「今高3なんだけど、俺、まだ本気で好きになれる人に出逢ったことがない。ほんとに好きになった人にしか、許せないんだ。最後までやるのは・・・。そう思ってるから今までの人たちとは、口でしかしたことないし、させたことがない。それで、そんなことをもう1年近くも続けてるから俺、周りにからかわれるようになって・・。『勇気がない、意気地なし』って」
 優理は脚を止めて、近くにあった路地の一つに入り込み、入口付近の壁に背中を寄せた。涼もそばに立って、話を聞く。
 涼は彼が、顔つきも態度も幼いのでもう少し年下だと思っていた。一つしか違わないのか・・・。そういえば、芳則も若く見えた。この街の人間は皆、何かから若さを与えられているのだろうか。
 それにしても、場数を踏んでいそうな彼にそんな秘密があったとは驚きだった。

「でもなんで、好きでもない奴にも許すんだ? たとえ最後までしてなくても・・・。いろんな相手に体を差し出すなんて・・・俺には分からない。君が嫌がってても無理矢理求める奴だって、いただろう?」
 彼の秘密を知り、涼はそこまで言う気になった。少年は咎められたような気になったのか、眉を歪めている。
「だって・・・。あなただってそういう時、あるでしょう? 寂しい時・・・。誰かと触れ合いたい時」
「それは・・・」
 確かに涼にもあった。武司と抱き合っている時は、少なくとも幸せだった。彼と触れ合える喜びに震えた。自分だって生身の男だ。誰にでも、欲望はある。
「バックも求めてきそうな危ない人の時には・・・そういう人が声をかけてきたら、最初から断ってた。数こなしてると、顔見ればどんな人か分かってくるようになったし・・・」
 少年はまた店の前で鉢合わせした時のように、後ろで手を組んだ。
「芳則さんとは・・・彼が誘ってきた時は、俺のほうは彼を知らなかった。恋人がいる間は、この街に来ることも少なかったみたいだから。でもあの人は・・・危ない部類の人だって俺、直感した。きっと、オーラルだけじゃ許してくれないだろうって。だから最初から断った」

「芳則さんが・・・? あんないい人なのに・・・」
 先ほどまで彼の優しい態度を見てきた涼は、それは少年の勘違いだろうと心の中ですぐに反論した。
「それから、何度か普通に話す間柄にはなったよ。あっちのほうはもうあきらめてくれた。そりゃ、あの人優しいけど・・・分かったんだもの。目を見て・・・。あなたも誘われたんじゃないの?」
 優理は顔を上げ、まっすぐに涼を見た。真剣な目をしていた。
「ああ・・・。でも、俺のほうから断っちまった。だからさっき彼に謝ってたんだ」
「それ、危ないってあなたも思ったからでしょう?」
「いや、それは・・・違う・・・」
 最後の3文字は、相手に聞こえるか聞こえないかくらいの大きさの声だった。この少年にも、武司との関係については話す気にはならなかった。

 二人の横を、男たちが通り過ぎていく。あちこちで聞こえる話し声、笑い声・・・。それは皆自分たちの同類から発せられるものだった。道を隔てた街灯の一つが、瞬いた。涼が夕方、この街に武司と訪れた時から、何時間かが経過していた。
「俺、あなたが芳則さんとあの店から出てきた時、ショックだった。あなたを追って、店の外でずっと出てくるのを待っていたんだ。でもあんまり遅いからたまらなくなって、自分から入ろうとしたら・・・。ホテルに行くんだって思ったから・・・」
 涼は喉を動かしてから、口を開いた。
「どうして・・・ショックだったの?」
「それより、どうしてあなた芳則さんを断ったの? 他に好きな人が、いるから? 恋人がいるから?」
「違う。そうじゃない。いや・・・そう、かもしれない・・・けど・・・」
 涼は慌て、そしてとうとう自分で認めてしまった。優理の気持ちを知りたかったのに、かえって自分の気持ちを吐露してしまったのだ。武司への想いを断ち切ることは、もはや自分にはできないのだろうか・・・?

 青年は路地を離れ、また歩き出した。少年も後を追う。
「ねえ、逃げないでよ。・・・分かったよ。あなた、好きな人がいるんだね・・・」
 それきり、優理は黙ってしまった。
 あてのない歩みは、まだ続いていた。涼が気まぐれに角を曲がると、その度に少年もついてきた。当たり前のように・・・。
 今日は誰かを抱くつもりだった。しかし、この少年がいつまでもついてきては、それも叶わない。歩きながらも道ですれ違う少年や青年の顔を見ていたのだが、これはと思えるようなめぼしい相手には出逢わなかった。いても、パートナーらしき相手と二人連れだったり、売りをやっているように見える少年だったりした。やはりこの彼と別れ、どこかの店にもう一度入ったほうがいいのだろうか。
「ね、君、なんで俺についてくるの?」
 涼は振り返って聞いた。少年はびくりとして、目を見開く。
「だ、だって・・・いいってあなたが言ったから・・・」
「別に俺に用はないんだろ?」
「あるよ。話が・・・話がしたかったから・・・あなたと・・・」

