『土曜にあいたい 返事を ケイジ』
 清太のポケベルの画面には、そう表示されていた。
 月曜の、夜10時頃だった。
『この間逢ったばかりなのに・・・』
 画面を見ながら、清太は困惑した。
 しばらくベッドのへりに腰かけ、パジャマ姿でじっとしていた。9月も半ばを過ぎた夜、部屋の中はしんと静まりかえり、カーテンをした窓の外は、虫の音の大合唱が続いていた。

 先週の木曜に、二人は逢った。逢って、抱き合った。新宿のあの街にある、ホテルで。
 あの日も、彼は激しかった。清太はそんな啓二に、感じてしまった。
 あの時の快感の余韻がまだ、体に、心に残っている、そんな夜。
 啓二からの飽きることのない誘い。ここのところ、日ごとにその回数は増えてきていた。ベルが鳴る度、清太は緊張した。それが学校の友人や光樹からのものだと安心するのだが、啓二だと分かると、しばらく暗い気持ちになった。
 彼の体に惹かれ、自分の体が彼を求めているのは事実だった。しかし、彼に抱かれると淫らになってしまう。光樹に抱かれる時よりも、理性は解かれてしまう。そんな自分を認めるのが、嫌だった。だからいつも、啓二からのベルが怖かった。

 そして今日も、ベルは鳴った。
 土曜に、啓二と逢うべきか否か。
 その日は光樹との約束はなかった。できれば清太は、今度は光樹と逢いたかった。だが、今週末は彼はサーフィンの予定が入っており、逢えない。
 啓二からの誘いを断れば、今週は誰と肌を合わせることもなく過ごすことになる。キスをすることもなく・・・。
 清太は迷った。
 たまには清浄な週末を過ごすことも、必要なのではないか。普通の高校生らしく、友人と遊ぶか、家でゆっくりと過ごすかすることも・・・。

 清太は左手に持っていた青いポケベルを、シーツの上に置いた。そしてふと、唇に右手の指先を当てた。その唇は乾いていた。彼は一度唇を内側に折り、なめて濡らした。潤いは蘇った。
『キス、したい・・・』
 心に、そんな言葉が生まれた。
 誰とも抱き合わず、また週が明けて学校へ通う日々を過ごし、啓二か光樹、どちらかの男と逢う。それも良かったが、清太は寂しさを感じた。
 誰か自分を愛してくれる者と二人、週末を過ごす。それが、清太にとって当たり前のことになっていた。愛された記憶を保ちながら、1週間を送ることは、清太にとって幸せだった。それがたとえ、啓二との記憶だったとしても。だから何もない週末など、ほとんどあり得なかった。

 清太は立ち上がり、勉強机の上にあった電話の子機を手に取った。そして、啓二の自宅の番号を押し始めた。呼び出し音は数回で、すぐに取られた。
 受話口の向こうから、何度も体を知った男の応答が聞こえてきた。清太は口を開く。
「あ、啓二さん。今、ベル見たよ・・・」
「清太か。どうだ? 土曜は・・・」
 嬉しげな、また色気のある啓二の声が響く。清太は1、2秒間(ま)を置き、答えた。
「うん、大丈夫。場所は・・・?」


*


『何故こんなところにいる』
 それが、その男の最初の疑問だった。
 片桐透吾(とうご)は広告代理店に勤める25歳で、仕事が終わるとこの店・Rに来て、酒を飲むのが習慣になっていた。会社では自分の性癖は誰にも明かしておらず、同僚や上司の酒の誘いに、どうしても断れない時以外は、ここへ来て同類の話し相手や飲み友達を探し、日々を過ごしていた。

 会社の者と飲む時は、それはそれで楽しかったが、やはり彼らは”違う世界”に棲む者だった。会社には、少なくとも自分の身近には、自分がいる世界について、理解を示す者はいなかった。同僚にだけはいつかは、と思っていたその矢先、その仲の良い同僚にこの世界を否定するようなことを冗談で言われ、それきり透吾は何も言えなくなった。
 自分の恋愛については、どんなことがあっても彼らには漏らす勇気はなく、たとえ酔った勢いでも言わないよう、注意していた。だから透吾は飲み過ぎないよう自制し、酔い潰れる前に家へ帰るようにしていた。彼らに合わせて、女の話を聞いたりしたりしなければならない時も、苦痛だった。

 それに比べ、Rへ来れば同類の仲間がたくさんいて、恋愛の悩みも打ち明けることができるし、その手の冗談を言って笑い合うこともできる。この店へ来ると色んな緊張を解くことができ、彼はとても落ち着いた気分に包まれた。

 そんな時だった。”彼”が店へ姿を現したのは。
 ドアが開き、透吾は何気なくそのほうを振り返った。ドアが開くとすぐに振り向くのが、この店の客の癖になっている。透吾もその一人だった。彼はカウンターで、同年代の仲間一人と飲んでいた。
 そこに立った少年を見て、初めは芸能人でもやってきたのかと思った。しかしいくら頭を巡らせても、その顔を持った者は、テレビでも雑誌でも見かけたことがなかった。彼がそう思った理由は、何より少年の美しさにあった。色白で、大きな目の中の瞳は輝き、鼻筋は通っていて高く、しかし小鼻は小さく、唇は赤い。髪は栗色で、耳が少し見えるボブカットが、店内の明りを受けて艶めく。

「おい、あれ・・・誰だ?」
 透吾は隣の仲間に声をかけた。仲間もドアのほうを見ていた。
「ああ、最近よく見かけるけど・・・、名前は知らない。すごいきれいだよな」
 最後のほうはため息交じりだった。見ると、彼の頬は赤らんでいる。まだ酔うほど、酒は飲んでいないはずなのに。
「芸能人か? 俺は見たことないが・・・」
 すると仲間は笑う。
「何言ってんだ。一般人だよ。まだ高校生らしいな。確かに、目立つよな。テレビに出てたっておかしくない」

