それから数日間、清太は授業中も部活の練習中も、二人の男のことで頭の中は一杯だった。
 ある授業中に、考えに詰まって一つ溜息を吐(つ)いたのだが、それを親友の秋川が目ざとく見ていたらしく、チャイムが鳴るとすぐに、彼は清太の席の横に立った。
「なんだよさっきの溜息」
 見上げると、秋川がにやけながら立っている。清太は教科書とノートをしまおうと、机の上でそれらをトントンと揃えているところだった。秋川はさらに言う。

「誰かさんのことでも考えてたのか?」
 同類の彼は、当然男のことを言っている。だが清太は、二股のことは彼にも話していなかったから、秋川は、自分の親友は恋人との甘い夜のことでも考えていると思っているのである。
 清太は教材を机の中にしまうと、立ち上がって言った。
「違うよ。練習のこと考えてただけだよ。今日、きついメニューだろ?」
 秋川は拍子抜けして、きょとんとしていた。


 次の日曜、光樹は友人たちとサーフィン、清太は部活の練習があるはずだったが、その日は偶然にも朝から雨になった。清太のほうは練習が中止になり、光樹のほうはというと、サーフィンはいい波さえ立てば雨でも関係なしにできるが、この日はいい波が立たないからと、逢えることになった。

 その週は、清太は啓二とは逢っていなかった。啓二の仕事が忙しかったからだ。ポケベルと携帯で連絡を取り、話をしただけだった。
 啓二に別れを告げる決心は一応したのだが、いざ楽しそうな彼の声を聞いてしまうと、言葉を飲んでしまう清太だった。啓二が怒る姿をまだ見たことがないので、怖くもあった。

 光樹と清太がよく使うホテルは、海のそばにあった。海好きな光樹の趣味だった。
「天気予報が外れて良かったね。今日・・・雨降ってるからさ、海の眺めも悪いだろうね。この辺のにしようか?」
 待ち合わせの駅改札口で落ち合うと、光樹は言った。二人の家の中間地点、つまり清太の学校の最寄駅なのだが、そこで二人は待ち合わせていた。

 この辺・・・というと、以前清太が啓二に無理矢理連れ込まれた安ホテルがある。恋人と逢うのに、そんな嫌な思い出がある場所を使うのは、清太は気が進まなかった。
「でもさ。雨に煙る海も、いいかもしれないよ。雨雲が映ったグレーの海も、僕好きだな・・・」
 清太の意見を、光樹は受け入れた。


 その、海を臨む一室で、若者たちは3週間ぶりに肌を合わせた。
 外では、建物の水色の壁が今日は雨に濡れて、青く光っていた。
 光樹が清太の上に寝て、恋人の唇を味わっていた。二人の両手指は、複雑に組み合わさっていた。
 先週啓二に付けられた体中の赤い斑は、すでに消えていた。その無垢な肌の上を、光樹の唇がなぞっていく。
「・・・暑いな」
 外は雨で肌寒いので、部屋の中は設定温度が低めながらも、暖房が入っていた。光樹は、自分の腰のあたりまでかかっていた毛布を、ベッドの端に追いやった。
「もう部屋あったまったし、消していいかい?」
「うん。・・・なくても暑くなるしね」
 清太は笑顔を交えて言った。

 久しぶりに迎え入れた光樹の体は、とても熱く感じられた。3週間の間、清太と違っておそらく光樹は、他の誰ともベッドを暖め合っていない。清太の実体を探し求めるように、それは体の奥を目指して動いた。
『一つになりたい・・・光樹と・・・』
 恋人を受け入れている部分から、徐々に全身に向かって、清太の体温は上昇していった。
 だが光樹の動きは、啓二ほど激しくはないのだった。
 ・・・一度目の終着点は、光樹だけが辿り着いてしまった。
 いつものことだった。
 清太も感じてはいるのだが、光樹と交わって、最後までいくことは稀(まれ)だった。

 相手が果てたので、これ以上何を求めることも無駄だった。虚しさを感じながら、清太は光樹の背中に右腕だけ預けていた。
 呼吸が平常に戻ると、光樹は起き上がり、乱れた茶髪をかき上げた。
「何故だ・・・? 君、いかないな・・・。俺が悪いのか?」
 清太も起き上がる。
「俺、下手か?」
「分かんないよっ、そんなこと・・・」
 二人、ベッドのへりに並んで腰かける形になった。清太は光樹の右側に座った。
「他に比べようが・・・」
 この時、光樹の方眉がぴくりと動いたが、清太は見なかった。

