気の早い桜のために、景色は春らしくないものになっていた。道に立っている桜の木々を見ると、その枝先には、まだ懸命にしがみついている花が申し訳程度に見えるだけだ。主を失った赤い”がく”がその代わりにそろって顔を見せている。中には、もうはらはらと樹下に落ちているものもある。
 高校の校舎が見えてきた。校庭の周りに植えられた桜の木も、同様な姿だ。新入生たちもその父兄もこの桜を見て、さぞがっかりしたことだろう。

「今年もまた、一緒だといいな」
 横を歩く春樹が、俺のほうを見て言う。
「ああ。あと1年だもんな・・・」
 俺は感慨深げに答える。

 あれから、俺たちはまだ”二度目”を迎えていなかった。春休みの間、一度だけ春樹の家へ遊びに行き、その時、機会が訪れたかにみえたのだが・・・。
 彼の部屋でテレビゲームをし終わった後、全然そういう雰囲気じゃないのに、いきなり彼が抱きついてきた。俺はびっくりして、思わず拒んでしまったのだ。その時は、彼の家族も家にいたし・・・。――彼はその場で謝った。
 そのまま流されて、”やりたいからやる”みたいな関係になることが、俺は怖かったし、嫌だった。
 春樹は俺のなんだろう。ただの友達・・・ではない、今は・・・。かといって、”彼氏”なんて言葉を使うのも嫌な感じがする。俺は女じゃないし・・・。”恋人”なんてのも、今はまだしっくりこないし、恥ずかしい。でも、彼を失ったら悲しい。いつもそばにいたい。どんな言葉を使うにしても、ただ、今までと同じように対等な関係でいられたら、と思う。

 坂道を上がり、校門を目指す。入学式を終えたばかりの男女の1年生も、真新しい制服に身を包んで、先輩たちに混じって一緒に坂を上がっている。なんだか、微笑ましい気分になった。2年前の俺たちも、こんなふうだったのだろうか。その坂にも、赤い桜の”がく”が落ちてきている。これがもう少しすると、赤い絨毯になるのだろう。そして、落ちた”がく”の後から、今度は緑色の葉が顔を覗かせてくるのだ。まだ4月だというのに・・・。

 二人で校門をくぐる。
「掲示板って、下駄箱んとこの外だったよな」
 春樹が肩から提げたカバンの肩紐を上げながら、言った。
「ああ。去年と一緒だろ」
 クラス替えの発表は、毎年こうして掲示板に張り出されることで行われることになっている。
 どきどきしながら校庭を横切っていく。と、遠くに、ピンク色のひと塊(かたまり)を俺は見つけた。学校の周りに植えられた桜の木は、前述したようにすでに花が散っているのだが、その端に1本だけ、違う花の木が立っているのだ。一瞬あれも桜かな、と思ったが、どうも違う。今まではたいして気にも留めたことがなかったのだが、今日は何故か気になる。なんという花なのだろうか・・・?

 そう考えるうち、掲示板の前に着いた。春樹が少し走って、先に見に行った。
「ちくしょう、なんでだよ!?」
 見るなり、彼は悔しそうに小さく叫んだ。俺もすぐ追いついて、見た。
 俺は3年1組。春樹の名前を探した。――だが、そこにはなかった。俺は見間違いかと思って、もう一度しっかりと掲示板を見た。――が、やはりない。
 横に視線を滑らせ、やっと見つけた。――彼は3組だった。
 俺は一瞬、自分がふらついたような気がした。
「ち、がうんだ・・・今年・・・」
 俺は下を向いて、力なく言った。
 3年生は受験の関係で、文系クラスと理数系クラスとに分けられる。文系は4クラス、理数系は2クラス。俺も春樹も文系だから、同じクラスか、せめて隣になる可能性は高かった。隣同士なら、合同の授業もある。しかし、1組と3組とでは、それがない。

「こんなのってあるかよ・・・」
 春樹はさらに残念そうに、言葉を吐いた。
 俺も、何を言ったらいいのか分からない。
 二人、2年間同じクラスだったのに・・・。俺は運命を呪った。あと1年しかない高校生活なのに、春樹と一緒に過ごせないなんて・・・。
 それでも俺はなんとか元気を出して、口を開いた。
「・・・でも、休み時間とか、登下校は一緒にいられるじゃんか。昼休みだって・・・」
「お前、それで満足なのかよ?」
 春樹は少しこちらを睨んで言った。
「だって、・・・仕方ないじゃん。もう決まっちまったことだし・・・」
 本当は俺も悔しくて泣けてきそうだったが、どうしようもない。俺は続けた。
「とりあえず、教室に行こうぜ。後で、また話そう」
 彼の肩を叩いて、俺は下駄箱へ向かって歩き出した。今は彼を元気付けたかったから・・・。


 新しい教室へ着くと、見覚えのある顔ぶれも中にはいた。
「よう。また一緒だな」
 俺を認めると、すぐに近寄ってきた奴がいる。彰(あきら)だった。こいつは2年の時同じ2組だった奴で、こいつと春樹を入れて、何人かでよくつるんでいた。この彰がバスケ部員で、その繋がりで俺たちは東条先輩と知り合った。先輩には、よくおごってもらったり遊んでもらったりした。俺と春樹とは、3年間帰宅部になりそうだが。
「ああ。よろしくな」
 俺は笑って答えた。
「春樹、3組なんだよな。・・・寂しいな」
「うん・・・」
 他人から改めて言われ、俺は気が滅入った。
「でも、春樹も入れてまた遊ぼうな」
 だがまた空元気を出して、俺は彰に言った。
「そうだな。あ、今日始業式終わったら、カラオケ行かねえ? 春樹とか勝彦(かつひこ)も誘ってさ」
「カラオケ? うん、行く!」
 友人の思わぬ提案に嬉しくなって、俺は顔をほころばせた。勝彦というのは、これもまた同じ2組だった奴だ。彼は、今年も2組になった。

