午後の授業が終わると、二人はともに電車に乗り、まずは新宿駅で降りた。繁華街の中にあるラーメン屋で早目の夕食をとる。丼が空になると、武司は今度は平気で煙草の箱を取り出し、1本にライターで火をつけた。
「で・・・お前はどういうのが好みなんだ? 年上? 年下? それともオヤジか?」
 涼は水を飲んでいたが、思わずコップから口を離し、テーブルの上に置いた。カウンターではなく、4人席だった。
「お前っ。まだそんな話するな、こんなところで・・・」
 周りには、会社帰りのサラリーマンや、彼らと同じような学校帰りの男子学生が集まり始めていた。女性客は少ない。狭い店内で、立ち上る湯気が店内を暑くし、店員の威勢のいい声が飛ぶ昔ながらの雰囲気を持った店だった。
「だって、向こうの店に入ったらゆっくり話できないかもしれねーんだぜ。俺の知り合いが多い店だし、お前新人だから、すぐに誰か声をかけてくるかもしれねぇし。知ってる奴、知らない奴どっちもな。それにお前も、まだ心構えができてねぇかと思ってな」
「心構えなんて・・・。テレビとか雑誌で、知識だけは得てるよ」
「怖くねぇか?」
 武司は煙草の煙を吐いてから聞いた。
「そりゃ、ちょっとは・・・」

 涼がそこまで言いかけると、武司は「お、そうだ」と思い出したように黒いトートバッグから携帯を取り出した。
「もうあいつ、学校終わったかな?」
 そして、どこかへ電話をかける様子だ。
「・・・おお。ヒロか? ・・・ああ。今どこだ? おう、もう着いてるのか。じゃ、待っててくれよ。俺今日、友達一人連れてくからな。新人だ」
 そうやって、彼は電話の向こうの相手と少し話してから、電話を切った。携帯は再びバッグへとしまわれた。
「誰だ?」
 涼は興味深げに聞いた。
「ああ、こっちの友達だ。いつも一緒につるんでる奴。もう店にいるらしいから、後で紹介してやるよ」

 バッグやリュックは荷物になるからと、武司の提案で携帯や財布だけ取り出して、あとは新宿駅のロッカーへと入れた。地下鉄に乗り、新宿三丁目駅で降りる。そこから少し歩けば、彼らの同類が集まる街へと辿り着く。
 武司の後を歩きそこへ差しかかった時、涼は脚を竦(すく)めた。地べたにたむろっている若者の一人に、いきなり睨まれたからだ。
「そのくらいでビビんな」
 話を聞くと、武司は振り返って笑った。
 道の両側には、若者を中心に、色々な男たちが集まっていた。立っている者や、先ほどの若者のように座っている者・・・。時々二人の足音や気配に振り返り、こちらの顔や身なりを物色してきた。
 涼は、武司以外で久しぶりに見る同類の刺すような、そしてどこか潤んでいるような目を見て、鼓動が早まるのを感じた。いや、武司の目は、彼らとどこか違うような気がする。彼と初めて大学の入学式で会った時も、同類の匂いはうっすらとは感じたが、違和感も同時に感じたものだった。

 そんな風に歩きながら、武司は説明する。
「そこらに立ってる奴の中には、売りやってる奴もいる。物欲しそうなのがいるだろ?」
「え・・・。そうなのか・・・?」
 時々一人で立っている若者がいる。そこにいる、ズボンのポケットに両手を入れて、ちょっと俯き加減で上目遣いに視線を泳がせている背の低い茶髪の若者も、そうなのだろうか・・・? 涼は思った。
 まだ日は暮れていないが、街灯は灯り始めている。その下に、そんな若者がちらほらといる。
「ああ。そん中にはノンケもいるんだぜ。金に困ってな」
「そ、そう・・・」
 涼はこの街には同類の男しかいないと思っていたので、それには驚きを覚えた。
 
「ここだよ」
 黒地に銀色の、英字の看板が出ている一つの店の前で、武司は立ち止まった。涼も脚を止める。武司はゆっくりと、木造りの黒いドアを開けた。
 まず耳に響いたのは、激しいビートのダンス音楽。そして鼻についたのは、煙草の匂い。その白煙の中に、色んな男たちがいた。カウンターや椅子のないテーブルで話し込む若者、奥のボックス席で、くつろぐ中年のスーツ姿の男。その隣に座っているのは高校生くらいの若者だった。少年は親のような年の男に、うっとりとした目で寄り添って肩を抱かれている。その年の差に、涼は我が目を疑った。
「何ぼ〜っとしてんだ。こっちだよ」
 武司は涼を、椅子のないテーブルへと誘う。
「け、結構広いな」
 涼は店に入ってからの第一声を漏らした。視線は覚束なく、顔は赤くなっている。武司はぷっ、と鼻で笑う。
「何言ってんだ。・・・何か飲むか?」
「あ、ああ。でも、アルコールは嫌だぜ」
「相変わらず固い奴だな。じゃ、ジンジャーエールでいいか?」
「ああ」
 武司はボーイの一人にそれを二つ頼んだ。待つ間、彼はまた煙草を取り出す。そのすっかり慣れた手つきを見て、涼は彼がすでにヘビースモーカーなのではないかと疑った。

