二人で、写真を見ていた。
 涼の部屋のベッドのへりに、二人寄り添っている。焼き増ししたバードピアでの写真、その数枚を、涼が持って清太に見せていた。鳥だけのもの、清太と鳥が一緒のもの。中でも清太の手の上に小鳥が乗っている1枚と、二人で写っているそれを青年と少年は長く見ていた。
「もっと撮ればよかったね。二人で、写ってるの・・・」
 清太は可愛らしく言う。涼は頷く。
「でも、やっぱり人前じゃ難しいから・・・。あの時、俺たちはまだ・・・」
 今ほど互いを想い合うようには、なっていなかった。自分はまだ、彼に遠慮していた。
「それ、どうする? しまえるもの何かあるかな?」
「ううん、今日はスケジュール帳も何も持ってこなかったんだ。ジーンズのポケットじゃ、曲がっちゃうよね」
「じゃあ・・・封筒にでも入れてく? 茶封筒しかないけど・・・」
 立ち上がり、涼は机の引出しから長3の封筒を取り出した。「じゃあ、お願い」と言う清太から写真を受け取り、中に滑り込ませた。「後で渡すよ」と、涼は一旦机の上にそれを置いた。

 戻ると、柄入りの半袖シャツを着た清太の肩を抱き寄せる。清太はちょっと身を竦ませたが、すぐに膝とお尻を動かして、よりそばに寄ってきた。そう、素直に・・・。
 今、彼はすぐそばにいる。確かに、その肌に触れている。
 抱いていないと、肌の温もりを感じていないと不安になる。
 帰ったら今の写真を、スケジュール帳の中の光樹のそれと、替えてはくれないのだろうか。自分はまだ、清太から光樹と別れる決心をしたということを、聞いていない。武司と別れたのは聞き、知っているが・・・。あの映画を観た日の後も、彼は火曜にあの男のもとへと行ってしまった。当たり前のように・・・。今日清太をここへ誘うために先日ベルを鳴らし、電話で話した時、気になって自分から聞いてしまったのだ。今彼は、まだ二人の男の間を行き来している。自分は弄ばれている、とは思わないが、やはりそれは苦しかった。

 何故彼は、いつも同時に複数の男と付き合おうとするのだろうか。求めているのは、彼に群がる男たちのほうなのかもしれないのだが・・・。彼から求めることは、あまりない。
 愛していても、彼の心の不透明さは変わらなかった。いやむしろ、付き合い始めてからのほうが分からない。
 自分には彼しかいないのに、清太は・・・。自分だけを見てほしい。愛してほしい。それには、自分が惜しみなく愛を与えるしかないのか。愛し続けるしかないのか。焦っては、いけないのか・・・。

 彼の肩を抱きながらも思い悩んでいると、清太が口を開いた。
「この間・・・涼カタログ買ってたよね。あれ、見せてくれる・・・?」
「あ、ああ・・・そこに・・・」
 また立ち上がり、今度は本棚に向かう。清太も後についてきた。二人で棚の前に立つ。腰のあたりに来る段から、涼はそれを取り出した。A4よりも一回り大きい、正方形に近い形をした本だった。清太はその横で、棚の各段に並んだ背表紙を眺めている。
「涼ってほんと、美術が好きなんだね」
 そこには雑誌や小説などもあったが、いろんな画集や美術論文、エッセイがぎっしりと詰まっているのが特に目立っていた。美術館へ行った日に涼が車の中で言っていた、モローなど世紀末象徴美術の画家を扱った本もある。背表紙の中には、英語で書かれたタイトルのものもあった。

「なんだか難しそう・・・。涼って、大学で何勉強してるんだっけ?」
「哲学科で、俺は美学を主にやってるんだ。武司は心理学のほうで・・・。でも同じ科だから、専門科目なんかは一緒に授業を受けることもあるよ。大学って、自分で科目決められるし・・・。選択科目が色々あって・・・」
 涼はカタログをパラパラめくりながら、説明した。
「ふうん・・・。僕も一応、大学は行きたいなって思ってるけど、具体的にはまだ決めてないんだ」
「そう。あ、他には? 見たい本ある?」
 それでも、少しずつでも自分のことを話してくれるようになった清太に、涼は嬉しさを感じていた。  清太は軽く首を横に振った。
「とりあえず、それだけでいいよ」

