ホテルの一室に入り、ドアを閉めると、啓二はすぐさま、清太を後ろから抱きしめた。そのまま紺色の上着を脱がせて床に滑らせ、右手をシャツのボタンにかけた。少し開いたシャツの隙間から胸に触れてみると、振動が掌に伝わるくらい、鼓動が激しい。何も言わない清太の首筋に口付けてみると、微妙に震えているのも分かる。
「怖いのか?」
ボタンを一つ一つ外しながら、囁くように聞いてみる。
「怖くなんかな・・・!」
言いながら振り向いた清太の後頭部に啓二は左手を伸ばし、キスした。つられて、体も回転させた清太。
「なっ、なんだよ・・・」
唇を離してから、不意打ちに抗議するように清太は言った。構わずに啓二は清太の少し怯えた瞳を見つめ、言う。
「お前唇柔らかいな」
真っ赤になる清太。”可愛い奴・・・”と思いながら、紅潮した清太の頬を両手で挟む啓二。
「お前の舌はどうだ?」
再び清太の唇を奪う。
「あ・・・」
閉め切っていない薄紫のカーテンを透かして、向かい側にあるビルの、赤や緑のネオンが見える。
”そういえば、まだ部屋の明かり点けてないんだっけ・・・”
口の奥まで入ってくる啓二の舌の動きに酔い始めながら、清太は思った。
きっかけは、一人のサッカー部の先輩の誘いだった。
一週間前、その日の練習が終わった後で話がある、と、練習が始まる前に田中という1年先輩の男に言われた。練習が終わって日が落ち始めた6時頃、制服に着替えて体育館裏に行ってみると、田中のほかに二人の見知らぬ男達がいた。
「ようっ。あ、こいつら、俺の友達で、二人とも2年だ。河津に遠藤」
田中が紹介した。キョトンとしている清太に向かって、その二人は軽く挨拶した。
「あの・・・、話って・・・」
田中の目を見て、清太は聞く。
「ん〜、ちょっと言いにくいんだけどさ・・・、こいつら、お前のファンなんだって」
”ファン・・・?”
3人の思惑がさっぱり分からない。
「学校の中とか、部活の練習とかで、お前のこと見てて、気に入ったらしくて・・・。
お、俺もお前のこと、結構好きで・・・」
「なんなんですか? 一体・・・。具体的に用を言って下さい」
少しいらついて、清太は言った。
「その・・・、3人でさ、お前を連れて行きたいところがあるんだ。・・・お前さ、2丁目って、まだ行ったことないだろ?」
「2丁目って、新宿2丁目ですか?」
「そう」
「そりゃ、ないですけど・・・」
「俺達さ、そこの奴らに、是非お前を見せたいんだ。俺達、練習が早く終わった日とかによく行ってるんだけどさ、はっきり言って、清太ほどきれいな奴なんて、2丁目にもいないんだよ。それで、いつかは連れてきたいななんて、3人で話してたんだけど・・・。今日なんてダメかな?」
田中を初め、河津と遠藤も期待を込めた目で清太を見る。
今にも沈みそうな夕日が、最後の力を振り絞るように光を放ち、清太達の脇にある、体育館裏のガラス窓の列を赤く染めていた。すでに中は使われてなく、ガラス窓の中は真っ暗だった。体育館を使っていたバスケ部の連中も、帰ったようだ。
「僕を連れて行って、皆に紹介するだけですか?」
この3人か、誰かとホテルに行くことになるのではないか・・・? 彼らの期待に満ちた表情を見ると、それは容易に推測できた。
この清太の警戒している言葉を聞いて、田中の表情が微妙に曇った。
「そっ、そうだよ。ちょっと店に入ってさ、お茶するだけ・・・。誰かが清太に誘いをかけてきたりしても、俺達が守るからさ。なっ、ほんの1時間くらいでもいいから・・・」
語尾は頼み込むような言い方になって、手を合わせる田中。
「俺からも頼むよ、清太君。今日この後、予定ないなら・・・」
河津が割り込んで言う。いきなり初対面の人間に下の名前で呼ばれて、いい気はしなかったが、たぶん、3人の会話の中では、自分はこう呼ばれているのだろう・・・と、それは許すことにした。
「ね・・・嫌かい?」
遠藤も加わる。3人の先輩からこうも迫られては、無下に断るわけにもいかなかった。それに、まだ見知らぬ街への好奇心が首をもたげてきていることも、否めない。
右足で軽く足元の草を蹴って、清太は言った。
「・・・いいですよ。そんなに言うなら・・・。その代わり、約束は絶対守って下さいね」
田中達は、憚らずに喜んだ。
「ほんとに!? やった!」
内心あきれながら、清太は3人を見、それから多少の恥ずかしさで、下を俯いた。
辺りはすでに薄暗い。ガラス窓の夕日も消えた。
”最初から仕組まれてたんだ・・・”
啓二とディープ・キスをした後、一人バスルームでシャワーを浴びながら、
清太は思った。
・・・あの日、初めて入った店には、啓二がいた。いや、待っていた、というべきか。
清太が田中達に連れられて、店のドアを開けた時、一瞬店内のざわめきが消え、そこにあった全ての目が、清太のほうに注がれた。
