防波堤を越えると、その海の反対側はちょっとした憩いの場所みたいになっていて、中心にある噴水の周りを、幾つかのベンチが囲っていた。僕はそのベンチの一つに腰を下ろした。
噴水のすぐ下には、水がはねてもいいように、薄いすり鉢状の皿のような遊び場が設けられ、そこで小学校1、2年生くらいの男の子が2、3人、水遊びをしている。別のベンチに、その母親たちが座って、自分の子供を見ている。さっきここを通った時には、彼らはいなかったのに。
――ここじゃ、二人きりにはなれないな・・・。
他にいい場所はないものだろうか、と思っていると、10分くらいして、ようやく母親たちが子供に声をかけ、彼らは憩いの場から去っていった。
誰もいなくなった噴水の、水の流れを見ているうち、夕方の風が吹いてきた。さらに時間が経った。
――遅いな・・・。
光樹は、まだ着替えているのだろうか。海の家でシャワーを借りて、服を着るだけなのに。
夏なのでまだ日は高いけれど、僕は徐々に心細さを感じた。腕を組み、体を丸めた。水色の半袖シャツから伸びた腕に、風を肌寒く感じていた。
そうしているうち、さっきのあの言葉が蘇ってきた。
「友達の弟」・・・光樹は確かにそう言った。
光樹は嘘をついた。僕の、目の前で。
でも、あの場で本当のことを言うのは・・・。
「ごめん、また待たせて」
気が付くと、僕に光樹の陰が落ちていた。
僕は顔を上げた。彼は黒い、何かの写真プリントがついたTシャツに、薄いグレーの、スウェット素材のアスレチックショーツを着て、青いボードケースに入ったボードを左に、他の荷物が入ったバッグを右に抱えて立っていた。Tシャツの袖からは、僕より太くてたくましい腕が伸びている。
「何してたの?」
「これ(とボードに目をやって)、洗ったりするのに時間かかってたんだ。塩がついたままだと、傷んじまうから・・・」
「そうなの。あの、みんなは?」
「あいつらは車で帰るって。俺も、朝は乗せてもらってたけど、帰りは君と一緒だから。・・・ね、どうする? まず、飯食いに行こうか?」
「まだ早いんじゃない?」
腕時計を見ながら、僕は言った。
「じゃ、とりあえず駅まで行って、その辺の店とかぶらぶら見てようか」
「うん」
僕は頷いた。なぜか二人とも、先ほどの嘘については口にしなかった。どちらかが切り出すのを、待っているかのようにわざと避けていた。
駅に向かって行く時、僕らは人通りの少ない道を選んだ。風は、海にいた時よりは和らいでいる。しばらく行くと光樹が、バッグを一度掛け直して、戻す時に僕の左手をそっと握ってきた。ちょっとためらったけど、誰も見ていないのでそのまま僕も握り返した。
「・・・さっき、ごめんね・・・。嫌だったろ? あんな、嘘・・・」
光樹のほうから、やっと切り出した。僕は握っている手に力を込め、
「・・・いいんだ。あの場じゃ、仕方なかったもの・・・」
と答えた。
「でも・・・」
「いいんだ」
今度は少し強く言った。光樹は黙ってしまい、それから話題を変えた。
今度は、僕が自分に嘘をついていた。
ファミリー・レストランでご飯を食べ終わると、コーヒーを飲みながら、光樹は何か言いたそうに僕の目を見つめた。まるで、僕の機嫌を伺っているような目で・・・。
「何?」
コーヒーカップを口に運んでいた僕は手を止め、聞いた。
「いや・・・。さっきの・・・さ。ほんとのこと言って。無理しなくて、いいから・・・」
僕はコーヒーカップをテーブルに置いた。彼も置いた。
「またそのこと? もう、いいって言ったじゃない」
「嘘だ。君の目を見れば分かる。・・・やっぱ、傷つけちゃったよな、俺・・・。後悔してるんだ、今・・・」
「光樹・・・」
「言ってくれ、君の気持ち」
光樹はテーブルの上に置かれていた僕の片手を握った。
「やめて・・・」
僕は手を引っ込め、テーブルの下に隠した。
「清太・・・」
彼にまっすぐに見つめられ、僕は圧される気持ちがした。
「嫌だったんだろ?」
もう、逃げられない。僕は、ゆっくりと頷いた。
