食事代は清太が嫌がるだろうと思い、割り勘にした。店を出て、涼が腹ごなしに歩こうかと誘うと清太も承諾したので、二人で中華街の中を歩くことにした。
 店の中と外との温度差に、清太は身震いした。
「暑いね、やっぱり」
 と涼。
 まずは中国雑貨の店を覗いてみた。そこはどちらかといえば女性向きな感じで、個性的なデザインのマグカップや茶杯、レンゲなどのちょっとした食器類、小坊主やパンダの人形や置物などが並べられていた。指輪やネックレスなどのアクセサリーもある。
 それほど広くはない店内を、二人並んで見て回った。涼が何気なく扇子を手に取って見ている時に気付くと、そばに清太がいない。左右、後ろに首を回してみても、その列にはいなかった。隣の列に入ってみると、人形やキャラクターグッズのところに清太は陣取っていた。お互いに興味がないだろうと思い、先ほど通り過ぎたところだった。自分だけ、通り過ぎてしまったのか。
 涼は声をかけて駆け寄ろうとしたが、少年の視線の先にパンダの人形があるのを見て微笑ましく思い、そのままゆっくりと近付いていった。

「これ、可愛いね」
 横でやっと声をかける。肉まんの時同様、また清太をびっくりさせてしまったが、その様子がまた可愛らしかった。
 パンダの人形は短い合繊のような生地で覆われ、手に取ると赤べコのように首がふらふらと揺れた。手足も動くようだ。座らせることも、四足で立たせることもできるが、首は常にふらふらとしている。大きさは15センチくらいか。
「これ、欲しいの?」
 人形を持ちながら顔を傾け、涼は笑顔で少年に聞いた。
「べ、別に。見てただけ」
 赤くなって、清太はすぐにその場を後にした。が、未練を残して、といった感じがした。
「涼は? 何か買うの?」
 清太は先に立って歩き、振り返った。
「ああ、暑いから扇子でもって思って、さっき見てたんだ」

 そこでは涼だけ白い、竹でできた扇子を買い、清太は何も買わなかった。もう少しキャラクターグッズを見ていたかったのかもしれないのに、無理してるのかな、と涼は思い、こんな小さなできごとだけでも、彼への愛しさが増した。と同時に、今日もし清太が彼氏と来ていたら、あれを素直に買っていたのだろうか、とも思い、少し気分が沈みもした。
 次に入った中国物産の店では、チャイナ服や食器を見た。黒と赤で作られた丸いチャイナ帽、底の浅い、黒いチャイナシューズ、赤や青、緑など色とりどりのカンフー服などは、どれも清太が着たら似合いそうだった。と思っていると、彼はカーキ色の、幅の狭いつばが前にだけついた帽子を手に取った。そばには鏡がある。が、横に涼がいるのを感じて、被るのを躊躇しているようだ。

「被ってみたら?」
 涼は鏡の向こうで、優しく声をかけた。
 清太は少し戸惑いながらも、被ってみた。鏡を覗く。鏡に映る、後ろにいる涼は微笑んでいた。
「似合うよ。可愛い」
「そ、そう?」
 清太は恥ずかしそうに、複雑な表情をしてみせた。その中に笑顔が垣間見えたような気がして、その時涼は微笑みながらもはっとした。気のせい・・・? いや、そう思いたくはない。
「これは?」
 涼は続けて黒い帽子を手に取って、清太に勧めてみた。それも、清太は被ってくれた。帽子を押さえて鏡を見ながら、頭の角度を変えてみてもいる。
「君って、なんでも似合うよね」
 気が緩んだせいか、涼は思っていたことを自然に口にできた。

 そう言われて、清太は光樹のことを思い出してしまった。彼とショッピングをする時、光樹もいつもこんなふうに、「可愛い」とか「似合うよ」と言ってくれる。
『彼みたいなこと言わないでよ・・・』
 ときめきかけた自分を抑えようと、清太は心の中で呟いた。
「どうする? どれか買う?」
 黒い帽子を被ったままの清太に、涼は聞いた。
「うん・・・」
『どうしよう・・・』
 光樹以外の男と、こうして買い物をしたことは今までなかった。彼の前でこれらの帽子を被ることはしないだろうけれど、買えば”浮気”の証拠を残してしまうことになる。だが、買わなければ涼の機嫌を損ねてしまう。自分は今日、彼にひどいことを言ったり、気持ちを見せないようにしたりしてきた。真面目に、好きでいてくれているのに・・・。自分が涼の立場だったら、きっとたまらないだろう。誤解の解けた今、多少なりとも、彼の気持ちに応えるべきではないのだろうか。

