武司が去ると、泰央もヒロも、涼に近付いた。
「どうしたんだい? 急にむきになってさ」
 最初にいたテーブルから持ってきたグラスを傾けてから、泰央は頬杖をまた突いた。
「どうしたも何も・・・」
「ほんとはさ、涼くん他の子となんて寝る気ないんだろ? 武司とも、他の子とは寝てほしくない」
 図星だったが、涼は否定した。
「そんなことない。俺はあいつの恋人じゃない。付き合ってないって、言ったろ?」
「そうかな・・・」
「いい加減にしてくれないと、怒るよ」
 涼は語調を強めた。初対面なのに、この男にはまるで何もかも見透かされているような気持ちだった。それが、腹が立つ。
「なんだよ、さっきから分かったふうなことばっかり言って。逢ったばかりのあんたに言われる筋合いはないよ。だいたいあんただって、さっき自分と寝ないかなんて、誘ったじゃないか」
「あれは、場がそういう雰囲気だったからさ。半分は冗談だよ」

「・・・」
 涼はグラスを見つめ、黙った。泰央には、彼が何事か考えていることが見て取れた。
「涼・・・?」
 敬称は、自然に外れた。
 その時、涼の中には新たな疑問が――というより懸案が、生まれていた。
「・・・あんた・・・泰央も、武司と寝たことあるのか・・・?」
 彼が声を出す前に喉を動かしたのが、泰央に見えた。
 聞かれたほうは、テーブルの端に両手を突き猫背になっていた背を反らして、息をついた。
「気になる? 聞きたい?」
「いや・・・」
 涼は言葉を濁した。
「だって、今聞いたじゃん。・・・あるよ。でも、俺も別に付き合ってたわけじゃない。ほんの何回かだけだよ。逢った最初のころ、お互い相手のいない暇な時に・・・って感じだった。あいつ強いし、まだ慣れてなかった俺はなんか惹かれちゃってね。こういう言い方は君、嫌いだろうけど・・・H友達っていうのかな。でも、最近はほとんど寝なくなったよ」
 すらすらと泰央の口から零れる言葉を耳にしながら、涼は聞いたことを後悔していた。
「武司とは、いつ出逢った?」
 だが毒を食らわば皿まで、の気持ちになったのか、次には無意識にこんな質問が飛び出していた。
「1年くらい・・・前かな? お互い高校生だった」

 ここでヒロが、溜息をつきながら何気なく話を変えた。
「ああやって、武司ってば今はこっちバリバリだけどさ、ほんとは元々ノンケだったんだよな」
「え・・・?」
 泰央のほうを見ていた涼は、我が耳を疑いながらヒロのほうに向き直った。
「そう。高校の途中からこっちに来たの。それまで、彼女なんかもいたらしいよ」
「嘘だ・・・」
 涼は、またも衝撃を受けていた。そんな話は、一言も武司から聞いたことはない。
「ほんとだって。知らなかった? なんなら、本人に今度聞いてみれば? ああ、もっとも今喧嘩中ってんなら、仲直りしてからさ」
 ヒロは微笑んだ。どうやら、嘘でも冗談でもないらしい。
「そんな・・・。そんなの・・・」
「ショック?」
「うん・・・まあ・・・」
 今まで、完全に同類だと思っていただけに、涼はそれを表情にも表してみせた。一体、何度あの男に裏切られればいいのだろう。

『彼女』――その言葉が、一番心に堪(こた)えた。自分以外にも、男だけではなく女も・・・。彼が自分や他の同類とは違う目をしていることの理由が、やっと分かった。まさか今も女を抱くことがあるのでは、との不安が、次には自然に生まれ出でた。
「そんな、不安そうな顔するなよ、涼。大丈夫だって、今は」
 泰央が慰めた。彼がなんとも言わないので、そのまま敬称はつけなくてもよさそうだ。
「本当に・・・?」
 涼は俯き、テーブルの上で両手を組んだ。
「そう。そんな顔するなら、やっぱやめときなって、他の子と寝るなんて。当てつけみたいじゃないか」
 そう言われると、涼の心には再び怒りが上ってきた。顔を上げた。
「それとこれとは違う。俺の意志なんだ、これは」
「涼・・・」
 続く言葉を泰央が探していると、武司が戻ってきた。

