火曜の晩に、清太は啓二と電話で話していた。初めは何気ないふうを装って、他愛のないことを話していたが、やがて啓二のほうが話題を本題に移した。
「それで・・・な。ここのところ、逢ってないだろ? 逢わないか、明日にでも・・・。たまってるんだ、分かるだろ?」
 清太は、全身が熱くなるのを感じた。電話の子機を持った手や声が震えそうになるのを、啓二に気付かれないよう深呼吸を1回することで、必死で抑えた。
「あ、の・・・。だめ、なんだ、明日は・・・。練習が、遅くなりそうで・・・」
「そんなの待つさ、喫茶店ででも。早く帰りたきゃ、1回くらいで帰してやる。とにかく、逢おうぜ。こうやってお前の声を聞いてるだけで、俺はもう・・・」
「やめて・・・! もう逢わない、あんたとは・・・!」

 清太の、いつにない強い態度を感じ取ったせいか、啓二の声のトーンが変わった。
「何・・・? もういっぺん言ってみろ。まさか、本気で言ってるんじゃないだろうな」
「とにかく、明日は逢わないから・・・!」
 それだけ言うと、清太は電話を一方的に切った。
 興奮で、息遣いが荒くなっているのが分かった。


 翌日の夕方、部活の練習が終わると清太は、一人で校門を出た。
 歩き始めてしばらくすると、背後にかすかに、足音が聞こえた。
 つと立ち止まり、再び歩き出すと、その足音は清太が歩くのに合わせているのが分かる。
 また立ち止まると、背後の人物も歩くのを止めた。そこサッと振り返ると、民家の塀の角にある電柱に、黒っぽい服を着た男の影が、少し見えた。
 清太はおもむろに走り出した。できるだけ人目の少ない道を選び、何度か角を曲がった。後ろの人物も、少し離れて追いかけてくる。
 幾つ目かの角を曲がり、空家の塀で行き止まりになっている路地に入った。
 濃色の服の男がその角を曲がると、目の前に茶髪の若者が立ちはだかった。

「啓二さん・・・」
 男は、驚いて立ち止まった。
「な・・・なんだ、お前は・・・?」
 若者の背後には、清太が困惑げな表情で立っていた。
「清太・・・。・・・? 分かった、こいつはお前の彼氏だな?」
 啓二は一歩前へ出て、若者の目を見て言った。
「確かコウキとかいったな?」

 光樹も、啓二の目を見据えた。
「啓二さん・・・。単刀直入に言います。清太と別れてほしいんです」
 すると啓二は、下を向いてぷっ、と笑った。
「いきなり坊やが・・・何を言い出すかと思えば・・・」
 スーツのズボンのポケットに両手を入れて、肩をそびやかした。
「男寝取られたのが、そんなに悔しいのか?」
 そう言うと、光樹の後ろにいる清太の後ろに視線を移し、あごをしゃくった。

「お前はどうなんだ? 清太・・・そんな彼氏の陰に隠れてないで・・・」
 歩いて光樹のそばを行き過ぎ、清太の頬に手をやって、構わずにキスした。
「それにしても可愛い奴だな。こんな作戦立てて・・・。ちょっと驚いたぜ」
 さらに清太の腕を取って、塀に押し付けてキスを続けた。
「なぁ・・・お前も俺と別れたいのか? 俺とのセックスが好きなのに?」
「んんっ・・・やめっ・・・」
 清太は顔を背けようとした。が、叶わない。
 見かねて、光樹が啓二の肩を引っ掴んだだ。
「おいっ! そんなことしてる場合じゃないだろ!!」
「なんだいいとこなのに」

 光樹の手を払い、清太のほうに向き直って、啓二は言った。
「本当に忘れられるのか? 俺がベッドで教えた、色んなこと・・・」
 清太は声を絞り出すようにして、答えた。
「わ、忘れ、ら、れ・・・ない・・・」
「清太!!」
 啓二の背後から、光樹は呼びかけた。
「なんでそうなるんだ!? 君、啓二さんが嫌なんだろ!?」
 清太は、何も言えずにいる。啓二が両手で抱きしめてくるのを、させるがままにした。
「ま、そういうことだな結局」
 啓二は光樹の前で、再び清太に口付けた。
「ん・・・」
 清太も小さく声を漏らした。
 啓二は彼の右頬に手を当てて、味わった。

 ・・・が、唇を離して、ようやく清太は声を出した。
「でも・・・僕は・・・」
 両手を、啓二の胸のあたりにやって、ゆっくりと押しのけた。
「あんたの恋人にはならないって、言ったでしょ?」
 きっ、と眉根を寄せ、啓二をまっすぐに睨(ね)め付けた。
「この・・・ストーカー!!」
 静かに叫ぶと、啓二を振り払って、光樹に抱きついた。そして、振り返って、言った。
「僕の・・・恋人は・・・光樹だけだ!!」
 啓二は真顔になって、二人を見つめた。
「清太・・・でもな、お前、忘れたのか? 言ったじゃないか、ベッドの上で。今だけ、俺の恋人になるって・・・」
「そんなの・・・本気じゃない!」
「嘘だろ・・・おい、俺と別れるなんて・・・。どうなるか、分かってるのか・・・?」

