しかし、芳則は少年が店に入ろうとしていたのをすぐに思い出した。
「あ、悪い。入るんじゃないのか?」
「ううん、いいんだ・・・」
 少年は首を横に振って否定した。二人とは距離をおき、両手を後ろに回して、組んだ。何か言いたげな様子だ。
「なんだ、じゃ、俺にでも用か?」
「ううん・・・」
「じゃ、何?」
 はっきりしない少年に、芳則は詰問した。すると優理はちらりと涼のほうを見た。その表情は沈んでいる。何かを知って落ち込んでいるように、涼には見えた。
「二人・・・これからどこか行くんでしょう?」
 少年は下を向いて、後ろで手を組んだまま地面を蹴った。
「あ、いや・・・」
 芳則は言葉を濁す。

「その・・・俺はもう帰るかな。その辺で食事でもして・・・。彼とはここで別れるよ」
 それを聞くと、少年は微妙に晴れやかになった顔を上げた。
「一人で、帰るの・・・?」
「ああ」
「あの、彼は・・・?」
 ここでやっと、涼が口を開いた。一度優理のほうを見、それから芳則を見る。
「ああ、ちょっとした知り合いでね。ここらじゃそこそこ有名な子だよ。俺の口から言うのもなんだから・・・、本人から聞いてみるといい。実は俺、この子に声かけて断られたことがあるんだ」
 芳則はまた自嘲気味な笑顔を見せた。店の前にいつまでも3人でたむろっていては邪魔になると思ったので、彼は率先して2、3歩歩き、道路際に立った。他の二人も移動する。それでも、優理は二人の青年との距離を縮めない。

「優理ね、俺が彼氏と付き合ってる頃にこの街に現れ出して、彼と別れてから誘ってみたんだ。二人でこの辺りに飲みに来た時とかにも時々見かけてたから気になって。でも、だめだった」
 彼はそう説明した。照れ笑いは崩さない。
「察するに優理、お前この彼に用があるんだろ?」
 芳則はスーツのズボンのポケットに両手を入れ、横に立つ涼を顔で指し示す。
「え、そ、その・・・」
 少年は後ろで組んでいた手を離して、慌てた。顔は赤くなっている。
「なら、後はがんばりなよ」
 そう言って、芳則は涼の正面に立った。
「じゃ、ここで・・・。また逢えるといいね」
 右手を差し出し、握手を求めた。涼は素直に右手を出し、別れの――いや再会を約したものになるのか、それは分からなかったが――握った。彼とはまた逢いたい、と思いながら・・・。もちろん今日とはまた違った形で。彼とはいい友達になれるだろうか?
「芳則さん・・・今日は本当にごめんなさい。俺、なんて言ったらいいのか・・・」
 手を離した後も、涼の中にはまだ申し訳ない気持ちが残っていた。
「いいんだよ。俺のほうが大人げなかったんだ。・・・じゃ、元気で・・・」
 年上の青年は1歩退き、片手を挙げながら年下の青年の顔に微笑みを送った。
「芳則さん・・・」
 涼が名前を呟くと、彼は背中を向けて歩き出した。そのまま2回ほど手を振った後、下げた。

 芳則が去ると、そこには18歳の青年とおそらくはそれよりも若い少年とが道の上に残された。
 彼が角を曲がって完全に見えなくなると、涼は芳則に電話番号などの連絡先を聞かなかったことに気付いた。が、後を追うのも気が引けたのでやめた。自分から振ってしまった相手に、今更聞くことなど出来ない。ここへ通い続ければまた逢える時があるかもしれない、と思い直して、あきらめて涼は脚を踏み出した。一人で・・・。と、少年も数秒置いて後をついてきた。
「あの・・・俺に何か用?」
 涼は止まって、振り向いて聞いた。少年も止まる。
「あの・・・あの、お兄さん一人なの?」
 優理は小さな声を出した。
「見ての通り」
 そう言い、涼はまた歩き出す。
「じゃあ、い、一緒に歩いてもいい?」
 少年は何故か、青年に対してびくびくとしていた。涼は妙に思った。
「ああ、別にいいけど・・・」

 そうして二人、並んで歩き出した。どこへ向かうというあてもなしに、店の前を過ぎ、人々の間を縫った。時々、二人のことを見る男たちもいた。すると涼も優理も、彼らからはすぐに目を逸らした。
「お兄さん・・・どこ行くの?」
「別に、決めてない」
 感情を込めず、涼は答える。
「さっき・・・なんで芳則さんと一緒にいたの?」
 その質問に、涼は先ほど彼がドアの前で慌てていたことを思い出した。街灯の下に彼がいる時に目が合ったことといい、優理が自分に対してなんらかの感情を抱いているらしいことを、涼は考えた。
「・・・一緒に飲んでたんだ。俺は酒はだめだから、ウーロン茶だったけど・・・。店の中で知り合って・・・。変な男にからまれた後で、彼が声をかけてきてくれて・・・」
「ふうん、そうなんだ・・・」
 やっと、少年は自然な相槌を打った。
「そういえば、佐々木さんがお店の人に外に出されてた。あなたが入ったちょっと後に。もしかして、佐々木さんにからまれてたの?」
 優理は涼の顔を覗き込んだ。その疑問符を伴った表情は、涼の目に予期もせず可愛らしく映った。身長は自分と同じくらいらしい。
「ああ。君も知ってるんだね、あの人・・・」
 涼は少し笑ってみせた。
「うん。俺も誘われたことあるから・・・。・・・俺、この街よく来るんだ」
 その時は優理は顔を俯かせた。

