罪滅ぼしのつもりか。
他に男がいる罪を、自分の体を捧げることで、彼に少しでも許してほしかったのか。
光樹と逢い、抱かれた翌日の夜、清太は部屋に一人でいた。
彼に買ってもらったシロクマのぬいぐるみを胸に抱き、その可愛らしいひしゃげた顔を眺めながら、ベッドの上に横たわっていた。クッションを背もたれに、上体を起こして。
自分で買ったパンダの首振り人形は、窓際の棚に飾ってある。飾り用なので、このクマのようには抱けないのがもどかしい。光樹とお揃いになってしまったイルカのキーホルダーは、まだ袋に入れたまま、ポケベルにもカバンなどにも、着けられないでいた。
昨日の彼の態度で、他の男の存在がばれているだろうことの確率は、清太の中では5割以上になった。しかし、たとえばれていたとしても、それでもやはり、光樹を愛している。彼を失いたくない。
――そんなに光樹にばれるのが嫌なら、なぜ涼と逢う?
光樹は失いたくない。かといって、涼とも別れられない。真摯には、真摯で応えたい。だから自分は、彼を受け入れた。
清太はクマを置いて立ち上がり、窓際に寄ってパンダの頭を小突き、首をふらふらと揺らした。その姿もまた可愛らしくて、清太は心の中で微笑んだ。
パンダは抱けないので、彼は涼の写真を見ようと、机の引出しを開けた。光樹のそれと一緒にスケジュール帳に挟むのが嫌で、けれども生徒手帳に挟むと落としたり、人に見られそうな気がして、結局長3の封筒に入れたままだった。生徒手帳だと、光樹と映画館などに行って、学生割引のチケットを買う時に見られたらどうしようもない。封筒の中から、清太は涼が戸惑った顔をしている、二人で写った最初の写真を取り出した。自分がシャッターを押した・・・。それを両手で持ち、眺める。
”可愛い人”――ふとそんな言葉が浮かんだ。彼は薄い印画紙の中で、頬さえ赤らめている。年上をそんなふうに思ったことは、今までなかった。そう、光樹でさえも。
涼の優しさに、自然な笑顔に惹かれて好きになった。
彼には笑っていてほしいが、今のままでは彼の笑顔を見ることは許されない。自分が彼だけを選べば、見せてくれるだろう。しかし、それはできないのだ、今の自分には。
そうだ、今度小さなフォトアルバムを買ってこよう、と清太は思いついた。涼との大切な思い出を、ちゃんとしまっておくために。
――二人とも愛している。だからどちらも失いたくない。
突然、机の上にあったポケベルが鳴った。清太は封筒と写真をとりあえず置き、ベルの音を止めて、画面を見た。
『話したい』
その一言だけが、清太の目に入った。その下には、電話番号が並んでいた。・・・涼の携帯のものだった。何故かメッセージには、名前がなかったが、入れ忘れたのか、それとも番号だけで、自分に分かると彼は思ったのか。
涼の家へ行ったあの日別れてから、まともに話をしていなかった。次に逢う約束も・・・。
清太はポケベルを持ったまま、電話の子機を見やった。すぐにかけなければ、いけないだろうか。彼とちゃんと話したい気もするが、何を話せば良いのか、分からなかった。また、光樹と別れていないことを責められたらと、怖い気持ちもあった。だが結局、子機に手を伸ばし、彼の携帯電話の番号を押していた。
呼び出し音が数回鳴り、すぐに彼は出た。
「はい。・・・清太?」
ひどく久しぶりに感じる彼の声を聞き、清太は緊張した。
「うん・・・」
「今・・・大丈夫? 話せるかな?」
「うん、今部屋に一人」
清太は淡々と答えた。一人だからかけているのだが。どこか遠慮したような、彼の声だった。少年はベッドに寄っていき、腰かけた。緊張が彼に伝わらなければいい、と願いながら・・・。
数秒、涼は言葉を選んでいたようだった。緊張は彼も同じなのか。やがて、彼は静かに言った。
「この間は、ごめん・・・」
清太はそれを聞き、胸が締め付けられた。しかし、どう言えばいいのか、迷った。少年がすぐには何も言ってくれないので、涼は続けた。
「もう、あんなことしないから・・・。俺、焦ってたんだ」
「ううん、僕、ただ、びっくりしちゃっただけだから・・・」
「・・・嫌いにならないでくれ」
清太は受話口を近付けた。
「そんな、僕も悪いんだ。僕が・・・、はっきりしないから・・・」
初めのほうは勢い込んだが、後半は声が小さくなった。
涼は電話の向こうでしばらく黙った。
「逢いたい。今度、いつ逢える?」
「・・・」
