清太はまた膝を抱え、海と、はしゃぐ人々とを眺めた。先程までより、少し斜め前にいる彼の髪は、海風に乱され、その隙間から、白い頬や高い鼻が覗いて見える。
少年が小さく見えて、涼は抱き締めたくなった。しかし、今は抱き締めてはいけないのか。
こんなに弱い清太を見たことは、今までになかった。
いつも気丈で、相手に弱さを見せないようにしている、彼。だがその糸が切れると、泣き出してしまう。過去にあった何事かが、更に彼を危うくした。本当は、彼の心は脆いのかもしれない。自分は、そんな彼の支えになりうるだろうか。
光樹は今まで、そんな清太の支えになっていたということか。だから、清太は光樹と別れたくない。
もう一人の青年は、清太に何が起こったのか、全て知っているのか。何らかの悩みや苦しみを、共有したことがあるのか。自分と共有するものは、何もないのか。
『愛してるんなら、大事にしてやれ』
急に、以前武司に言われた言葉が心に浮かんだ。
『抱くことばっかり考えるな』とも、言われた。それは、清太のことを人としてちゃんと見ているのか、ということだ。
今まで、性の対象としてしか見ていなかったとでもいうのか? ちゃんと、大事にしているつもりなのに。他の男には抱かれてほしくないだけなのに。人として見るとは、どういうことなのだろう。
もし彼に、辛い過去のことを話される時が来たら、それを全て受け入れるだけの心の準備が、できているのか、それを問われたら、戸惑う気持ちはあった。しかし、彼を愛している、人として愛しているのならば、受け入れなければいけない。それは分かっている。光樹はきっと、清太に何があってもしっかりと受け止めてきたのだから、自分もそうすべきだ。
清太こそ、自分を人として見てくれているのか。まだ自分に、全てを見せているわけではないということは、自分を完全には信頼してくれていないのか。それともそれはまた、自分のせいなのか。
「…涼」
静かな声に顔を上げると、少年が乱れる髪を押さえながら、こちらを見ていた。まだ瞳に暗さが残るが、確かに呼吸は整ったようだ。
「清太…」
呼びかけに思わず応えたが、続く言葉が見つからない。少年が、先に口を開いた。
「また、歩かない?」
そう言って、少年はジーンズの後ろを手で払いながら、立ち上がった。
「あ、ああ」
彼に従い、涼も立ち上がる。
二人はまた防波堤の上を歩き出した。清太が先に立つ。
黒人の自転車乗りが向こうからやってきて、すれ違った。タンクトップにショートパンツの、ラフな格好だ。この辺に住んでいるのだろうか、と涼は思った。彼もサーファーなのか?
「でも、なんで・・・」
「涼にはあんなところ、見せたくなかった。でも、ちょっと苦しくなっただけだから、気にしないで」
こちらの言葉を遮るように、顔を少しこちらに向けて、清太は言った。
「ああ、うん」
涼はちょっと戸惑い、頷いた。こちらが言おうとしていたのとは違う話題だったが、やはりこれ以上触れられたくないのだろうか。だったら何故、光樹とのことなど話すのだろう。
彼は本当に、自分と別れるつもりなのだろうか。別れたいから、光樹の優しさや過去などをわざわざ話すのか。彼に別れ話をするつもりが、彼から切り出されてしまうとは・・・。この上彼を試す勇気が、揺らいできた。
しかし涼は、思い切ってもう一つの気になっていることを少年に聞いた。
「でも、なんで光樹は、君を放っておくんだ?」
「え・・・?」
清太は予想していなかったらしく、こちらを振り返った。彼は思わず立ち止まる。涼も止まり、続ける。
「君は光樹がサーフィンにばかり行ってしまうから、寂しくなるんじゃないのか? だから、新宿へ来たんだろう? 俺たちに、簡単に体を許したんだろう?」
「涼、そんな話・・・」
人に聞かれたらどうするのか、という戸惑った表情を少年はしてみせた。
「君は寂しいんだ。だから、彼氏以外の男と寝る。寂しくなければ、ずっと光樹とだけ逢っていればいい」
「涼、やめてよ。・・・場所を変えよう」
彼は困った顔をし、先に立って海とは反対側に向かい、防波堤を降りた。涼も仕方なく従う。海側とは違い、そこは人目があまりなかった。