「俺ね・・・その時あの人を、断らなかった」
「え・・・?」
 驚いて、今度は涼が少年の顔を覗いた。あんな、親子ほども年の違う相手を・・・? そう言わんとしていることを優理は相手の表情から感じ取ったのか、自分から話し始めた。
「だって、恋人に振られてなんか、かわいそうだったから・・・。俺が道に立ってる時に声、かけてきて・・・。最初、話だけでも聞いてあげたいなと思って、その辺の店入ったんだ。で、聞いてるうちにそんな悪い人じゃないんだって思って・・・。あの人結婚してて、でも家ではあまり家族の愛情を感じられなくて、寂しかったんだって。それで、奥さんに隠れて部下の人と付き合ってたんだけどその人に浮気されて、あなたは家庭があるしこの際別れようって言われたんだって。でも、まだ彼のこと愛してるって。そりゃ、不倫は悪いことだけど・・・俺、佐々木さんに同情した。少しなら許す気になった。でも、バックは嫌だって言ったらそれでもいいってあの人・・・。ほんとはいい人なんだよ。ちょっとお酒癖が悪いだけでさ」

 しんみりと彼が語るのを聞いていたが、会話の中に『道に立ってる時』との言葉が入っているのを耳にした涼は、やはりこの少年は売りをやっているのか、と思った。
「ホテルでも優しくて・・・。嫌なことはされなかったよ。約束も守ってくれた。だから、あんまりあの人のこと笑ったりしないでほしいな、みんなには」

 少年がそこまで語った時、二人は武司たちがいるであろう店の前に辿り着いた。最初に涼が連れられてきた・・・。涼は脚を止めた。
「どうしたの? 入るの?」
 優理は軽く尋ねた。
「いや・・・やめとこう・・・」
 涼は少年の先に立ち、店のドアの前を通り過ぎた。
「君・・・何か飲みたい?」
 また後ろになった少年のほうに振り返った。優理はすぐに歩を早めて、隣に立った。
「うんと・・・お兄さんがいいなら、俺はいいよ・・・」
 もし少年が望むならここはやめて他の店なら、と涼は思い始めていたが、それを聞いて安心する自分もいた。
 あの店なら、まだあまり素性の知れない少年と今二人入っても、武司や泰央たちにやじられるだけだ。他の店なら、少年と互いについて話し込むことになる。
 涼は、売りをやっているような者とは、正直あまり関わり合いになりたくなかった。金をもらって体を売るような部類の、少年とは・・・。だから、最初に目が合った時にも無視した。勢いでたんかをきって武司と別れ、あの店を飛び出してきたとはいうものの、誰でもよいとは今は思わなかった。出た時はそこまで考えなかったが、今は自分が相手を選ぶ目になっているのを、涼は感じていた。

「君・・・佐々木さんとそのまま寝たのか?」
 涼はどうしても気になる点を質問した。
「え・・・? だから寝てはいないよ。『そのまま』って?」
「その・・・何ももらわずに?」
「金」という言葉を初対面の相手に使うのはさすがに気が引けたので、そう言った。
「ううん。お金なんてもらわなかった。そんな人じゃないもの」
「そう・・・。君って・・・いつもさっきみたいに道に立ってるの? 芳則さんとも、知り合いだったし・・・」
 だが即答はしない少年に、涼は言い過ぎたかと後悔した。
「ごめん・・・逢ったばかりなのにこんなこと・・・。でも、気になったから・・・」
 相手の曇った表情に、優理は思い切って打ち明けることにした。
「・・・立ってるよ。最初からどこかの店に入って待つこともあるけど。でも、売ってるわけじゃないよ。自分から欲しいって言ったことはない。・・・くれるっていう人からは、もらっちゃうこともあるけど・・・」
 最後の言葉は声が小さくなった。顔も下を向いている。
 もらっているのなら同じことだ、と涼は快くない気持ちになった。

 その時、道にたむろっている若者の一人が声をかけた。髪の毛が数ミリくらいの坊主頭にしている。
「よう、優理。その人がお前の王子様か? やっと見つけたのか?」
 すると他の仲間も気付いて、からかうような笑いを優理に浴びせた。
「その彼、かっこいいじゃん」
 と別の一人。
「うるさいな。黙っててよ。・・・行こう」
 少年は青年の腕を引っ張って、小走りになった。角を左に曲がり、彼らから逃れた。その通りにも、いろんな店が並んでいた。そしてそこにも様々な年代の男たちが行き交う。しかし、先ほどの通りよりは数が少ない。静かになると、優理は続ける。
「ここには・・・高2の夏に初めて来たんだ。それから、いろんな人に出逢った。友達になった人も、・・・体を知り合った人もいる。でも・・・でも俺、まだほんとのHはしたことないんだ・・・」
 少年は顔を今までで一番赤らめて、話した。
「ほんとのって・・・?」
 涼はすぐには思い至らなかった。
「・・・バックは、まだなんだ・・・」
 赤い顔が、さらに赤くなる。


Bitterswet Carnival