透吾には苦い思い出があった。
 かつて、ある一人の、18歳の少年を気に入り、話し相手になった。顔立ちも性格も良く、彼好みで、近いうちにベッドへと誘うつもりだった。いい雰囲気になったらすぐ、と思っていた。
 そこへ、間に入ったのが啓二だった。彼は少年が一人の時に声をかけ、少年はというと、いとも簡単に啓二のものになってしまった。彼にとって自分は、ただの話し相手以上の存在ではなかったらしい。啓二のほうも、自分を少年の恋人だとは思っていなかったのだろう。キスどころか、手を握ったことすらもなかったのだから。自分は啓二も少年も、責める立場にはなかった。いくら悔しくても、だ。
 そんなことがあってから透吾は、より啓二を快くない目で見るようになっていた。店で見かける時も、少年たちに囲まれているのを見ただけで、腹が立った。

「ほんとに付き合ってるのか?」
 あの清太も啓二の術中にはまった一人なのかと思うと、少年が気の毒に思えた。いつかは捨てられてしまうのに・・・。彼を捨てて、また啓二は違う少年へと乗り換えるのだ。人の話によれば、彼はそんなことを繰り返しているらしい。
「ほんとだって。今日も、待ち合わせの相手は啓二さんなんだもん」
 それを聞き、透吾は眉を歪めた。
「じゃ、啓二もこの後ここに来るのか?」
 胸にむかつきを覚えながら、透吾は言葉を吐く。ソルティードッグの入った飲みかけのグラスに、手を伸ばす気にもならない。隣の賢一は聞きながら、アプリコットフィズを飲んでいるが。
「そう。あ〜もう、分かり易すぎだよ透吾、そんな怖い顔しちゃってさー。やっぱ好きになっちゃったんだ、あの子のこと」
「それはまだ分からない。ただ、気になるだけだ」
 自分の中に生まれつつある感情を押し隠して、透吾は語気を強めた。

 ようやくグラスを一口あおり、愁への質問を続けた。
「ところで、あの連中はなんなんだ? あの子の周りの・・・」
 愁はくすっ、と笑った。
「護衛隊」
「護衛隊?」
 言葉を繰り返し、今度は賢一が透吾越しに身を乗り出して笑った。
「・・・ってのは冗談だけど、でも、自然にそうなってるかも。だって清太くん、あれだけ可愛いでしょ? そばで見てるだけで幸せなんだよね。そんな感じで、あの子が来ると自然にみんな集まってくるの。僕もその一人。でもほんと、変な奴が寄って来ないように、守ってる役目も果たしてるかもね」
 彼らの子供っぽい行動に、透吾は呆れてため息をついた。
「でもそれ、分かる気がするな」
 言うと、賢一はまた清太たちのいるテーブルのほうを振り向いた。啓二はまだ来ず、少年たちは楽しそうに笑っている。まるで学校の休み時間のようだ、と賢一につられて振り向いた透吾は思った。

「そういや、あの子いくつだ?」
「15。高1だけど、まだ誕生日来てないから。今度16だって」
「15・・・」
 透吾は小さく呟いた。
 自分と、現時点では10も離れているのか。学年でも9歳差だ。そんな若い子に手を出すことに、啓二は罪悪感を感じなかったのか。あまり人のことはいえないが、自分は15歳の子を抱いたことはまだない。
 それより、あの清太は啓二のことを愛しているのか。あんな年上で、強引な男のことを・・・。彼が啓二と本気で付き合っているなどということは、どうしても受け入れがたかった。

 そうこう考えているうちに、その男、啓二は現れた。ドアが開くと、店内に緊張が走るのが分かった。清太同様、啓二もその店では特別な存在だからだ。グレーのスーツを着て、細かい模様の茶色いネクタイをし、清太の姿を認めると早足で彼の元へと向かう。すると、今まで清太を取り巻いていた周りの少年たちは、清太に軽く声をかけたり会釈をしたりして、ぱらぱらとテーブルを離れていった。元いた場所へと、それぞれ戻る。

 テーブルの横に清太一人になり、彼は高い椅子に座ったまま「啓二さん」と言ったようだった。少し離れているので、声はあまり聞こえない。加えて、店内には騒がしい音楽が流れている。
 透吾は啓二を迎えた時の清太の顔を見て、怪訝に思った。あまり嬉しそうではないのである。どこか、緊張したような表情をした。しかし、それはすぐに隠された。もしかして、啓二とは恋仲ではないのではないか。純粋な恋人同士では・・・。