涼は、まっすぐに少年の顔を見た。彼は視線に耐え切れず、目を逸らした。こちらが、怖い顔をしているのだろうか。彼は目を伏せて答える。
「・・・新宿へは、自分を試したいから行ったの。僕はサーフィンはできないけど、一緒に海に行くことだってあるんだから。彼が海から上がったら、一緒にデートしたり・・・」
「でも君が、時々寂しくなるのは事実なんだろう?」
涼は詰め寄る。少年は一瞬顔を上げ、また斜交いに伏せた。
「・・・寂しくなる時があるのは、確かだよ。でも光樹は何も悪くない。みんな僕が悪いんだ。子供だから、大人になれないから、独りになるのが怖いの。光樹だけを愛するって決めたのに、それができないんだ」
少年は、眉を歪めて辛そうな表情をし、言葉を搾り出していた。ここでも風は強く、彼の髪を乱す。
「光樹を庇うのか。彼は悪くない? そんなに光樹が大事か」
涼は苛立ちを覚え、彼を置いて一人で歩き出した。駐車場へと向かう。
「待って。まだ話したいんだ、涼」
少年は追いすがってきたが、構わず青年は歩く。が、清太が腕を掴んで、引き止めた。涼は振り返る。厳しい表情は、崩せずにいた。
「まだ、見てほしいところがあるの。来て」
今度は清太が青年を過ぎ、先に立つ。
「行くって、どこへだ?」
「いいから、来て」
わけも分からず、青年はまた少年についていくしかなかった。
やがて着いた所は、水色の壁をした建物の前だった。それは、ホテルだった。涼は頭が混乱した。今の自分たちは、とてもそんな雰囲気ではない。
「清太、どういうつもりだ? 説明してくれ」
ここへ入ることで許してほしいとでも言うのかと、青年は訝(いぶか)った。
やっとこちらへ向き直り、少年は口を開いた。
「光樹と二度目に逢った時に、彼とここへ来たの。・・・中へも、入った。その時、彼にはもう一人恋人がいたんだけど、僕はそれでも良かった。彼が逢ってくれるだけで、そばにいるだけで、幸せだったんだ」
わざわざこんな所へ連れてきて、更にこんな話を・・・。清太は冗談でなく、真面目な顔をしていた。一体、どういうつもりなのだろう。涼は今の状況に面食らっていたが、それでも口を開いた。
「本命じゃなかったのか、光樹にとって君は・・・」
彼は頷いた。
「最初の頃は・・・」
「でも今は、君とだけ付き合ってるんだな」
「うん。僕を、選んでくれたんだ」
のろけか? 自分が怒っていることを分かりながら、まさかそんなつもりではないだろう、と、涼はあれこれ考えを巡らせた。
「だから、なんだ? 君が光樹を想う気持ちは、もう分かった。嫌味か? こんな、ホテルなんか見せるなんて。俺の知ったことじゃない」
「違うの。僕がってことだけじゃなくて、光樹も僕を想ってくれてるの。それを分かってほしかっただけ。彼が僕を放っておいてるなんて、涼が誤解してるから・・・。光樹に、サーフィンやめてなんて言えない。光樹だって、僕にサッカーやめろなんて、言わないし。趣味を奪うなんて、できないでしょ」
「束縛していない、そういうことか。君たちは互いに・・・」
「そう、だと思う」
「分かった、もういいだろう? 行こう」
「う、うん」
二人はまた歩き出したが、どこへ向かうのかは、二人とも分かっていなかった。それでも、できるだけ後ろのホテルから離れたいと、涼は早歩きになった。元来た道を、記憶に頼って戻るだけだ。清太と光樹との、あらぬ姿を想像してしまいそうになり、青年は頭を振った。
やはり彼は、光樹のものなのか。彼は自分よりも、もう一人の男といたほうがいいのだろうか。心の支えになっている彼が・・・。自分では、支えにならないのか。涼はまた、胸をかきむしられるような思いになった。
「涼、怒ったの? どこへ行くの?」
少年は必死に追いすがる。
話はまだ、結論に達していない。それに気付き、涼は立ち止まる。後ろの少年を見る。彼は、怯えた顔をして、足元を乱れさせながら立ち止まった。
「車へ戻ろう」
青年は冷ややかに言った。
The Flow Of The Waters
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