので、あまり呼んだことはない。この部屋へは何度か訪れている。
「ナシ・・・つけようじゃないか。どっちが清太に相応しいか」
「相応しいも何も・・・。お前はきっぱり清太に振られたんだろ? 俺の目の前で・・・。清太が俺にベルNo.教えて・・・」
武司は呆れたように涼を見る。口の端をつり上げて・・・。
涼は赤くなって下を向いた。武司に清太のベル番号を聞く――ずっと今までできなかったが、もう涼には限界が訪れていた。
「だ・・・だったら! 俺にその番号教えてくれ! 俺が直接清太に・・・」
思い切って、言葉を飛び出させた。
だが武司は横を向いてすまし顔で目を閉じ、つっぱねた。
「だめだ。逢いたかったら自力で探せ」
涼を横目で見やりながらさらに言う。
「もっとも逢ったところで・・・お前は清太をいかせられないだろ?」
涼に近づき、まっすぐに向き合った。
「お前は元々”受けタイプ”だものな」
「う・・・」
涼は言葉を詰まらせた。
「うるさぃ・・・!!」
急に、唇を塞がれた。
「!!」
武司は舌を入れてきた。
「んっ・・・。なっ何すんだ!!」
驚き、涼は拳を振って武司を殴った。
少しよろけたが、武司は手の甲を赤くなった左頬のあたりにやって、不敵に笑んだ。
「俺が・・・教えてやろうと思って。お前に・・・」
そこまで言うと、涼の着ていた茶色いカットソーを片手で胸までめくり、ジーンズの中にもう片方の手を入れた。
「あいつをいかせる方法を・・・」