 チャイムが鳴り、新しい担任が入ってきた。今まで、世界史を教わっていた永田先生だ。40代半ばで、ちょっと中年太りだが授業は面白く、まあまあ生徒から人気はある。顔もそれほど悪くはない。”気のいいお父さん”って感じの人だ。
 俺たちは、黒板に貼ってあった座席表をもとに、それぞれの席に着いた。俺は割と後ろのほうの席だ。彰は真中辺り。
 先生が、定番通りな新学期の挨拶をした。そして、1学期のスケジュールが書かれたプリントを配る。4月は身体測定、5月の終わりに中間試験、6月に体育祭。そんな中、進路説明会や個人面談など、嫌な文字も見えた。とうとう受験か・・・と思うと、気分が落ち込んだ。春樹が同じ教室にいない1年間・・・受験と戦わなきゃいけない1年間・・・耐えられるだろうか、俺に。
 永田先生がプリントの説明をし、腕時計を見た。
「自己紹介をしてる時間はないな。じゃ、始業式が終わった後で、な。さあ、廊下へ出て、みんな」
 と、「え〜」とか、「今更自己紹介なんていいよ〜」とかいう、男女生徒の嫌そうな声が聞こえてきた。先生の、こういうところをしっかりやっておかないと済まない性格が、ちょっと生徒から嫌がられていた。


 廊下を歩いて、体育館へと向かう。その途中の窓から、先ほど気になった花の木が見えた。名前を知りたいな、と思った。
 廊下の先を見ると、春樹の後ろ姿があった。生徒はきちんと並んで歩いているわけではないから、俺は小走りで彼のほうへ近づいていった。肩を叩いた。
「春樹」
 思わず、声が弾んでしまった。彼はすぐに笑顔で振り向いてくれた。
「彰がさ、今日学校終わったらみんなでカラオケ行こうって。行くだろ?」
「へえ。どっかで待ち合わせてる?」
 二人、並んで歩いた。
「ううん。それはまだ。下駄箱出たとこでいいかな?」
「ああ。終わったら、すぐ行くよ」
 その答えに、俺は心が晴れた。

 始業式の間、俺はずっとこの後の楽しみを考えていた。何を歌おうか、春樹と一緒に何か歌えたらいいな、とわくわくしていた。ふと3組の並んでいる辺りを見るが、春樹のほうが背が高いので、並び順は後ろのほうらしく、俺からはそのままだと見えない。振り向きたいが、校長が挨拶している時で、みんな静かに聞いているので、目立ってしまうだろう。ここの生徒たちは、こういう時は割と真面目なのだ。あんまり話が長い時は、私語が始まってしまうのだが。
 だが、校歌斉唱の前、生徒がちょっとがやがやしている時に、やっと振り向いて春樹のほうを見た。彼もすぐ気付いて、目が合うと微笑んでくれた。

 新しいクラスで憂鬱な自己紹介を終え、帰りの挨拶を先生がすると、一斉に生徒は席を立ち、新しい仲間や今までの仲間に声をかけたりしていた。その声は騒がしい。
 彰が来た。
「俺ちょっとさ、トイレ行ってから行くから、先に待っててくれよ」
「あ、そう。分かった」
 それで、隣の勝彦をまだ誘ってなかったことに気付いたので、2組へと赴いた。教室の外で彼らのホームルームが終わるのを待ち、出てきたところで声をかけた。彼も喜んでついて来た。
 二人で校舎のすぐ外で待っていると、最初に彰が来た。
「春樹は? まだ?」
「うん。何やってんだろ」
 勝彦が言う。と、すぐに春樹は来た。手を振っている。
「ごめん。センセの話が長くてさ」
 彼はおどけて笑った。  やっと、彼とゆっくり並んで歩ける。二人だけの話は、できないけれど・・・。

 4人で、駅前のカラオケ店へと向かった。
 ほかの二人は、俺たちのことを知らない。俺たちのほうからも、誰にも関係が変わったことを話す気はなかった。学校では、今まで通りに過ごしたい。
 4人は歩きながら、他愛ないことを話していた。彰が新しいクラスにいる、女生徒の話をした。可愛い子いた? と、勝彦が俺に聞いてくる。俺は、適当に答えておいた。
 実は今日、女子のことなんてまるで見ていなかった。考えるのは春樹のことばかりで・・・。俺は彼に抱かれてからというもの、女のことは眼中になくなってしまった。
 それまでは、自分の最初の相手は女になるだろうと思っていた。ほかの同級生の男子同様、女の体に興味があったし、好きになったりもした。実際に付き合ったことはないのだが・・・。俺は女の子に対しても、自分から告白できるタイプではなかった。なんとなくいいな、と思う子がいても、いつも見ているだけで終わってしまうのだ。向こうから、というのは今のところない。きっと女の子から見たら、俺は男らしくなくて、頼りないのだろう。


春愁い