即答できず、今度は清太が黙った。
「清太。聞こえる、よな?」
「・・・聞いてるよ」
清太はさっき置いたクマをまた手に取り、膝の上に載せた。
「逢って、くれるよな?」
不安になったのか、相手はこう聞いてきた。
「すぐは、ちょっと・・・」
少年は、自分と向かい合わせにしたクマの、片手を握った。
「光樹と、約束してるのか?」
「ううん。また連絡するって、それだけ・・・」
「最近、光樹とは逢ったのか?」
嫉妬が募ってきたらしい声色を、青年は少年に聞かせた。
「昨日、逢ったよ」
相手に比べ、何故か冷静になっている自分に、清太は気付く。今度はクマのぬいぐるみの耳を、手持ち無沙汰にいじる。
「そう・・・。どこに行った?」
「なんで聞くの?」
「気になるんだ」
清太は受話口をちょっと離し、また近付けた。
「寝たか、どうか・・・? それが聞きたいの?」
「そんな、別に・・・」
青年は戸惑う。
「・・・寝たよ。彼の家で、抱かれた」
相手が電話の向こうで絶句している空気が、少年に伝わった。
「だって、彼氏なんだから。しょうがないじゃない」
久しぶりの彼との会話なのに、何故こんなにも冷たくしてしまうのだろう、と思いながら、清太は言った。
「しょうがない・・・? 君は、嫌だったのか?」
「嫌じゃないよ。好きだもの」
「清太・・・」
涼は困った声を出した。
清太は1回深呼吸をし、ぬいぐるみを強く抱きしめながら、相手に告げた。
「僕、彼氏とは別れないから」
再び絶句する涼。
「それ・・・、今はってことだろう? 今は決められないって・・・」
「分からない。どちらかを選ばなくちゃって、最初は思ってた。でも、でもやっぱり・・・僕は光樹が好きなんだ。別れられない。別れるなんて、ありえない」
「なんだよそれ、どういうことだ・・・? 俺は? 俺のことはもう・・・愛してないのか? やっぱり嫌いになったのか? この間のことで・・・」
「違う。嫌いじゃない。涼は好き。愛してる・・・」
今度は急にしおらしくなり、少年は相手にすがった。
「君、自分の言ってることが分かってるのか? 二人とも好きだって言いたいのか?」
やや怒気を含んでいるような、彼の声。
「そう・・・。二人を、好きでいちゃいけないの? どうしても選ばなくちゃいけないの?」
聞き分けのない小さな子供のように、清太は言った。
「当たり前だ。俺は、待つ。君が俺の・・・俺だけのところに、来てくれるまで・・・。だからそんなこと言わないでくれ」
清太は子機を持ちながら、首を横に振った。
「僕は、二人と付き合いたい。そうするしかないの」
「清太」
「それが一番いいんだ、3人にとって・・・」
「清太、そんなの、そんなのだめだ。だいたい、どうして君はそんなに彼氏にこだわるんだ? 付き合いが、俺より長いからか?」
「・・・愛してるから。涼には分からないよ」
その言葉が、青年の感情に火を点けた。彼は語気を荒げた。
「分からないさ、君と光樹との間にあるものなんて。・・・もういい、彼氏に会わせてくれ。このままじゃ、埒(らち)があかない。会って、話をつける」
予想していなかったことを言われ、少年は焦りを見せた。
「そんな、会って、どうするの? 彼に、僕と別れろって言うの? それを、彼が承諾すると思う?」
「それは・・・」
「無理でしょう?」
”無理”という言葉が、これ以上二人が付き合うのが無理だと言っているように、二人には感じられた。
「だから、僕が二人と付き合うしかないんだ。分かってよ」
少年は、クマの頭に顔を埋めた。
「だめだ、分からない。そんなの、聞いたことがない」
夢遊病者のようにぽつぽつと、涼は言った。
「じゃあ、別れる・・・?」
青年にとって信じられない言葉が、少年の口から漏れた。少年も、自分で意識していなかったかのように、言った後で戸惑った。
「なんでそうなるんだ? 清太、落ち着いてくれ」
「落ち着いてないのは涼のほうだ」
「清太・・・」
「とにかく、僕は光樹とは別れないから」
そう言い捨て、清太は電話の待ち受けマークを押し、一方的に切ってしまった。
青年の耳には、今の冷たい少年の声の残響と、電話が切られた後の、機械的で非情な連続音が響いているだけだった。
The Flow Of The Waters
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