 光樹が清太の体から離れ、啓二に歩み寄った。
「啓二さん・・・。あなたこそ、分かってるんですか? あなたのしてることは、犯罪なんですよ・・・」
「なんだ、高校生と付き合うことがか? だったら、お前だって同罪じゃないか。二十歳過ぎてんだろ、お前?」
「違います、俺は真面目に・・・。あなたのは異常だ、どう考えても・・・」
「俺だって真面目さ! 本気なんだ、清太のことは・・・。四六時中、一緒にいたいくらいだ! だから俺は・・・」
「だったら、ストーカーみたいなこと、してもいいって言うんですか? 清太のこと、脅してもいるそうじゃないですか」
 啓二はこのやり取りの間に、徐々に震え出していた。
 清太は怯えながら、年上の男二人の会話を聞いていた。何を言ったらいいのか、分からなかった。ただ、見ているしかできなかった。

「このまま、警察にでも行きますか?」
「何をばかなことを・・・」
「・・・結局あなたは、大人になりきっていないんだ。まるで、なんでも思い通りにいかないとだだをこねる、子供みたいだ・・・」
「何を・・・年下のくせに・・・」
 啓二の震えが、怒りに変わっていた。拳を握りしめた。呼吸が荒い。・・・とうとう、右拳を光樹に向けて、振り上げた。
「・・・の野郎!!」

 驚いて清太が止めようとしたが、その前に光樹が啓二の拳をよけた。1発目が空振りに終わって光樹の横を行き過ぎた啓二は、振り返って2発目を繰り出した。
「清太は、俺のものだ!!」
 これは光樹の顔をかすめたが、彼が掌で受けた。しばらく互いの力で押し合い、静止状態が続いたが、光樹が押し返した。
「俺に何もかも全部、委(まか)せたんだ・・・!」
 それでも諦めず、啓二は3発目を繰り出す。今度は光樹は、襲いかかってくる啓二の右手首を捻り、その勢いで相手を地面に倒した。
「いい加減にして下さい!! 清太はあなたのものじゃない!」
 上体だけ起こして、啓二は俯いていた。
「・・・」
 息だけは、まだ荒い。

 やがて、ぼそりと言った。
「愛してる・・・清太・・・」
 この声を聞いて、清太はぞっとした。光樹に寄っていって、彼のシャツの袖を握った。
「けい、じさん・・・?」
 怖くなって、思わず上から呼びかけた。
「愛してるんだ、誰よりも・・・」
 よろよろと、啓二は立ち上がった。顔は俯いたまま、二人を上目遣いで見つめる。
「清太・・・。ほんとに、これでいいのか。そんなにそいつがいいのか。・・・俺のこと、愛してないのか・・・?」
「あ、愛してない・・・・」
清太は光樹の陰から答えた。
「・・・後悔しないんだな?」
「しない・・・」
 ぎゅっ、と清太はさらに光樹に身を寄せた。
 啓二の髪は乱れて、幾束かの前髪が垂れていた。それが清太に、ベッド上の啓二を思い出させた。何故か、胸が苦しくなるのを覚えた。恋人に寄り添いながら・・・。

「・・・これが、お前の選んだ結末なのか・・・。だが、お前は俺のことを忘れられない。絶対、忘れられない。きっと、俺のところに戻ってくる・・・」

 啓二は二人のほうに向かって歩き始め、清太だけをちらりと見やると、そのまま路地裏を出て、角を曲がり、二人の前から姿を消した。おそらく駅のほうへ向かったのだろう。
 その清太を見た時の彼の目は、潤んでいたようだった。それがまた、清太の胸を締めつけた。
 だがもう、啓二と逢う気はなかった。彼の捨て台詞が、気にはなったけれど・・・。

 光樹は清太を強く抱いて、一つ息を吐(つ)いた。
「・・・怖かった?」
「うん・・・。でも、良かった・・・。あの人が光樹を殴ろうとした時は、びっくりしたけど・・・。強いんだね・・・」
「・・・なんか、安物のドラマか映画みたいなシーン、見せちゃったね。恥ずかしいな」
「ううん・・・かっこ良かった。・・・でもあの人、もし諦めなかったら・・・」
「大丈夫だよ。俺が守るから・・・」
 清太の髪を撫でていた手を肩に移し、口付けた。
「忘れろよ・・・、あの人のことは全部・・・」
「光樹・・・。今、愛してるって言ったら、信じてくれる・・・?」
 濡れて光る瞳で、清太は言った。
「ああ・・・」
 いつかのように長い口付けを交わしながら、二人は日が落ちていくのを感じていた。

 だが清太の脳裡には、先ほどの潤んだ啓二の目の残像が、何故かいつまでも消えずに残っていた。


END


DISH U
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