「どうだ? 話ついたか」
 泰央は首を振りながら、体の横で両掌を上に向けた。
「だめみたい。聞いてくれなくって」
「武司」
 体はテーブルに向けたまま、涼は呼びかけた。
「何だ?」
 涼は体ごと、武司のほうを向いた。
「・・・お前、お前女とも付き合ってたって、本当か?」
 武司は一瞬目をぱちくりと見開いたが、すぐにズボンのポケットに両手を入れて軽く頷いた。
「ああ。言わなかったっけか? 俺、ノンケ上がりだって」
「そんなの知らない!」
 慌てる様子もない相手に、涼の怒りと悲しみは益々募る。

「つったって、昔の話だぜ。もう、女には戻らねぇかな。今は男のほうがいい」
「ほ、んとうか・・・? これからも、ずっと・・・? 一生・・・?」
 涼の真剣な思いつめた表情に、武司も笑みを消した。
「それは分かんねぇけど、・・・たぶんな」
 頭の後ろに手を挙げ、掻いた。
「それにしても、なんでこんな話になってんだ?」
「ごめん、俺が話したの」
 ヒロが肩を竦めて舌を出した。
「そうか。それより涼、どうすんだよ、これから?」
 涼は身を固くした。しかし答えは決まっている。
「さっき言った通りだ。俺はもうここを出る」

 武司は横を向き、溜息をつく。
「じゃあな、ひと言言っとくけど・・・初めての子はやめときな」
「何・・・?」
「お前にはまだ無理だ。慣れた子のほうがいいと思うぜ、俺は」
 涼はきっとなった。
「そんなの、お前には関係ない!」
 そう叫んで、涼は一人歩き出そうとした。が、思いついてヒロと泰央の二人に「ごめん、今日は」と言い、再び歩き出した。


 店の外に出ると、先ほど街灯の下にいた若者はいなくなっていた。客でも見つけたのか・・・。その代わりに、同じ場所により若い男――高校生くらいの少年が立っていた。先ほどの彼と同じように、通りを見つめて・・・。しかしあの彼と違うのは、その可愛らしさだった。目は普通くらいの大きさだったが、黒い円らな瞳は光を多く反射している。鼻はすっとしているが小さい。唇は赤味を帯び、ふっくらとしていた。黒い髪を耳の上まで刈っているが、上のほうは長めで、自然に伸ばしている。薄い黄緑色のシャツに、下はネイビーブルーのジーンズを身に着けている。涼と目が合った途端、その瞳の輝きは増した。少年は目を逸らそうとしなかった。――二人は2秒ほど見つめ合った。だが、涼は構わずにその前を通り過ぎる。少年は何か声をかけようとしたが、無視した。

 涼はどこかの店に一人で入ろうとしていた。
――今日は男にならなければならない。
 そう、心に決めていた。そうでなければ、これからも武司に馬鹿にされるばかりだ。
『俺も他の相手探すぜ?』――彼のその言葉が気になったが、言い出したのは自分なのだから、仕方がない。売り言葉に買い言葉な会話だったとしても・・・。
 道にたむろっている男たちに時々見られながら、早くどこかの店に入らなければ、と涼は思った。さっきまでいた武司たちの行きつけの店のように、若者が多く集う場所がいいか、それとも、もっと年上の大人が集まる場所がいいか・・・。年下を探すならば、前者だが・・・。だが外から見ただけでは、涼にはどの店がどうなのか、判断しかねていた。