「俺の他にも寝てる奴、いるだろ?」

 一瞬、清太は我が耳を疑った。驚きに、横にいる光樹の顔をまともに見た。真顔である。
「な、なんだよそれ・・・沢本のこと?」
 まさか啓二のことではあるまいと思おうとして、清太はまずこう言ってみた。
「そいつはもう関係ないだろ。終わったんだから・・・」
「じゃ・・・、なんで・・・? なんで、そう思うの・・・? どうして・・・? 僕がそんな、光樹がいるのにそんな、浮気なんて・・・」
 言い逃れができるものなら、したかった。にわかには信じがたいことだから・・・。

「俺・・・」
 光樹は両手で、体を支えるためにベッドの上に置かれていた清太の左手を握った。瞳は、清太のそれを見つめている。
「俺だって、信じたいさ、君を・・・。最近、なんか様子が変だなって思うことは、なくもなかったけど、君を信じてるから、あえて考えないようにしてたんだ、今まで・・・」
「光樹・・・」
 見つめられている瞳をそらせないまま、握られている手の内側が汗ばむのを、清太は感じていた。

「でも・・・2、3日前、聞いちまったんだ、君の噂・・・ちらっとだけど・・・。電話じゃなくて、今日逢えるなら、直接君に確かめようと思ってた」
「何・・・?」
 驚きと悲しみと不安とで、複雑になっている表情を恋人に見せながら、清太は聞いた。心なしか、少し震えているかもしれない、と思いながら・・・。

「俺、大学ではこっちの人間だってこと、内緒にしてるだろ? だから、普段は2丁目行ってるような連中とも付き合いないんだ。でも、高校からのそっちの友達とは、今でも電話でしゃべったりするんだけど・・・」
 以前、光樹は大学の同級生には同類はいないと言っていた。見かけがいわゆる軟派タイプに見えるせいか、気付かれることも今のところないそうだ。
「あの、光樹は2丁目、行ったことあるの・・・?」
 恐る恐る、清太は聞いてみた。

「昔はあるけど・・・今は行かないさ。そいつが、たまには遊びに来いよって、面白半分に誘うことがあるけど、行かない。君がいるから・・・。その日も、そういう電話だったんだけど、そいつが言ってたんだ。最近2丁目の啓二さんが、夢中になってる子がいるって・・・。その子の名前が、”しょうた”っていうらしいんだって・・・。そういう噂が、今2丁目で持ち上がってるって・・・」
 この時にはすでに、清太は光樹の直視を逃れて横を向き、青ざめていた。今度は、震えていると自分でも如実に分かった。

「それって・・・君じゃないのか?」
「・・・」
「どうして顔を背けるんだ?」
 左手を握らせたまま、清太はようやく口を開いた。
「それ、が・・・本当だったら、どうするの、僕を?」
 再び恋人に見せた顔は、泣き笑いに近かった。

 外の雨は、朝には小降りだったが、今は激しくなり始め、海面を叩く音が聞こえてきそうだった。――それは実際、大粒の雨が、カーテンの外の窓を叩く音だったが。

「僕を・・・怒ってる? 軽蔑する? 殴りたい? 殴っても、いいよ・・・」
 それで全部許されるとは思わなかったが、そうでもされなければ、自分を許せない気がした。
 ・・・が、光樹は清太を、優しく抱きしめてきた。
「やっぱりそうなのか・・・。別に君を殴ったりするわけじゃない。取り戻したい・・・。でも相手が啓二さんじゃあ・・・」
 光樹の腕の中で戸惑う清太。
「でもなんで、光樹が啓二さんのこと、知ってるの・・・?」

「ああ。君と出逢う前、すでにあの人その界隈で有名だったから・・・。その手の店で何度か、見かけたこともあるんだ。向こうは、俺のこと覚えてるかどうか、分からないけど。今は店も行ってないしな・・・」
「見かけただけ・・・?」
「うん。その頃、色々話を人伝(づて)に聞いてたくらいで・・・。でも、あの啓二さんが一人にのめり込むなんて、聞いたことがなかった」
 清太は光樹に抱かれたまま、見上げた。
「何・・・? さっきからなんか、皮肉に聞こえるよ・・・。やっぱり怒ってるんでしょ、僕のこと。平気で浮気してたって・・・」

「違うよ。それよりなんで・・・君が2丁目なんかに・・・。友達にでも連れてかれたのか?」
 光樹は、清太の髪を片手で撫でていた。清太は、何故こうも自分が優しくされるのか、理解できなかったが、とりあえず光樹の質問に答えた。
「先輩がちょっと・・・僕のこと啓二さんに話したらしくて・・・それで引き合わされたんだ。どうしてもって言うから・・・」
「そうか・・・」
 光樹は、いっそう清太を抱く手に力を込めた。


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