清太は、すでに酩酊していた。膝から崩れそうになって、啓二に体を支えられた。唇が離れたので、少年は荒くなった息を整えた。
「清太・・・」
 啓二は声をかけたが、恥ずかしさで、すぐには彼の目を見られなかった。しかし数秒して、彼の腕に手を添えたまま、男の目を見つめた。また軽く口付け合うと、啓二は少年の背中に手を回しながら、「窓へ行こう」と言った。
 すぐにでも抱き合いたいと、気持ちが高ぶっていた清太は、彼はまだそうではないのかと、少し面食らったが、歩いていくうちに外の景色が近付いてきて、熱は幾分か冷めた。

 東京の高層ビルの窓明りや、眼下を行き交う車のヘッドライトなどが輝く、目の眩む夜景が広がっていた。
「わあ・・・」
 この場にそぐわない子供っぽい声を、清太は思わず上げてしまった。
「凄いね。きれい・・・」
 彼に肩を抱かれたまま、少年は青年に寄り添った。横にいる男は恋人ではないのに、自然とそうしたくなったのだった。
 夜のビルは、個々の窓から零れる明りによってその形が描かれるのだと、改めて思った。

「座って眺めないか」
 青年は言って、窓際にある一人掛けのソファーに座った。テーブルを挟んで、向かい側のソファーに少年も座った。体が適度に沈んで、座り心地は、すこぶる良かった。彼は肘掛に腕を載せて自分の斜め後ろの景色を見、少年は彼の後ろの景色を見た。今自分たちが見ている夜景は、それぞれ違うものだろう。清太は視線をずらし、彼の顔を見た。
 その美しさに、計らず、胸が熱くなった。いつもは抱き合うことばかり考えてしまい、見逃しがちなのだが、彼が美しい青年であることを、この瞬間に、少年は再認識した。最近は彼の嫌な一面も目立ってきたので、余計に忘れていた。前髪を少し残して、きれいに後ろに流されている髪も、外からの明りに照らされ、魅力的に少年の目に映った。

「啓二さん」
 気持ちを落ち着けさせるため、清太は声をかけた。その整った顔を、彼に言葉を発させることで崩してみたくなった。
「なんだ?」
 彼は視線をこちらに移した。少年の思惑は外れ、彼は流し目のように瞳を動かしてきた。美しさに、色気が加わり、少年の心を戸惑わせた。
「あの、このホテル、よく来るの?」
 清太はこちらの気持ちを読まれないように願いながら、聞いた。
「ああ、まあな」
「そう。素敵だね、ここ」
 誰かと、と聞くつもりはなかったので、少年は短く会話をまとめた。仕事で泊まっただけかもしれないが、自分と出逢う以前のことは、今はあまり詮索したくなかった。

 それにしても、妙だった。
 彼とその手のホテルへ入った時は、いつもシャワーもそこそこに、すぐ抱き合い始めるのに、今日の彼は、やたらと落ち着いている。先程までの熱い口付けは、なんだったのか。少年は次の行動に迷った。と、まだ部屋の灯りを点けていなかったことに気付き、ドアのほうへ行き、スイッチを探した。見つけ、点けた。振り向くと、啓二は灯りの下、まだソファーの背にもたれたまま、こちらを見ている。部屋が明るくなったので、彼の顔もはっきりと見え、スーツの濃紺色も映えた。

「何か、飲み物でも飲むか?」
 啓二はやっと立ち上がり、冷蔵庫のほうへ歩いた。
「ううん、後でいい」
 清太はわざと、バスルームの前で立ち止まり、待った。彼はこちらへ来て、また頬に手を触れた。
「熱いな」
 彼は微笑んだ。目を見つめて言われ、少年の頬には赤味が差した。

 少年の肩を抱いたまま、啓二はバスルームへのドアを開けた。そこは、洗面台が右手にあり、正面にバスタブの置かれたスペースと、その横にシャワーブースがあった。トイレは別になっていた。シャワーブースは一人用で、二人で一緒に入れると思っていた清太は、残念さを覚えた。
「先に入るといい。俺はお前の後で入る」
 言って、啓二は少年から離れ、ドアへ向かった。が、閉める前にドアを半分開けた状態で、顔を覗かせた。
「せっかく来たんだ。ゆっくり入れよ」
 そうして、彼は閉めた。彼はとうに、こちらの焦りに気付いていた。恥ずかしさを抱えたまま、少年は一人、シャワーを浴びた。