 あるカタカナ名の看板がかかる店に、一人の――自分と同じ年代くらいの若者が入っていったのを見て、そこも若者が集う店だろうと思い、涼は少し置いてその後にドアを開けて脚を踏み入れた。
 が、若者はカウンターバーにいるスーツ姿の男のところに行っていた。店内を見回すと、どこもスーツ姿のサラリーマンやポロシャツなど普段着姿の中年男が多い。恋人とここで、待ち合わせしていたのか・・・。店内は照明も抑えがちで、大人っぽい雰囲気だ。居心地の悪さを感じ、涼は回れ右をしようとした。が・・・。
「君」
 後ろから声をかける者がいる。若い男の声ではなかった。
 振り返ると、酒に酔ったふうの、くたびれた灰色のスーツ――というより背広を着た小太りな40代くらいの男だった。髪も整えていない。テーブル席で一人で飲んでいたらしく、席を立って涼に近付いた。

「初めて見るねー。誰か待ってんの?」
 馴れ馴れしく、男は涼の肩に腕を回した。こんな時間から、もう完全に酔っているらしい。会社帰りの疲れたサラリーマンという感じだ。涼は嫌な気がした。近付けられた口からは、酒の臭気がする。肩に張り付いた男の右手を、やっと剥がした。
「べ、別に・・・。俺、間違って入ったんです。すぐに出ますから・・・」
「おいおい、間違ったってなんだよ。一人ならどこ入ったっていいじゃねぇか。俺と飲まねぇ?」
 また、肩を抱いてきた。今度は離さない、とばかりに力を入れてくる。
「俺、未成年なんです。だからここにはいられない・・・」
 叫びたいのを抑え、涼は肩を動かして懸命に男を剥がそうとしたが、なかなか叶わない。
「そんなら水とかジュースでいいからさー。なあ、一緒に飲もうよー。君、可愛いしさー。おじさん気に入っちゃったんだよー」
 頬に口付けようと、肩を抱いたまま酒臭い顔をさらに近付けた。涼は顔を背ける。なんて酒癖の悪い男なのだろう。店にいた他の客も、入口にいる二人に注目し出した。

「うるさいな! 離せ!」
 涼は切れ、大きく動いて男を突き飛ばした。彼は勢いで床に仰向けに倒れ込んだ。
 少し酔いの冷めた男は、起き上がると叫んだ。
「なんだ、若いくせに! ちょっと誘っただけじゃねぇかよー! 飲めよ、俺とー!」
 男は開き直り、まだ諦めない様子だ。立ち上がり、涼に突きかかろうとした。が、そこへ店の店員が二人駆け寄って男を取り抑えた。
「佐々木さん、飲みすぎですよ。今日はもう帰って下さい」
 一人が声をかけた。どうやら、男はここの常連客らしい。まだ何か喚いていたが、二人の店員に抑えられ、レジに連れて行かれて飲んだ分の金を払わされると、ドアの外へとさらに連れ出されていった。

「全く、しょうがないなあの人は」
 再び入ってきた店員に謝られ、騒動からやっと解放された涼のそばで、呟いた者がいる。野次馬がそのあたりに集まっていたのだが、呟いた男はその一人だった。見ると、紺色のスーツをきちんと着こなした若い男である。だが、涼よりは年上のようだった。20代後半くらいか。髪はきれいに整髪剤で撫で付けてある。武司より背の高い彼が、ふと涼の顔を見下ろした。180センチ以上はあるだろうか・・・。
「君、初めてだよね、ここ。悪いね、なのにいきなりこんな目に遭わせちゃって」
「あの・・・」
「と、こんな言い方したらまるでこの店の人間みたいだけど、俺もただの客さ。ね、君ももう出てく?」
「え・・・」
「こんな店、もう嫌だって思ったろ?」
「そんな・・・ことは・・・」
 初めてのまともな大人の――同類の男に、涼はどう接して良いか分からず戸惑った。彼と目が合わせられず、下を向いた。


Bittersweet Carnival