「でも・・・でも、しょうがないじゃない。じゃああそこで、光樹は僕のことちゃんと説明できたの、付き合ってるって?」
叫びそうになるのを、必死で抑えた。
「・・・」
「ほら、答えられない。だったら蒸し返さないでよ・・・っ」
「ごめん・・・。俺はただ、謝りたかったんだ」
気が付くと光樹は、苦悩の表情を見せていた。それで僕の、興奮しかけていた感情に歯止めがかかった。
「もう、やめようよ。こんなところでこんな話・・・。出よう、光樹・・・」
「やっと少し暗くなってきたな」
「うん」
店を出る時に吹き込んできた風を受けることで、二人は気分を変えるよう努めた。入り口の前で、二人同時に深呼吸したので、お互い思わず笑った。
「今日、どこ行く? いつものとこに・・・あ、でも、ボード持ってホテルってのもあれだし・・・。俺ん家(ち)来る?」
その言葉に、一瞬胸が高鳴ったが、すぐに思い直した。
「でも・・・あの人は? いつ来るか分からないんでしょ? やだよ、見つかったら・・・」
あの人・・・光樹が半同棲しているという相手。完全に一緒に暮らしてるってわけではないらしくて、しばらく光樹の家に泊まった後、また自分の家に帰るのだそうだ。僕はもちろんまだ、会ったことはない。僕たちの関係は、その人には秘密だから・・・。
「大丈夫だよ。つい二日前までいたけど、もう出ていったし。しばらくは来ないよ」
「どうして分かるの?」
「そりゃ・・・その、真人(まひと)とは長いから・・・」
僕の前でさりげなく口にされたその名前に、ひどく嫉妬心を覚えた。「長い」って言葉にも・・・。僕の割り込めない隙間が、やっぱり二人にはあるんだって思い知らされる気持ちがした。今の言葉に、さっきほどの罪悪感を感じていない様子の光樹にも、むっときてしまった。
「嫌だよ。他の人がちょっと前までいた部屋なんて・・・。光樹、無神経だ」
「あ・・・。そう、だよな、ごめん・・・。だって、君を部屋に呼んだこと、まだないから、この機会にって思っちゃって・・・」
僕は体を、彼に対して横に向けたまま彼を見て、あきれたように息をついた。
「・・・僕、ホテルに行きたい。ホテルがいい」
「でも、ボード・・・まぁ、いいか」
彼はまたボードに目をやりながら言った。
「休憩で」
いつもの、水色の壁をしたホテルに光樹と入った時、フロントで彼はこう言った。少しも迷わずに。
僕は今日は彼と泊まりたかったので後ろから訂正しようとして、彼のTシャツの裾を少し引っ張った。彼は「何?」っていう風に軽く僕を見やった。が、やはり恥ずかしくて言えなかった。
「ついてるね」
部屋に向かう途中、光樹が僕に笑いかけながら言った。ここは4階建てで、今日は4階の一部屋を初めて割り当てられた。4階からは、海が見渡せるのだ。
部屋には鍵を開けた彼が一度下がり、僕を促し、その後に自分も入った。
バスルームの入り口の横に、まずは抱えていたボードとバッグを置いた。
僕は、窓へ向かって歩いていった。カーテンを開け、外を見てみた。
「わぁ・・・ほんとに見えるんだ。すごいよ、光樹も来て」
絨毯と靴が摩擦する音を聞いて、彼の来るのが分かった。彼は僕の横に立った。肩に腕を回されるかと思ったけど、その手はポケットに入れられてしまった。
「ほんとについてる。でも、できれば日の落ちる頃に来たかったな。そしたら夕日が見えたのに」
日はすでに落ち、真っ暗まではまだいかなかったけど、海の色が分からないほどになっていた。
「その代わり、朝日が見られるよ」
そう言いたかったが、言葉を飲み込んでしまった。
僕はカーテンを閉じ、彼の方を見た。
彼と目が合った。
そのまま僕は目を閉じた。彼の両手が、やっと肩に触れるのを感じた。 唇が触れ合った。
彼の手は僕の肩に置かれたままだったので、僕から先に彼の背中に、腕を回した。彼のほうは、僕の頬を両手で覆った。
舌をからませ、互いの唇を求め合う音だけが、暗い部屋に響いた。
暖かい風
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