「何しに来たんだ?」
「待ち合わせだろう、たぶん」
 二人が話している間、少年は背の高い椅子があるテーブルの一つについた。すると、途端に彼と同年代の少年たちが取り巻く。楽しそうな会話が始まる。取り巻いた少年の一人が、カウンターまでやってきて、オレンジジュースを一つ頼んだ。できあがりを待ち、バーテンダーから渡されたストロー入りのグラスを、小走りで、しかし零さないように元のテーブルに運んでいった。彼らと一際美しい少年との会話は続く。ふと零れた笑顔の、なんと可愛らしいことか。

 そこへまたドアが開き、今度は透吾も知っている少年・愁(しゅう)が現れた。彼は高校2年生、17歳である。髪は茶髪の短髪で、面長、顔立ちは中の上くらいだった。ある日愁のほうから透吾に声をかけてきて、それから二人は話し友達になった。
 愁は入ってきた途端透吾と目が合ったので、こちらへ来るのかと思ったが、彼は先ほどの少年のテーブルへと近付く。透吾が驚いたことには、愁は少年と二言三言言葉を交わした。知り合いだったのだ。

 早く真相が知りたいと、透吾はカウンターにいながら愁が来るのを待ちわびた。やがて彼は来た。
「透吾、来てたんだ。賢さんも、今晩は」
 彼は軽く挨拶した。仲間は賢一といったが、愁はこう呼んでいた。
「学校帰りか?」
 隣のストゥールに腰かけた愁に、透吾は聞いた。
「うん、一度帰って、着替えてきた」
 グレーの長袖のカットソーを着た愁は答えた。彼はすぐに、ジンジャーエールを頼んだ。
「あの子と知り合いなのか?」
 透吾は気になっていた一番のことを、逸る気持ちで聞いた。
「うん、まあね。まだ会って3度目くらいだけど、僕あの子が最初に入ってきた時、ここにいたんだ。もう、びっくりしちゃった。だってあれだけきれいだもんね。今まで見たことない。すぐにあの子の先輩に紹介してもらってさ、話すようになったわけ」
 愁は感情を込めて饒舌に語った。賢一も気になっていたらしく、頷きながら聞いている。

「そうか・・・。それで、あの子の名前は?」
 透吾は続けて聞く。顔だけでなく、ストゥールを愁のほうに向けた。
「清太。清いに、太いって書くんだって。まだ色々聞きたい?」
 興味津々なふうの年上の友人の態度に、愁は内心おかしくなって言った。
「あ、ああ。できれば」
「う〜ん、じゃあね。まず、あの子啓二さんと付き合ってるよ」
 それを聞いた途端、透吾の表情が曇った。
「啓二と・・・」
 恋人がいただけでもショックだが、それがよりにもよってあの男とは、と、透吾は二の句が次げなかった。

 透吾も啓二のことは知っていた。この店の常連で、街の中でもその名を知る者は多かった。年下好きで、彼の目に止まった少年で、落ちない者はなかった。恋人がいる少年でさえ、彼に言葉巧みに誘われると、どんなに拒もうと初めは思っていたとしても、その気持ちは徐々に揺らぎ、最後には啓二に従ってしまい、体を捧げる。恋人を奪われた男たちによって噂は広まり、だから啓二は、同年代やそれより上の年代の男たちからは、嫉妬と羨望の目で見られるようになっていた。

 啓二はそんな自らの行為で恨みを買うことはあったが、暴力沙汰にまではなったことがなかった。それは彼が美貌の持ち主でもあったからだった。男たちは普段から、啓二に憧れてもいた。恋人を奪われた男たちも、彼の美しさと魅力には敵わなかった。恋人の少年をつまみ食いされることはあっても、一度きりの関係で、完全に啓二のものになったりはしなかったので、一夜の過ちと二人を許してしまう傾向があった。それに、怒りを露わにした青年さえも、啓二に見つめられると勢いをなくしてしまう。それはあの男の瞳に力があるせいだと、透吾は誰かから聞いたことがある。

「だからお似合いだよね、あの二人」
 愁は感慨深げに言った。彼はジンジャーエールをストローから吸い込んだ。
『お似合い、だと・・・』
 透吾の心に、何か熱いものが湧いた。それは気持ちの良いものではなかった。嫉妬、か・・・? 今出逢った、言葉も交わしていない少年を対象にして、啓二に・・・?
「透吾、気に入っちゃったんでしょ?」
 不意な愁の言葉に、透吾は思考を止めさせられた。
「何をだ?」
 いらいらとして、聞く。
「あの子・・・清太くんをさ」
 低い声で言われ、透吾の心臓は波打った。言葉にされると、曖昧で不確かだった自分の気持ちが、はっきりと形になっていくような気がした。

「透吾、年下の子好きだもんね。おまけに美形に弱い」
 横の愁は、笑顔でストゥールの上で背を反らせて両腕を正面に伸ばし、手の甲を自分に向けて組み合わせた。8つも下のこの少年は、時々自分を見透かしたような大人びたことを言うので、透吾は扱いにくさを覚えていた。少なくとも、恋人にしたいタイプではない。彼が望むのはもっと少年らしい、幼さを残した、可愛らしさを持つ少年だった。そう、ちょうどあの「清太」のような・・・。
 ここで透吾はまたはっとした。
 まさしく彼は――清太は、透吾の”理想”だった。
 だが時はすでに遅い。彼には啓二という、恋人がいるのだ・・・。


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