外へ出ても、風の強さと暑さは変わらなかった。清太の着ている、黒地にイラストの入ったゆったりとしたTシャツも、風をはらんで膨らむ。光樹のシャツの裾もはためく。歩くと汗をかくが、すぐにひいてくれるのだけはありがたかった。
「暑いな。ちょっとなんか、水を浴びたい気分だな」
レストラン下に降りて地面に立つと、光樹が腰に両手を当て、遠くを見回しながら言った。様々なアトラクションが見える。
「アクアライドか、ウォーターシュートっての乗ってみようか?」
「うん、面白そうだけど、でも濡れちゃうよ」
清太は不安げな顔をした。
「ポンチョ借りれば大丈夫だって。無料で貸してくれるって」
それならということで、二人はウォーターシュートに乗ってみた。そこには行列ができていたので並んだ。しかし土日ではないので、待ち時間は短かった。ポンチョを借りてはみたが、顔や手の甲は思い切り水を被ってしまった。二人は船の前のほうに乗っていた。レールを滑走する船体が着水する時、大きな飛沫が上がり、先端に立つ船頭役の人が同時にジャンプしてみせ、乗っている客やギャラリーを沸かせた。
「やっぱり濡れちゃったー。光樹、タオルかハンカチ持ってる?」
アトラクションの後、清太はリュックからハンドタオルを出した。
「ああ、小さいのならあるけど」
彼はジーンズの後ろポケットから取り出そうとした。それはタオル生地でなく、薄いものだった。
「じゃ、僕2枚持ってきたから使って」
清太は彼に青いハンドタオルを渡し、自分は白いそれを使った。
「ありがとう」
光樹は感謝の笑みを零す。そうして、顔や腕を拭く光樹の姿を、清太は幸せな心持ちで眺めた。
「もっと後ろに乗ればよかったかな」
光樹は言った。
「ううん、面白かったよ」
乗る前は濡れるのが嫌だったが、今にしてみればこんなひと時が味わえるのだから、濡れてよかったとさえ清太は思う。
「ごめん、ほんとにこんな濡れちゃった」
ハンドタオルを返す時、申し訳なさそうに光樹は言った。
「ううん、大丈夫」
清太は2枚のタオルを再びリュックへとしまった。
「さて、次は・・・と」
光樹はある方向へと歩き出した。清太も彼について歩き、段々近付いてきたものは、サーフコースターだった。
「えー、やっぱ乗るの?」
「実は俺、前から乗ってみたかったんだ。普通の遊園地にはないじゃない? 海に向かってくなんて」
彼は何気なくわくわくとした顔をする。まるで子供のような表情だった。それを見て、清太の恐怖心は少し薄らいだ。彼の望みなら、彼が横にいてくれるのなら・・・。
「うん・・・。じゃあ、乗ってみる」
コースター下は、ウォーターシュートよりも長い列ができていた。それほどスリルがある、ということか。頭上に聞こえてくる悲鳴、数々のアップダウン、そして何よりも目の前の、レールが海に突き出している部分を見て、清太には再び恐怖心が頭をもたげてきた。思わず眉を歪めた。普通の遊園地にあるようなジェットコースターなら好きだが、これは全く未経験のことなのだ。それは光樹も同じだろうに、彼は海が好きだから平気なのだろうか。いつもなら自分がコースターまで彼を引っ張っていくのが常なのに、今日だけは違っていた。
「大丈夫だって。ほら、あんな小さい子も並んでる」
光樹は列の前方を指差した。確かに小学生くらいの男の子や女の子まで並んでいる。それを知って、清太は多少の恥ずかしさも感じた。だが、子供でも乗れる、と光樹は言いたいのだろうが、子供は怖いもの知らずなのだ。
「乗ったらすぐ、手を繋いでもいい?」
清太は周りを気にしながら小声で聞いた。本当はこの場でそうしたいが、人の目があってできない。光樹はその口元に耳を近付ける。
「うん。でも、動き出したら前のバーを掴んでないとね」
彼は親が子供をなだめるように言った。
乗り場まで鉄骨の階段を上っていき、やがて順番が来た。切られたブロックの最前列ではなかったことが、清太にとって幸いだった。コースターの先頭には、中学生くらいの幼い男女のカップルが嬉しげに乗り込んでいた。清太たち二人は、コースターの真ん中より少し前辺りになった。
乗り込み、安全バーが下がるとすぐに、清太は内側の手を下ろし、横に来るべき恋人の右手を待った。光樹もすぐに応じ、「大丈夫」と囁いてくれ、左手をしっかりと握ってくれた。しかしゆっくりとコースターが動き出すと、その手は離された。
「怖い、怖いよ」
そんな清太の声をよそに、段々と坂を上がり、コースターはてっぺんまで来た。そして止まったかと思うと、一気に下降線を辿って滑り出した。強いGが体にかかる。清太は思わず大声を上げた。光樹も叫ぶ。アップダウンを繰り返し、とうとう、海へと向かってコースターは疾走した。紺碧の海面が眼前に迫り、海へと放り出されるのではとの恐怖が清太の気持ちを乱した。彼は高い声で絶叫した。声を出さなければ、気が狂いそうだからだ。何故こんな恐怖を味わわなければならないのかと、叫びながら理不尽さも感じる。横の光樹も声を出してはいるが、彼は楽しそうなのだった。緩やかな斜面に来ると、「すごい、すごい」とさえ叫んだ。その声を、清太は気を失いそうな中に聞いた。
やっと恐怖から逃れられ、コースターから降りる時清太は、足元がふらついた。それを光樹が支える。
「もう、嫌。もう2度と乗らない」
階段を降りながら、清太は泣きそうな声で言った。光樹に支えられていなければ、歩くこともままならなかった。
「そんなに怖かった? 海、ちゃんと見えたかな?」
光樹は困った顔をして言った。
「見てないよ、ほとんど。ずっと目をつぶってた」
階段を降りきると、清太は光樹の腕を離れてその場にしゃがみ込んだ。
「光樹、意地悪だ」
彼の顔は見ずに、両手を膝の上に載せた。
そう言ってから清太は、まるで自分が罰せられていたような気持ちになった。こんな多くの罪を背負った者は、海に落ちればいいと。見えない何者かが、自分にそう言っていたのだと。それは光樹ではないと、今は思いたい。
「ほら、立って。人が見てるよ」
光樹は腕を取って立たせようとした。清太はまだふらつきながらも、やっと立った。
「悪かったよ。でも、珍しいね。君がこんなに怖がるなんて」
光樹は困った表情の中に、ほのかに笑みもにじませていた。
『君がこんなに怖がるなんて思わなかったんだ』と後悔して優しく言ってくれるのかと思っていた清太は、心に引っかかるものを感じた。光樹の目を見つめた。
「君が怖がる顔も可愛いからさ、見たかったんだ。ごめんね。ほら、次はゲームでも買い物でも、しに行こう」
だがこの言葉に、その思いは消そうとした。
The Flow Of The Waters
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