 清太が髪も乾かし、白いローブを着てバスルームから出ると、聞きなれない声が、耳に入ってきた。
 ドアをきっちりと閉め、声のするほうを見ると、ベッドのへりに彼が腰かけ、背中を見せながら、携帯電話で誰かと話していた。「はい、はい」というその声は、余所行きのものだった。少し言葉遣いや彼の受け答えを聞くと、仕事上の電話をしているようだった。
 その声を聞いて清太は、今までとは違う種類の、胸の熱さを覚えた。自分には聞かせたことのないトーンの、その声。彼が仕事をしている時はいつもこんな感じなのかと、彼の新たな一面を垣間見た気持ちだった。やがて啓二は電話を切り、こちらに気付いた。電話をベッドサイドのテーブルに置き、ネクタイを緩めながら歩いてきた。

「誰? 仕事の人?」
 清太は、遠慮なく聞いた。
「ああ。明日、このホテルのラウンジで会うんでな。商談相手だ」
「ここで? あの、大丈夫なの?」
 もし、先方に自分と泊まっていることが知られたら、大ごとなのではないかと、清太は心配した。
「ああ、心配ない。お前と別れた後のことだからな」
「そうなの」
 清太はここで、俯いた。
 自分のためだけにこのホテルを予約してくれた、と思っていたのに、本当は仕事がメインだったのだと、消沈していた。しかしその気持ちを、口にはできなかった。

 彼がシャワーを浴びている間、彼が飲んでもいいと言うので、冷蔵庫からコーラを出して、ソファーに腰かけて飲んだ。飲み終えると、バスローブを脱いでそのソファーにかけ、ダブルベッドの布団を上げ、中に滑り込んだ。彼に脱がせてもらおうかとも考えたが、その時間も惜しくなっていた。白い枕に頭を預けると、ベッドメイクを終えたばかりの、清潔な香りがした。ベッドも、安眠できそうな心地良さで、一瞬うとうとしそうになったが、寝てしまってはいけないと、起き上がった。
 ベッドの枕側の壁には、花の油絵が飾られていた。それは薔薇の絵で、赤やピンクの花びらがうねるように表現され、匂い立つような妖艶さを、清太は見て取った。布団を被り、両腕でベッドを支えている姿勢でいたが、絵を見ていたら疲れたので、枕にクッションも添えて、脚を伸ばして座った。

 夜景に目をやった時、カーテンを閉じていないことに焦った。灯りも、点けたままだ。が、それは後で啓二に頼もうと思った。
 それにしても、仕事の相手とこのホテルで会うなんて、そんな危険な橋を渡って、本当に大丈夫なのだろうか。彼はいつも、仕事関係の人間にはばれないように、おそらくは気を付けながら生活している。もし知られたら、信用を失うのに。建築士のようなフリーの仕事をしているのなら、尚更だ。
 自分が大人になったら、彼と同じような苦労をしながら、恋人との日々を過ごさなければならないのだろうか。自分たちに対する世間の目が、まだまだ白いことを、少年は知っていた。今でも、周囲の人間たちに隠し続けていることは困難を伴うが、大人のそれは、子供の自分以上だろう。それをうまくやってのけている啓二を、少年は尊敬した。

 憂鬱な気分を消したいのと、彼を待つ間、することもないので、清太はテレビを点けた。旅のバラエティー番組をやっていた。海外旅行を取り上げていた。あまり面白さを感じないので、少年はチャンネルを次々と変えていったが、興味のある番組はやっていなかった。
――いっそ、今日は彼と泊まってしまおうか。
 親には、遅くなるけど帰ると言ってあるので、実際にはできないことだが、清太は、彼と一晩過ごす情景を、思い浮かべた。
 散々愛し合った後、彼の胸に寄り添いながら眠り、朝を迎える。ホテルの朝食サービスを受け、彼と二人でコーヒーを飲む。
 考えたこともない、その情景は、今はさほど嫌ではなかった。まだシャワーから上がってこない彼がとても遠く感じ、早く彼の顔を再び見たくて、仕方がなかった。彼が電車に乗ってきた時のことなど、ほとんど忘れかけていた。こんな非日常の異空間で、頼れるのは彼だけだからか。それとも・・・。

『好き・・・?』
 いや違う、そんなわけはない、と、少年はすぐに否定した。光樹の存在を消し去っていた自分の脳に、怒りを感じた。
 恋人は、光樹だけでいい。啓二とは抱き合うだけでいい。その考えを、復活させようとしていた。


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