 啓二は飲み物は頼まず、清太と少しだけ何か話していたかと思うと、少年がジュースを飲み終わるのを待って、彼の肩を抱いてこちらへと来た。レジがあるからである。
 透吾にとって、彼の顔を間近で見る機会が、期せずして訪れた。
「清太くん、出るの?」
 透吾に気を利かせてくれたのか、愁が少年に声をかけた。清太は啓二に肩を抱かれたまま、こちらを振り向いた。透吾の胸は、最初の時以上に高鳴った。それが段々と速くなる。

 先ほど、彼の美しさを芸能人などと比べた自分を、後悔した。彼を上回るような美貌の持ち主は、その世界には存在しない。彼の美は、唯一無二のものだ。目、鼻、口、パーツの一つ一つが、同性を愛するこの世界に棲む全ての男の理想、とでもいえようか。
 間近にすると眉は細くまっすぐで、まつ毛が長く、赤い唇は柔らかそうで、潤いを保っている。髪はさらさらとした直毛で、思わず触れてみたくなりそうだ。肌もきめが細かくすべすべとしていて、頬には赤味が差している。
「うん、愁さん、またね」
 唇から流れた、初めて聞く、彼の声。声変わりしてはいるが、まだ自分たち大人のそれのような低さは持っていない。可愛い声、と透吾は思ってしまった。しかも、言い方がまたあどけないのだった。

「あ、だめ、啓二さん、僕が払うから」
 いつの間にか肩から離れていた啓二の手には、財布があった。ジュース代を払おうとしているのだ。その手を、少年の手が制そうとしている。今の言葉も、その動作も、子供らしかった。
「いや、俺が払う。待たせた詫びだ」
 少年を少し見やると、啓二は財布からコインを何枚か出した。店員はそれを受け取る。
「もう」
 諦めて、清太は両手を下ろした。店員に、頭を下げた。「おいしかった」という意味なのだろう。
「じゃあね」
 レジを離れる時、清太は愁に手を振った。肩はまた啓二に抱かれている。
「うん」
 と愁も手を振って返す。

 二人は、ドアの向こうへと消えた。店内は元の平穏を取り戻す。
 ドアの方角を見つめたまま、透吾は放心していた。
「は〜、ほんと保養だわ、目の。マジきれいだった・・・」
 賢一がため息をつきながら言った。
「いるもんなんだな、あんな子。性格も可愛いっぽいじゃん」
「満点でしょ」
 まるで自分の図画工作を自慢する小学生のように、愁は言った。賢一は無言のまま、うんうんと頷く。
「透吾さーん、もう行きましたよ」
 冗談めかして、賢一は横の透吾に呼びかけた。透吾ははっと姿勢を正した。カウンターのほうに向き直る。
「しかし、羨ましいよな、啓二さん。これからお楽しみだろ、あの子と」
 と賢一。
「そんな言い方するな」
 透吾は下品な友人の発言に、嫌悪を示して言った。賢一と愁は、透吾越しに顔を見合わす。

 胸の鼓動はまだ速いままだ。肩や胸のあたりが、むず痒いような感じがする。頬が、体が、紅潮していくのが分かる。こんな変化を、昔感じたことがある。それは、初恋の時だ。
『どうして現れた?』
 少年の出現、その出逢いに、透吾は怒りにも似たものを感じた。それは、自分の中のあるものを奪われたからだ。そう、心を・・・。こんな激しい感情に包まれたことは、かつてなかった。

 ただ美しいというだけなら、観賞物としての価値しかないが、彼の何よりの特徴は、性的魅力をも併せ持っている、ということだ。
 彼には抱く価値があった。
 だから啓二も目を付けた。
 啓二に肩を抱かれて去る少年には、色香があった。自分はそれを感じ取った。
 それは、彼の瞳の中に潜んでいた。無邪気な輝きの中に隠された、妖艶な色気を湛えたその瞳・・・。啓二もこれを感じ取ったのか。

「透吾・・・?」
 テーブルの上で両手を組み、俯いて口をつぐんでしまった彼に、愁が顔を覗き込むようにして声をかけた。
「惚れたんだね・・・?」
 何故か包み込むような優しさを持って、愁は言った。
 透吾は黙ったまま、ゆっくりと頷く。


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