電話の翌日、清太が練習を終えて帰路に着いていると、夕闇に紛れた1本の電柱の陰から、おもむろに啓二が片足を踏み出した。・・・顔の右側だけ歪めて、にやりと笑った。
 清太は驚いて、足を止めた。・・・自然と、震え出した。
「けい、じ、さん・・・。逢いに来るって、こういう・・・」
「そうだ」
 その時、清太は一人だった。
 その日の練習は各個々人がノルマをこなすというものだったのだが、清太だけ最後まで走り込みのノルマを達成させるのに時間がかかってしまった。いつもは秋川と一緒に帰るのだが、今日は遅くなってしまうし、翌日は現代国語の小テストがあるからと、先に帰ってもらったのだ。秋川が待つというのを、清太が制した。

「でも、何も学校の近くまで来なくても・・・。人に見られたら、どうするんだよ」
「誰も見ちゃいないさ」
 そう言うと啓二は、清太の左腕を掴むと、すぐそばの狭い横道に連れ込んで、学校の敷地を囲んでいる塀に清太を押し付け、無理矢理キスした。周りには、通行人もいなかった。
 唇を離すと、啓二は言った。
「この辺のホテルはどこだ」
 清太は、怯えた目で啓二を見る。両手首は啓二に強く掴まれ、太腿のあたりを彼の膝で押さえられているので、清太は身動きができない。
「い、いきなりなんだよ・・・。あんた僕とやりたくて、わざわざこんなとこまで来たの? 仕事は?」
「そんなの、早目にさっさと切り上げてきたさ。・・・さあ、教えろ。ホテルの場所を」
 啓二は清太の手首を掴んでいる手に、さらに力を込めた。清太は顔を苦痛で 歪めた。

「知らないよっ! どうしちゃったのさ、こんなストーカーまがいのことまでして・・・。毎日逢って、毎日Hがしたいとでも言うの? ・・・あんたって、それしか頭にないわけ!?」
「少なくとも今はな」
 そう言うと啓二は、清太の右腕を掴んでいた左手だけ離して、残る右手でぐいぐいと清太の左手首を引っ張った。足の向く先は、駅である。季節は10月に入っていて、秋を感じさせる風の冷たさが、歩く二人の頬から耳にかけて刺した。
「いっ、嫌だ!! 今日は行きたくない! 離して、離せったら・・・!」
 清太の言葉に構わず、啓二はどんどん駅前の繁華街を目指して歩を進めていく。足を止めようとしたが、力では啓二のほうが勝(まさ)った。

 清太は、今起こっていることが信じられなかった。現実とは思えなかった。まともな大人が、こんなことをするはずがない、と・・・。啓二の突然の変貌に、裏切られたような気がしていた。

 そこへ、50代くらいの主婦の乗った自転車が向こうから来て、すれ違った。辺りは、夕日の影響を受けたオレンジ色から、薄藍色に変わろうとしていたので、主婦は二人の顔をはっきりとは見ていないと思われるが、一瞬不審そうな表情をして見せ、そのまま通り過ぎた。

 清太は青ざめた後、真っ赤になった。
「ほら、人に見られちゃったじゃないか!! 離せよ、あんた僕をレイプする気なの・・・!?」
 自分で口にした言葉に、清太は戦慄した。
「そうじゃない。とにかく来るんだ。・・・いい。お前が言わないのなら、ネオンが点ってるだろうから、歩いてホテルを探す」
「啓二さん・・・」
 周りに民家が多くなってきたので、清太は声のトーンを下げるしかなかった。泣きたい気分だった。とても叫んで人を呼ぶことなどできなかった。ホテルに連れて行かれることより人に好奇の目で見られることのほうが、今の清太にとっては苦痛だった。