「お前、今日で何本目だ?」
「さあ。朝起きて一服したけどな。ずっと学校だったから、まだ3本目くらいだぜ。少ないだろ? 1日一箱なんて、全然いかねぇよ」
「なんで吸い始めたんだ?」
「涼お前な、俺の親か? いいだろ別によ。吸いたくて吸ってんだから。・・・始めたのは、高校ん時付き合ってた相手が、吸ってたからだ。俺も、同じ味を覚えたくてな」
 彼は下を向いて、煙を細く吐いた。
 武司の初めての過去の告白に、涼は思いがけず胸が熱くなった。その整った横顔を眺めた。長い髪に隠れがちな・・・。
「同じ、銘柄・・・?」
 武司のポケットから覗く箱を、涼は見やった。
「ああ。キャメル・・・」

 そこで、武司ははっとした。煙草を唇から離し、片手に持ったまま言う。
「俺の話はいいんだよ。それより、さっきの話の続き。・・・と思ったんだが・・・おお。ヒロ。どこ行ってた?」
 彼は近付いてくる一人の若者に右手を挙げた。
「ごめんごめん。トイレ行ってた。みんなも向こうにいるよ。呼んでくる。・・・と、ああ、あんたが新人か。へえ、結構イケてるじゃん」
 短髪で金髪のヒロと呼ばれた若者は、行きかけた脚を止めて不躾に涼の顔を覗き込んだ。涼はたじろぐ。
「涼ってんだ。『涼しい』って字の。よろしくしてくれな」
 武司は笑顔で、涼の背中を軽く叩いて紹介した。
「どうも・・・」
 涼は頭を下げる。
 そこへ、ボーイが二人分のジンジャーエールを運んできた。早速、涼はそれを口にした。冷たさとしょうがのぴりぴりとした味の感触が、舌に残る。

「じゃ、呼んでくるね、みんな。後で詳しく話聞かせてよ」
 明るく言うと、ヒロは店の奥へと消えていった。そして、まもなく3人ほどの仲間を連れて戻ってきた。今まで、奥にある同じようなテーブルに皆いたらしい。
 武司が他の3人に、涼を紹介した。3人とも、二人と同年代くらいらしい。
「俺、ヒロ。あ、本名はいいよね。今年で19。よろしく! あんたは、いくつ?」
 まずは金髪のヒロが挨拶した。
「よろしく。同い年だよ。今はまだ18だけど。・・・あの、普段は何を・・・?」
 彼の明るさに引かれてやっと笑顔を作った後、涼は遠慮がちに聞いた。武司はそれを聞き、『またこいつはよけいなことを・・・』という呆れ顔をした。
「うん。ファッションの専門学校に行ってる。結構課題とか出るから、ほんとはこんなとこで遊んでる場合じゃないんだけどね。楽しいからつい、さ」
 ヒロは気にせず、はきはきと答えた。最後のほうは冗談めかして、肩をすくめた。

 他の3人の若者もそれぞれ自己紹介をした。二人と同じように大学へ通う者、まだ高校生の者、フリーター、と素性はばらばらだったが、皆この店で知り合ったという。4人とも、武司の言う通り気さくだった。それで、涼の当初からの緊張は少し解(ほぐ)れた。
「しかし、武司が哲学科の学生とはね。全然見えないよ、こうしてここにいると。高校ん時から来てるけど」
 大学生だという一人が、テーブルに頬杖を突きながら言った。6人はテーブルの周りに円形に陣取っていた。
「こんな髪、してるからか?」
「まあね。それに、哲学っていうと、俺どうもメガネかけた青っちろいのしか思い浮かばないんだよな。まず結びつかないね、武司とは」
「人間見た目じゃないってことだろ。・・・人間を観察するのが面白くてな。その行動に至った経緯とか理由とか、考えてると・・・。高校ん時読んだ本がきっかけで、ハマった」
 武司は彼と涼の両方に言って聞かせるように、交互に顔を向けた。

「じゃ、こいつは? 涼も同じ科なんだ。結びつくか?」
 武司はあごで涼を軽く指し示した。
 学生は涼をまじまじと見た。ヒロや高校生、フリーターも、見る。涼は再び身を竦め、緊張してしまった。
「う〜ん、君は賢そうだね。見えるよ、言われてみれば。真面目そうだし」
 と学生。他の3人も頷く。
「髪が茶色くてもか?」
 武司は煙草の灰を灰皿に落としながら聞く。
「うん、見える。さらさらでまっすぐな髪の毛とか、さ」
 言って、学生は涼の髪に触れた。一房取って、ゆっくりとまた指から落としていった。
「あ、赤くなった。初心(うぶ)なんだ。可愛いね、あんた」
 横からフリーターがからかう。
 武司が仲間たちと話すのに口を挟まず聞いているだけだった涼は、こう言われて益々頬の色を濃くした。
「や、やめて下さい」
 涼は学生の手を恥ずかしそうに振り解いた。
「はは、『やめて下さい』だって。ほんとに真面目だね、お兄さん」
 今度は武司と背丈が同じくらいの高校生が笑いながら言う。
「そんなにからかうなよ。かわいそうだろ? 来たばっかなのに」
 武司が涼の肩を抱いて引き戻した。その時涼は密かに鼓動を早め、胸が熱くなるのを覚えた。 


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