「緑の・・・買おうかな」
 清太は黒い帽子を外し、先ほどのカーキ色を再び手に取った。
「そう。あの、良かったら買ってあげるよ?」
「え・・・」
 清太は一瞬考えたが、次にはこう言っていた。
「いいの? ・・・ありがとう」
 買う時、涼は思いついて、日差しが強いからそのまま被ったらどうかと勧めた。そこで、とりあえず値札だけは取り、袋に入れてもらうことにした。

 手提げのついた紙袋にカーキ色の帽子を潜めて、二人、また歩く。
 買うでもなく、漢方薬局、エスニック調やヨーロッパ調のアンティーク・ショップ、多国籍な雑貨屋、料理器具などを見て回った。珍しいものばかりなのでどこの店も観光客で賑やかで、中の涼しさは外の暑さをしばし忘れさせてくれる。
 中国菓子の店では、この後も回るところがあるので、月餅などが入った詰め合わせを涼が買った。夕方までにお腹が空いたら、車の中などで食べればいい。


 中華街を出て、今度は山下公園へと向かった。
 あちこちに木陰はあるものの、ないところは日差しが強く、人や物の影のコントラストも強い。
「被ったら? 帽子・・・」
 買った後、なかなか清太が袋から出さないのを見て、涼は言った。
「あ・・・うん」
 清太はやっと取り出して、頭に載せた。美しい顔に、帽子のつばの影が落ちる。
 山下公園通り横には、かき氷や冷たい飲み物、焼きそば、焼きとうもろこし、使い捨てカメラやスナック菓子などを売る店が並び、そばのテーブルつきの席には、家族連れやカップルが腰かけている。そのあたりは日陰になっているが、それでも暑そうだ。子供の食べるかき氷の氷も、すぐに溶けてしまいそうで、その幼稚園くらいの男の子は、素早く食べようとスプーンを忙しげに動かしている。

 公園には、文明開化や各国からの友好の証など、様々なモニュメントが立っている。「インド水塔」、洋髪発祥の地を記念した「ザンギリの碑」。有名な「赤い靴はいてた女の子の像」は、膝を抱えた女の子が海のほうを向いてちょこんと座っていた。アメリカのサンディエゴ市からの贈り物、「ミッション・ベル」と「水の守護神」。「かもめの水兵さん歌碑」・・・。そのどれもが、”港ヨコハマ”を象徴しているのだろう。涼と清太は、公園の端から、それらを一つ一つ見ていった。
 パンジーなどの花壇、バラの咲く園(その)や噴水は、見る者をほっとさせる。広場には、ジャグリングや、炎の棒を持ってパフォーマンスをしている大道芸人、その周りにいるギャラリー、ベンチに座って語らう恋人たちがいる。

 二人は大道芸人のギャラリーの中に入った。白いブラウスにサスペンダー姿の、ジャグリングをしている金髪の外国人芸人は、コミカルな動きで人々を沸かせた。動きだけでなく、表情もおどけている。
「はは」
 と、隣で声がした。涼がとっさに見ると、横の清太が――笑っていた。腕を組みながら、右手をあごのあたりに当てて、――自然に笑っていた。帽子の下で。涼は思わず息を飲んだ。
 その様子に、清太が「どうしたの?」という感じで軽く振り向いた。笑顔はまだ残っている。
「い、いや・・・。面白いね」
 涼も笑顔を作ってみせる。
 笑わせたのは自分ではなかった。周りも皆笑っているので、その雰囲気に飲まれたせいかもしれない。それでも、涼は嬉しかった。やっと、やっと、清太の笑顔を見ることができたのだ。見ず知らずの外国人に、感謝したくなった。

 大道芸をしばらく見た後は、豪華客船・氷川丸の見える海際の柵へと移動した。そこでも、恋人たちが寄り添って語らっている。海面には、きらきらと陽光が照りかえってまぶしい。
「わ・・・」
 清太が風に帽子を飛ばされそうになって、片手で押さえた。深く被り直す。
「ここまで来ると、風が強いね」
 涼はそれを見ながら言う。柵に寄りかかり手を載せて、片脚をかけた。清太も手をかけて、海と、係留されている氷川丸を見る。そして彼は思う。
『そういえばさっき、笑っちゃったな・・・』
 パフォーマンスの面白さに思わず、だったのだが。その時は芸を見るのに夢中だったが、それを涼に見られたことが、今になって恥ずかしくなった。だが、笑ったことで、何か気持ちが軽くなったような気もする。今までずっと神経を張り詰めて、感情を抑えてきたせいだろうか・・・。
 柵の上に腕組みをして、そこに顔を載せ、海を見る。――心の中で、何かが変わりつつあるのかもしれない。清太はそんな自分に、戸惑った。  


Hot Spice
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