 二人再び元の場所へ落ち着くと、涼は互いの片膝の上に本が半分ずつ載るようにした。まずは表紙の『接吻』を見る。それは部分だけを拡大したものだった。恍惚とした女の顔がアップになっている。左手で支え、右手で中をめくると、展覧会の時と同じように作者の肖像写真が顔を覗かせた。そして解説、図録と、これもやはり展覧会の順路そのままに編集されていた。初めのほうの裸婦デッサンなどは、清太が嫌がっていたので涼は適当に素早くめくった。1枚、1枚、当日のことを思い出しながら二人は絵を見ていった。

「やっぱり、きれいだね。女の人の髪とか、表情とか・・・。時々怖い時もあるけど」
 清太が覗き込みながら言う。その美しい横顔が間近にあることが、涼はまだ信じられない気持ちだった。瞬きする時、まつ毛の長さが特に目立つ。そこに前髪がかかる。鼻の稜線も、涼にとって理想的なカーブを描いていた。唇は少女のように赤く、ふっくらとしている。白く赤味の差した頬にも、艶のある栗色の髪がかかる。横の髪が前下がりの、ボブカット。――この美しい彼は、今自分の恋人なのだ・・・。
「俺、この人の描く目の感じが好きなんだ。生きてるって感じがしてさ」
 軽い浮遊感を心から取り除き、涼は清太の投げかけた会話に色を添えた。

 そして、『接吻』が現れる。
 二人を繋いだ、貴重で大切な1枚が・・・。
 二人は自然と身構えた。じっと、見つめる。いくら見ていても、その絵からは新たな感動が生まれるような気がした。崖の縁に立ちながらも、酔うように愛し合う二人・・・。窓越しに注いでくる、外からの真夏の昼の光を受けて、それは光り輝くかのようだった。
 涼は本の下方に置いていた右手を、清太の左手の上に載せた。離すと、カタログを閉じてベッドの下へ置いた。先ほどよりも強く、清太を片手で抱き寄せる。支えを失い、彼は相手の胸に手を置いた。瞳を覗き込むと、許諾の意志が表れていた。彼の後頭部に手を回し、覆い被さるように唇を重ねた。清太は目を閉じる。舌を求めると、拒まずにからませてくる。

「ん、涼・・・」
「清太・・・」
 呼吸のため時折濡れた唇を離し、二人は互いの名を呼んだ。
 座ったままキスを続け、最初のうちは涼が清太を脱がせ、ジーンズと下着は自分で脱いだ。涼は全て自分で脱ぐ。ベッドの下には、互いの服が乱暴に散らばっていた。
「でも・・・シャワー・・・」
 シーツの上に組み伏せられながら、清太は戸惑いがちに呟いた。
「そんなのいい」
 今度は歯がぶつかり合うような勢いで、涼は彼の唇にむしゃぶりついた。
 彼の中に入ってからも、清太は自分の求めるままに素直に応じた。涼もその時は、自分が愛されていると感じた。今も彼は、自分の分身をきつく締め付けてきている。
「あ、ああ・・・涼・・・好き・・・っ、好き・・・っ!」
 両脚を大胆に開き枕の端を片手で掴みながら、清太は相手のリズムに合わせて自らも動いてきた。

 玉の汗を浮かばせながら濡れた髪を額や頬に張り付かせ、眉を八の字に曲げている彼は、美しかった。普段にも増して・・・。そう、彼はこの時が――交合している時が最も美しいのだ。あどけなく愛くるしい少年の顔をどこかに押しやり、代わりに現れる妖艶な、娼婦のような顔・・・。だから男は夢中になるのか。彼を愛し、どうしようもなくなってしまうのか。なんて罪な存在なのだろう。
 涼は徐々に暴力的になっていく自分を覚えた。彼の脚をより深く曲げさせ、清太を激しく突く。
「清太、愛してる・・・」
 そう囁くが、やはり彼からの同じ言葉の応えは聞くことができなかった。――


The Flow Of The Waters