 涼は歩を早めた。少年から逃れるかのように・・・。
 青年は冷たく言った。
「もう十分話しただろう? 一人にしてくれないか」
 少年はさらに慌てた。
「話してない。まだ俺、あなたのこと何も知らない。名前も知らない」
「別に、言う必要はないだろう。君とはどうなるつもりもないんだから。俺、やっぱりどこか店に入って落ち着きたいんだ」
「じゃあ、俺も一緒に・・・」
「それが困るんだ。もう、離れてくれないか。頼むから・・・」
 涼は苛立たしげに強く吐き捨てると、立ち止まった。少年は相手が急に止まるとは思っていなかったので、勢い余って彼の胸に飛び込んでしまった。が、すぐには離れずに青年の顔を見上げ、腕を背中に回した。黒目がちな瞳が、涼の瞳を射る。
「俺・・・」
 優理は何かを告げようとしたが、青年の腕に両肩を掴まれ、離されてしまう。青年は怒っているように、少年の目に映った。そんな涼に、優理は言葉を投げかけた。
「俺・・・あなたのこと好きなんだ。最初に目が合った、その時から・・・。だからずっと追ってきたんだ」

 想いを相手にぶつけた後の少年は、呼吸が荒くなっていた。感情を抑えきれず、それが表に出て涙に変わろうとしていた。悲しげな表情を浮かべた。
「ずっとずっと、俺はこの時を待ってた。やっと、出逢えたんだって思った。『この人なら』って思えた初めての人なんだ」
 予感していたとはいえ、涼は戸惑った。そこにあったある店の前に立つ二人は、すでに衆人の環視するところとなっていた。さらに少年から1歩退いた。
「そんなこと・・・急に言われても・・・」
 横を向いた。
「軽蔑してる? 嫌い? 俺みたいな子・・・。売りみたいなことしてるから・・・」
 答えられず、涼は背中を向けた。
「お兄さん・・・」
 優理は後ろからそっと声をかけた。離された距離を、少年は1歩進めることで縮めた。――涼は優理のほうに向き直る。

「ごめん。君とは、付き合えない・・・」
 それが”軽蔑している”との意味にも、”他に好きな男がいる”との意味にも取れるだろうことを、涼は言いながら思った。
「分かってる。だから、俺とは付き合わなくてもいい。ただ、一度きりでいい。何もかも忘れられるような、そんな夜を過ごしてみたいんだ」
 優理は両方の意味を汲み取って、こう言った。
 これ以上男たちに見られるのは嫌だったので、涼は再び歩く。できるだけ人通りの少ない場所へ、逃れたかった。急に人や店が少なくなった、と思い道の途切れたところで顔を上げると、そこには今までより高い建物が――ホテルが立ち並んでいた。様々な色のネオンが、暗闇に悩ましく光っていた。前へ進むことも後戻りもできず、涼は困り果てた。

「ねえ・・・」
 少年の腕が自分の手首をそっと捉えようとするのに気付き、その寸前に涼は振り向いた。
「お兄さん、好きな人がいるんでしょ? でも、俺もお兄さんのこと、好きなんだ。ねえ、お願い、抱いて・・・。俺のこと、抱いて・・・」
 悲痛な声を出しながら、優理は涼に抱きついた。
「やめてくれ・・・。そんなこと、できない・・・」
 抱きつかれたまま腕も挙げず、涼は静かに言った。二人の顔は、次々に色が変化する上からのネオンに照らされていた。
「なんで? なんで俺じゃ、だめなの? やっぱり嫌いなの?」
「違う・・・嫌いじゃない・・・。俺たち、まだ逢ったばかりじゃないか・・・」
 誰かを抱くつもりだったのに、今や涼の最初の決意は萎えかかっていた。今この少年を抱けば、自分のこだわりのために利用することになってしまう。心は、そんなふうに変化していた。

「好き・・・。好きなんだ! ねえ、抱いてよ!」
 その声が、闇に響いた。少年は短い髪を乱して、より強く相手を抱きしめた。青年の両手は挙げられ、少年の二の腕あたりに触れた。それに期待を持った優理は顔を上げたが、相手の首は横にゆっくりと振られた。
「俺はまだ、君のこと好きになってない。だから、抱けない」
 今度は優理が首を強く横に振る。
「兄さんは・・・『一つになりたい』って思ったことはない? 本気で誰かのこと好きになったことあるなら・・・俺の気持ち、分かるだろ?」
 優理は涼の顔を凝視した。少しも逸らそうとはしない。涼はその視線に捕らわれた。どこからかの風が、二人の間を吹き抜けた。


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