「そんなに大事か、あいつが・・・」
 が、啓二は怒るふうでもなく、静かに口を開いた。
「うん・・・」
「こんなに逢って、散々抱き合っても、お前は変わらないのか、お前は、俺のほうは向いてくれないのか?」
 また啓二は、切なげな表情を見せた。少年の右手の上に、自分の手を重ねた。

「ごめん・・・啓二さん・・・。勝手なのは、僕だよね・・・」
 重ねられた手をそのままにして、清太は言った。
 青年は、首を横に振って、ため息をついた。手を離した。
「そんなことはない。お前がシャワーを浴びている間、俺も考えた。お前に嫌われる部分も、あったかもしれないと・・・。だが俺は、お前を失くして、どう生きていけばいいんだ? それだけ教えてくれ」
 真っ直ぐに、啓二は見つめてきた。
「啓二さん・・・」
「俺には、お前のいない未来なんて、ありえないんだ。なあ、どうすればいい?」
 啓二は少年の肩を両手で掴んだ。勢いで、清太は押し倒されてしまった。しかし、清太は抵抗しない。仰向けにされたまま、下から、青年を見つめる。彼を見ていると、急にたまらなく、切なくなった。

「啓二さん、キスして・・・」
「清太・・・」
 青年は驚きの表情を見せた。少年は、構わずに相手の頭部を引き寄せた。
「キス、して・・・」
「清太・・・」
 啓二は戸惑ったが、言われるままに、少年のそれに唇を重ねた。舌は清太のほうから、絡ませた。まるでこれから、新たな交合がこの先に待っているかのような、甘い蜜のような、長い口付けだった。

 唇が離れると、熱い目で、彼を見つめる清太。
「僕は、あんたとのキスは好きだった。それだけは本当だよ」
 そう言われ、青年は悲しげに表情を崩した。
「清太・・・。清太、清太・・・」
 くず折れ、少年を抱きしめてくる啓二。彼は少年の胸に、顔を埋めた。
 こんな時に限って、彼を”愛しい”と清太は思ってしまった。しかし、別れなければならないのだ。

 啓二は本当は、弱いのかもしれない。いつも強気で強引で、大人だと思っていたのに、内面はガラスのように脆いのが、彼という男だったのかもしれない。
 清太は彼の背中に手を伸ばし、抱きしめた。それは恋人に対する気持ちよりも、母親が子供に対する時の気持ちに、近い気がした。

 自分の中に理想の啓二がいて、それに惚れているのに、現実の啓二は、決してそうではなかった。
 では理想の啓二とはなんなのだ?  それは、”大人の男””完璧な男”だ。
 抱き合っている時の啓二は、理想そのものだった。だから、身も心も許せた。自分はその幻影に、恋をしていたのか? 彼を愛しているのではという錯覚も、そこからきていたのかもしれない。

「啓二さん・・・」
 彼を下から抱いたまま、清太は口を開いた。
「まだ僕を愛してる・・・?」
「ああ、当たり前だ。お前が俺の中から消えることなんて、ない」
 青年は声を震わせた。
「でもあんたが愛してるのは、目の前の僕じゃなくて、”自分だけを愛してくれる清太”なんでしょ? それはどこにもいないんだって、気付いてよ。僕にはできない・・・」
「清太・・・」

 だから彼は、自分と暮らすなど、幻想を抱けたのだろう。お互い、目の前の実在ではなく、相手の幻影に恋をしていただけではないのだろうか。それを愛を呼べるのだろうか。そんな実を結ばない、想いなど・・・。
 しかし清太にとって光樹は、現実の彼も理想の彼も、同じ一つの存在だった。

 青年は起き上がり、少年から離れた。ローブのまま、ベッドのへりに座る。
「そうか、いないのか、どこにも・・・」
 自嘲気味に、頭を片手で抱え、啓二は笑った。そして少年のほうを向く。
「俺は依存していたのか? お前に・・・」
「啓二さん・・・」
 清太も起き上がり、彼の横に座った。
「俺は、お前なしには生きられないようになってしまった。一日中お前のことを考え、仕事も手につかない時だってあった。お前を抱ける時は、何よりも幸せを感じた」

 啓二は膝の間で両手を組み、話を続ける。少年は、黙って耳を傾ける。
「でも、俺がお前を求めれば求めるほど、お前は、お前の気持ちは、俺から離れていってたんだな。俺に抱かれてる時のお前が、全てじゃなかったってことか」
 彼が苦しそうに見え、清太は思わず、青年の手に、自分の手を重ねた。青年は、されるがままにした。
  「結局、俺はお前を力で手に入れて、ねじ伏せようとしていたんだな。そんな俺を、お前が好きになるわけがない・・・。今頃、気付くなんてな・・・」
 こんなにまともな話をする啓二を見るのは初めてなので、清太は戸惑った。彼の肩に手をかけようとしたが、思いとどまった。優しくしていいのかどうか、分からなかったから・・・。

「無理だったんだな、最初から・・・」
 青年は溜息をつくように首を横に振り、自嘲した。
「啓二さん・・・」
 ようやく、分かってくれたのかと、清太は内心胸をなで下ろしながらも、申し訳ない気持ちにもなった。
 啓二は、立ち上がった。清太は彼を見上げた。
「・・・分かった。もういい、もうお前を追わない。お前がこっちを向かないなら、何をしたって無駄だ」
「啓二さん・・・。別れて、くれるの・・・?」
「そうするしか、ないんだろう?」

「ごめん・・・」
 清太は俯いた。何故か、何度も謝ってしまう。
「謝るな。ひどかったのは、俺だ。・・・大丈夫だ。お前なしでも、生きていかなきゃな」
 啓二は笑顔を作った。それが、少年の胸を刺した。別れが辛い気持ちが、少しでも自分の中にあるのだろうか。しかしこの恋は幻想だったのだと、互いに分かったではないかと、自分に言い聞かせた。

「もう、帰るなら、玄関まで送る」
 青年はそんな少年の心中を読み取ったのか分からないが、言った。
「え・・・う、うん・・・」
 少年は戸惑いつつ、立った。
啓二の後について寝室を出て、カバンを手に持ち、玄関へと向かった。靴を履き、また彼と向き合う。

「じゃあ、啓二さん・・・」
「ああ」
「あの、本当にこれで、終われるの? 信じていいの?」
「何度も言わせるな。もう、追わないさ。最後だ」
「ん・・・じゃあ、さようなら・・・啓二さん・・・」
 ドアのほうを向き、鍵を開けて、ノブをひねった。ドアを開け、灯りのついた廊下を見た。そしてノブを持ったまま、また啓二のほうを向いた。
「さようなら」
「ああ、さようならだ、清太」
 ドアを閉め、啓二の顔は見えなくなった。

 これで、これでやっと、彼から解放された。まだ信じられない気持ちのまま、清太は廊下を1歩1歩、踏みしめるように歩いた。
 胸に思い描くのは、恋人、光樹の優しい顔だった。彼を裏切り続けていたのは自分なのに、その罪は消えることがないのに、切ないほどに、懐かしい気持ちがした。
 一つの幻想が終わり、これからは、現実の存在だけを愛して、生きていける。
 しかしそれでもこの先、啓二の存在が澱のように自分の中に残っていくような予感は、沸いた。


END


Taboo Words
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