やがて、先ほど注文を聞きに来た女性店員が、お茶の入っているらしい白い磁器のポットと、茶杯の載った盆を運んで、こちらへ来た。
「ジャスミン茶です。こちら、緑茶に花の香りを移したものですので、香りをお楽しみ下さい」
店員はそう笑顔で言うと、二人の真中にポットを、それぞれの前へ、白く青い模様の描かれた小さな茶杯を置いた。
「あったかいね」
店員が去ると、蓋の部分をちょっと指先で触れてから、清太は言った。
「冷たくするのは、手間暇かかるからじゃないかな? 種類もあるし、作り置きするのも大変そうだしね。今、飲んでみる?」
涼はポットの取っ手を掴んで、空中で止めたまま聞いた。
「うん」
まず清太の茶杯にお茶を注ぐ。緑がかった薄茶色をしたものが、茶杯の縁近くまで注がれる。次いで、涼は自分の茶杯にも注いだ。
茶杯を手に取り、清太は鼻を近づけてみた。
「ほんとだ。いい匂いがする」
「うん。俺前、母さんが買ってきた安いジャスミン茶って飲んだことあるんだけど、匂いがきつくてだめだったんだ。でも、これはいいお茶みたいだね。そんなにきつくないし、味もすっきりしてる」
「日本の緑茶とはまた、違うんだね」
「冷たいのが来るかなって思ってたんだけど、冷たくすると香りが逃げちゃうから、熱いままなのかもね」
「うん・・・そうだね」
清太は少し飲みながら、涼の言葉を実感した。
珍しいものを口にして、思わず会話が弾んだ。それに加えて、涼のほうは先ほど悪くなりかけた雰囲気を、直そうとしていた。
「お待たせしました。飲茶セットCです」
ほどなくして、料理が運ばれてきた。今度も同じ店員だ。大き目の盆に、点心のせいろがいくつか載っている。
テーブルの上に置かれたのは、まずは皿の上にせいろが載った点心が三つだった。おいしそうな湯気が立っている。取り分け用の小皿も置かれる。
彼女は点心の名前をそれぞれ告げた。
「順にお持ちしますので、お待ち下さい」
続けて来たのは、小皿料理が二つ。そして一品料理のエビチリソースだ。
「デザートは最後にお持ちしますので」
「あ、はい」
涼が返事をした。
「では、ごゆっくりどうぞ」
「結構ボリュームありそうだね。がんばって食べないと」
涼は、テーブルに並べられた料理をぐるっと見回して気後れした。
せいろは、シュウマイ、餃子、肉まんが3、4個ずつ入ったものが三つ。小皿に載っているのは春巻き、にんじんや青物などの茹(ゆ)で野菜。エビチリは、ソースとエビの赤色が食欲をそそる。
涼は取り分け用の小皿を清太に手渡した。彼は最初に、エビ蒸し餃子を二つ皿に取った。半透明のプリプリとした皮の中を透して、エビがピンク色に見える。
涼はそれを見ながら、自分は色とりどりのシュウマイが入ったせいろから、黄色と白の二つを取る。
食べようとした時、目の前の少年が、熱いのでさまそうと口をとがらせ、ふうふうとしているのが目に入ってしまった。その可愛らしさに、思わず見とれた。
「・・・何見てるの?」
気付いた清太が、上目遣いに相手を見る。
「い、いや別に・・・」
可愛いから、と続けて言いそうになったが、その言葉は飲み込んだ。
「おいしいね、どれも」
二人で点心などを取り分け、食べながら、涼は声をかける。
清太は料理の一つを食べている途中だったので、首だけ「うん」という感じに縦に動かした。
『そういえば、清太が何か食べてるところ見るの、初めてだ・・・』
彼にまたとがめられるかもしれないので、できるだけ我慢していたが、それでもやはり隙を突いては彼の食べる姿に見入ってしまう。好きな相手が食べる姿を見るのは、幸せなことだと涼は思った。
「でもちょっと、味付けが甘いね」
清太がジャスミン茶を口に運びながら言った。
「そうかな? 日本人に合わせてるんじゃないかな? これはどうだろ」
と、涼はエビチリを見やった。
「食べるよね? 小皿、貸して」
二人分を皿に取り、同時に食した。
『・・・辛い』
清太は一口食べて思ったが、口にはしなかった。
「他よりは辛いけど、そんなでもないね」
「そう?」
涼とは味覚が違うのだろうか、と思いながら、清太は言った。
「ケチャップとかいっぱい使って、すごい甘いのがあるじゃない? 俺、ああいうのだめ。中華っぽくて、こういうほうがいいな。・・・おいしくない?」
「おいしいことはおいしいけど・・・僕には辛いかな」
