「・・・分かったよ」
清太は左手のドアのロックを外して開け、外へ出た。ドアを閉め、前へ進む間に、涼が助手席のドアを開ける。清太は一瞬だけ彼の目を見、すぐに逸らしてシートに座った。帽子は、まだ片手で持っている。助手席のドアが閉まったのを確かめると、涼は再び車を車線へと出した。
横へ来ても、少年は俯き、手元の帽子を見つめている。
「俺が怖いのか?」
聞くと、清太は小さくびくっ、とした。帽子を持った手に、力が込められる。
「だって・・・、怒ってるんでしょう?」
「何をだ?」
「ほら、そういう態度。僕が連絡しなかったから、怒ってるんでしょう? 涼のせいにしてるから・・・」
少年は、やっと青年の横顔をまともに見た。
「それは・・・もういいんだ。俺だって、わざと連絡しなかった」
「わざと・・・?」
清太は意外性に捕らわれた顔をした。運転中は前方を見ていなければならないので、彼の顔は横目で少しずつしか見られないのだが。
涼はハンドルを握る手が、汗ばむのを感じた。
「・・・君があのまま連絡してこなかったら、俺たちは終わりだってことだ。でも、そうじゃなかった。君は、不安になった。だから俺に電話を・・・」
少年は、また首を戻し、前方の景色を見る。まだ海は見えてこず、家並や建物、街路樹など、市街地らしいものが行き過ぎるだけだ。
「・・・そんなの、ずるい。僕を試したの?」
今度は涼の心臓が波打った。打ち明けなければ良かったかと、後悔した。
「そうなってしまった。だから、それは謝る」
「分かったよ。じゃあ、怒ってないんだね?」
清太はちら、と青年を見て、彼の感情を探ろうとした。しかし、涼はすぐには答えず、まっすぐに前方を見ている。
「・・・分からない。今の俺の気持ちは、簡単には表せない」
伏目がちになった彼の横顔を、少年は叱られた子供のような気持ちで見つめた。自分はまだ、許されてはいないのだと、痛感した。
「僕が、彼氏と別れないから・・・?」
左手を右膝の上に置き、少年は俯いて聞いた。
「そうだって、言ってほしいのか?」
青年は、ちらと少年を見た。強い視線で・・・。
少年は目を見開き、彼から体も顔も背けた。横の窓枠に左手を添え、体重をかける。
息が、苦しい。
「涼・・・、窓、開けていい・・・?」
質問には答えず、清太は言った。
「ああ。いいよ」
感情を込めず、涼は答える。
清太は窓の開閉ボタンを押し、全開にした。やっと外の空気が吸えるとほっとしたのも束の間、風は強く少年の頬を叩いた。車は標準速度で走っているだろうのに、少年には速く感じた。
会話が途切れ、青年は、核心に触れるのを避けようとしている少年の背中を見つめた。今日、彼の心をこじ開けるのは、時間がかかるのだろうか。そう思っていると、彼が窓外の景色を見て、自分に背中を向けたまま、声を出した。ちょうど、信号待ちになった時だった。
「あの鳥の写真・・・」
「え?」
「バードピアの。ちゃんとアルバムに入れたよ」
「ああ、あれか。二人で写ってるのもか?」
「うん・・・」
光樹の写真はスケジュール帳に挟んでいるのに、自分はアルバムだけか、と青年は寂しくなった。
「だって、見る時にまとめて思い出したいから。あの時のこと・・・」
少年は振り向き、すがるような目で青年を見た。二人は数秒、見つめ合った。
涼が言葉を探していると、信号が変わり、車を進めなければならなくなった。
「涼だってあの写真、大事にしてくれてるんでしょう?」
「ああ。俺もアルバムに入れてる。あの時は、楽しかった」
青年は、小鳥を手に止まらせ、可愛らしく微笑む少年の顔を思い出しながら言った。その1枚だけは身近に感じていたくて、人目につかないようひっそりとスケジュール帳に挟んでいたが、それについては黙っていた。
「僕も、楽しかった。でも、光樹といる時も、楽しいの。彼といると、安らぐの」
甘い記憶を蘇らせていたところへ、急にもう一人の男の名前を出され、涼は戸惑った。
「清太・・・」
「・・・比べるなんてできない。僕が光樹を好きな気持ちを、認めてほしいの。涼が僕を好きなように、僕も光樹が好きなんだ。失うのが怖いの」
言葉を吐く間、少年はずっと青年の横顔を見ていた。青年は少年の悲痛な表情を見せられ、やるせなくなった。
「俺は? 君は俺を失っても平気なのか? 光樹だけで・・・」
思わずスピードも上げそうになるが、それは抑えた。海を目指し、467号線を走らせていたのだが、光樹と関わりのある海へなど、何故向かっているのかと、青年は自分を咎めた。
「違うの。だから、僕は二人と・・・」
それを聞き、涼は唇を噛み締めた。いつの間にか、話はまた平行線になっている。今はやはり、光樹から彼を奪うのは無理なのか。どこかで妥協しなければ、彼とは付き合えないのか。
「清太・・・、その話は・・・」
「聞きたくない? もう、聞き飽きた?」
苦笑いで、彼は言う。
「・・・」
涼はまた言葉を失い、黙ってしまった。
「・・・あの時・・・、最初から、涼を受け入れないほうがよかった?」
「あの時って・・・」
「公園で再会して、あんたに体を許した時、心もちょっと許した。でもその時、もう二度と逢わないって、決めればよかったのかな。それに横浜へ行った時、やっぱりこっぴどく振ればよかった?」
「清太、何を言って・・・」
涼は二人の大切な思い出を消そうとする彼の言葉に、我が耳を疑った。
「それとも僕たち、最初から出逢わないほうがよかったのかな? 僕が新宿なんか、行かなきゃ・・・」
少年は固く目を閉じた。涙が発生するのを、抑えようとしていた。
「やめろ、清太。そんなふうに考えないでくれ。・・・しばらく、話はやめよう」
それで、二人は沈黙の中に身を投げた。窓から流れ込む風の音だけが、二人の耳に届く。
The Flow Of The Waters
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