「なんで・・・どうして、こんなことするの・・・?」
 啓二に引っ張られながら、清太は聞いた。啓二は振り向かずに答える。
「お前が俺に靡(なび)かないからだ」
「啓二さん・・・。僕もう逃げないから、とりあえず、手、離して・・・。ちゃんとついて行くから、少し離れて歩いてもいいでしょ? 人目に付くの、嫌なんだ・・・」
「ほんとだな」
 啓二はようやく、清太の手を解放してやった。


『こんな、こんなことになるなんて・・・! 啓二さんが、こんな人だったなんて・・・!』
 安物のせいか、軋み音のよく鳴るベッドの上で啓二に突かれながら、清太は思っていた。
 先ほど、シャワーを浴びて清太のいるベッドに上がってきた啓二は、清太の体を愛撫し始めながら、言った。
「お前が大人しくさえしていれば、痛くしない。俺はレイプなんて、趣味じゃないからな。・・・気持ちよくさせてやる・・・」
 確かに、あの場所を予め潤すことなくいきなり入れてきた、というわけではなかったので、痛みはないのだが、清太の気持ちとしては、犯されているも同然だった。啓二に両手首を掴まれ、仰向けの状態で攻められながら、泣いていた。

「どうした? よくないのか? ・・・ああ、そんなに身を強張らせてたら、だめじゃないか。痛くなるぞ」
 啓二は少し動きを抑えてやりながら、言った。
「うるさいっ! いいわけないだろ・・・!」
 犯されてるんだから、と心の中で続きを言う清太。しかし痛みを伴うのは嫌だったので、仕方なく言われた通り体の力を抜いた。
 それで啓二は遠慮なく、元の早さに戻した。・・・二人の初夜のように、激しかった。
 清太の意志とは関係なく、体のほうにはいつものように、快感が昇ってきていた。
――だが、その夜は互いにとって、不本意なものに終わった。

 済んだ後、シーツの上で右膝を立て、その上に両手を重ねて置きながら、清太に背を向けて、啓二は言った。目は、カーテンがぴったりと閉じられた窓のほうを見ている。
「・・・全く、強情な奴だなお前は」
 どこか、怒りを含んだような声音だった。
「俺とやってよがるのが、そんなに嫌か」
 仰向けで横たわったまま、啓二の広い裸の背中を見ながら、清太は答える。
「嫌だよ。この状況で、僕があんたに完全に気を許すとでも、思ったの?」
 清太は今日も、あの時に啓二が聞きたいと思っている言葉を、言わなかった。

「あんた、僕を独占したいの? 彼氏と別れなくてもいいなんて、言ってるくせに・・・。矛盾してるよ」
 すると啓二は振り向いて、左手をベッドに突いて言った。
「そんなこと俺からわざわざ言わなくても、そのうちお前は、俺のことだけ考えるようになると思ったからさ。そうすれば、お前は自然と今の彼氏と別れる気が起きる・・・」
 清太は鼻で笑った。
「へえ、大した自信だね」
 言いながら、起き上がった。啓二も清太と向き合おうと、体を反転させた。一瞬、見つめ合った二人。

「今まで抱いてきた奴らは、みんなそうだったんだ」
 何故かこの言葉を聞いて、清太は胸に甘い感情が湧くのを感じた。
 目が合ってから一度視線をずらした啓二だったが、またまともに清太の瞳を見つめた。両手を上げて、清太の顔を包んだ。

『いけない、ここでまた前みたいにキスなんかされたら、この人のペースにはまっちゃう・・・!』

 あわてて、啓二の両手を自分の顔からはがし、そのままベッドのへりから両足を下ろした。
「と、とにかく、僕はあんただけの所有物になる気はないよ。誰でも自分に靡くと思ってるの? それに毎日逢うなんて無理。大人のくせに、それくらい我慢してよね」
「じゃ、ベルは今まで通り、鳴らしていいんだな」
 啓二は思い通りにならない少年の横顔に言う。
「・・・一日10回までにして。お願い」
 今回のように危険なことをされるより、そのほうがずっとましだと思ったので、清太はこう答えた。


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