談笑していた多くの客、店内に流れるラップ音楽に合わせて、フロアーで軽快にダンスをしていた茶髪の若者達、ボックス席のソファーに寄りかかって、ふざけたようにキスをしていたカップル・・・皆一斉に、誇張ではなく清太を見た。ドアに背を向けていた者も、連れに言われて振り向いた。驚きと恥ずかしさとで、清太の胸が、ばくん、といった。
やっぱりな、というようにあごをしゃくって、田中は清太の背を押し、そこにあった背の高い椅子の一つのところに促した。
歩き出す一瞬前、清太は自然と、店の一番奥に数人の19、20歳の少年の取り巻きに囲まれていた啓二と、目が合った。啓二達はボックス席にいた。啓二は、少年の一人の肩に腕を回して談笑していたらしかったが、最初に清太が入ってきた時から、ずっと清太のほうを見つめ続けていた。清太はすぐに目線を逸らそうとしたが、その端で啓二がニッと笑うのが見えた。
田中達によって、確かに清太は彼らの知り合いらしき男達に紹介されたが、皆同年代の若者ばかりだった。田中が、この子がいつも言ってた子だよ、と紹介すると、どの少年も清太の容姿を絶賛した。皆アイドルにでも接するように、顔を赤らめていた。
このもてはやされように、くすぐったいような感じはしたが、悪い気はしなかった。周りが皆自分と同じ同性愛の人間ばかりだと思うと、同族意識のような安心感さえ覚えた。不思議と、懐かしさも感じた。初めて訪れた場所なのに・・・以前から、ここへ来たかった気がする。
そこへ、少年たちを残してボックス席から離れた啓二が、やってきた。背の高い椅子に座っている清太の隣に立つと、また目が合った。と、清太の周りに群がっていた幾人かの少年達は、当たり前のようにすごすごと、元の位置に退散していった。
「ああ、君が噂の子か。・・・待ってたぜ、ずっと・・・」
おもむろに、清太をまっすぐに見据えながら啓二は言う。
「え、待ってたって・・・? 先輩、これ、どういうことですか? あなた、誰?」
先輩達が、10は年上に見えるこのスーツ姿の男と知り合いなのは、どこか不自然に思えた。田中はバツが悪そうに、清太に言う。
「ごめん! 実は本当は、この啓二さんがさ、お前のこと話したら、どうしても会いたいって言うから、今日連れてきますって、約束しちゃってたんだ。会わせたい人がいる、なんて言ったら、清太警戒するかもしれなから、言わなかったんだけど・・・。怒ってる?」
「別に怒ってなんか・・・」
相手が先輩なだけにそう言ってはみたが、内心は多少ムッとしていた。話が違う、と思った。
「ま、そういうことなんで、よろしくな」
啓二は握手を求めてきたが、清太は右手を伸ばさなかった。諦めて手を下げる啓二。顔は笑っている。
清太は啓二を、まざまざと見つめてみた。顔は、恋愛ドラマに出てくる俳優みたいに、整っていた。二重まぶたで彫りが深く、鼻は白人のように高い。唇は厚くもなく薄くもないが、リップをつけたように濡れていた。実際、男用のものでもつけているのか・・・?
この顔つきなら、女にももてるだろうが、この男も自分と同類なのだ。それに目つきが、女好きのそれとは大きく違う。ドラマなんかで見る俳優は、こんなトロンと気だるそうな目はしていない。
その気だるそうな目をして、裸になった啓二がバスルームに入ってきた。
清太はシャワーを止めずに振り向いた。
「なんだよっ、待ってればいいだろ、あっちで・・・!」
「だってお前、早く帰りたいんだろ? 別々に入ってちゃ、時間がもったいないじゃないか。違うか?」
言いつつ、清太が持っていたシャワーのノズルを取って、自分の体に湯を浴びせた。
「ん、ちょっと熱いな。まあいい。・・・お前、もう体、洗ったか?」
手を伸ばし、清太のものに触れてきた。
「だめっ、触るなよっ、ベッドに行くまで・・・。まだ洗ってないんだから・・・」
「ふん、お預けか」
あの日は自分のことを色々と尋ねられ、話をしただけで済んだが、翌日の夜、家で寝ている時(といっても寝付いてはいなかった)に、突然ポケベルが鳴った。ベッドから出てカバンの中から取り出し、画面を見ると『TELほしい ケイジ』とあり、その後に電話番号らしき数字が並んでいた。清太は驚いた。
”なんで・・・!? 啓二さんにはベルナンバー、教えてないのに・・・!”
すぐさま、部屋にあったコードレス電話の子機を手に取り、画面に表示されている数字を一つ一つ確かめながら、プッシュ・ボタンを押した。
――数回の呼び出し音の後、啓二が出た。
「・・・ああ、清太君だな。嬉しいよ、すぐに返してくれて。起きてたんだな、まだ」
勉強机の上の時計を見ると、11時5分前だった。
「啓二さん、なっ、なんで僕のベルナンバー、知ってるの・・・!?」
思わず声がうわずった。
「は、それはな、アツにでも聞けば、分かることさ」
アツ・・・、そういえば田中の下の名前は敦士(あつし)だった。以前、彼に軽い気持ちで教えてしまっていたのだ。啓二はさらに言う。
「ついでに言えばな、俺はお前の家の電話番号も知ってるんだぜ。0XXの・・・だよな?」
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