「君って、甘いもの好き?」
「うん、好き」
「それもあるかもしれないね」
そうだろうか、と思いつつも、清太は皿に載っていたエビチリソースを全て胃の中に収めた。なんだか、体の中から熱くなっているような気がする。熱いお茶ではなく、冷たい水の入ったコップを手に取った。
二人で、最後に肉まんを食べた。涼は本当はもっと前に食べたかったのだが、清太がいつまでも取らないので、遠慮していた。きっと好きなものは最後に取っておくタイプなんだな、とまた一つ彼のくせを知って、少し嬉しくなったりもした。
肉まんは三つせいろに入っていた。涼が清太にもう一つを勧めたが、二つは入らないと言うので結局半分に割って食べることにした。肉まんを両手で持ち、ほおばる清太もまた、可愛かった。この時間がいつまでも続けばいい、と涼は思った。
一通り平らげると、ガラスの器に入ったデザートが運ばれてきた。杏仁豆腐だ。
上に載った赤いさくらんぼを、今度も最後に食べるかな、と涼は予想した。と、清太は予想通りの行動を取った。
「ふふ」
先に食べ終わっていた涼は、テーブルの上で両手を組みながら思わず笑みを零した。
「何、何笑ってるの?」
声を出す彼の笑いは初めてだったので、清太は少し驚いた。
「君ってさ、好きなもの最後まで取っておくんだな、って思って」
そう言われ、清太は赤くなった。
「いいでしょ、別に」
彼はまだ笑顔でいる。それがまた、優しい顔なのだった。
レンゲを置き、気持ちを隠すようにポットから茶杯にお茶を注ぐ。が、動揺は隠せず、手元が震えてしまっているのが自分でも分かった。零さないようにするのが、やっとだった。
今までは、彼に気を許さないように気を付けてきた。身構えてきた。だが今は、自然に言葉を交わし、自然にくせを見せるまでになっている。
『どうして・・・』
彼を許したから、という理由だけでは、説明がつかないかもしれない。
それに、彼の持つ雰囲気も原因の一つだろう。彼は、好きな男の子と付き合う時は、いつもこんな感じなのだろうか。自分を追いかけている時は、思いつめた面しか見せなかった。だが今は、違う。こうして明るく笑う面も、持ち合わせていたのだ。人間なら、当たり前のことなのだが・・・。
どうしてこの男はこんなに優しいのだろう。この優しさに、応えなければならないのだろうか。
清太がそんなことを考えていると、涼が笑顔を少し消した。
「あのさ・・・今日、彼は大丈夫だったの?」
清太は顔を上げる。
「そんなこと、あんたには・・・」
関係ない、という言葉が思い浮かんだ。しかし、今となっては関係なくはない。
「・・・今日はサーフィンだって。だから、この間逢ったよ」
「サーフィン、やってるんだ、彼」
清太は頷く。
「彼と逢ってる時、あんたがポケベル鳴らしてくるから困っちゃって・・・」
それを聞き、涼は焦った表情を見せ、次に申し訳ないといった顔になった。
「そ、そうだったの・・・ごめん」
「逢ってる時」というのは、まさかベッドにいる時では、と下劣なことを一瞬考えてしまった自分が、涼は嫌になった。それを感じ取った清太が、誤解されないように自分から言った。
「ファミレスにいる時・・・」
「そ、そう・・・」
そのまま、今度は涼が彼から目を逸らしてしまった。
「・・・もう少し、聞いてもいいかな?」
再び顔を上げる涼。
「彼のこと? ・・・どんな?」
「あの・・・今の彼とはどれくらいなの?」
大胆な質問だったかな、と思いつつも、いつかは聞いてみたいことだった。
清太は涼の顔をまともに見つめてから、答えた。
「・・・まだ1年だよ」
1年・・・。それほど続いたことがない自分には、長く感じられる時間だった。毎回、気に入った少年ができても、短い時は一度きりの関係で終わっていた。
『俺って・・・』
本気で恋愛したことがないのかもしれない。年下の清太のほうが、彼と1年も続いていると聞いて涼はそう思った。いや、清太と出逢うまでに、一人だけ本気で惚れた男がいた。――武司だった。だが彼とも、やはりすぐに終わってしまった。終わらせたのは自分のほうなのだが・・・。一人の相手を愛し続けるということが、今まで何故かできなかった。それを変えたのが、清太だったのだ。
Hot Spice
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