清太の、帽子の下に覗く美しい横顔を見ていると、涼はふと彼と写真を撮りたくなった。展望台2階には、売店がある。そこに使い捨てカメラも売っているだろう。しかし・・・。二人で写真に収まるのなら、誰かにシャッターを押してもらわないといけない。周りは男女のカップルや家族連ればかりだ。誰に頼めるというのか。それに、妙に思われるに違いない。男二人で並んで写真を撮るなど・・・。それならば、彼一人だけでもいい、平面の限られた画面の中に、彼の美しさを焼き付けたい。涼は、瞬きする度に動く彼の長いまつ毛を見ながら、口を開いた。
「ね、2階行ってみない? 望遠鏡もあるっていうし」
清太は景色から目を離し、振り向く。
「2階? いいよ」
軽く答えた。
2階へ上がると、清太は望遠鏡にコインを入れ、覗き始めた。
「俺、ちょっと売店行ってくるよ」
「そう」
清太はレンズを覗きながら言った。
売店でフラッシュ付きの使い捨てカメラを買い、涼は戻った。
「何買ったの? ・・・あ。何撮るの?」
少年は少し不審そうな目つきをしてみせた。
涼は狼狽した。すぐにその場で写真を撮ろうとは、言えなかった。
「あの・・・後で鳥を撮ろうと思って」
エレベーターで4階まで降りた。4階、5階屋上が鳥園になっている。入口に「世界鳥楽園 バードピア」と黒地に白い字で書かれた看板が立っている。ドアの上には、木の枝にカラフルな鳥の人形が止まった形の飾り付けがされている。
入口でまず驚いたのは、頭に黄色い瘤があり、その下に黄色と白の大きな長いくちばしを持った黒い鳥が出迎えたことだった。羽に白い筋がある。剥製かと思いきや、おもむろに動いた。生きている鳥だった。受付の女性に少し聞くと、これは東南アジアのツノサイチョウという鳥で、ここで十数年飼われている看板鳥なのだそうだ。清太を撮るつもりで買ったカメラだったが、まずはこの鳥を涼はカメラに収めた。
チケットを買い、中へ入る前に、プリンカップのようなアルミカップに入ったえさを受け取る。ここには熱帯雨林やオーストラリアの鳥が多種多数集められ、それぞれが放し飼いにされている。えさを差し出すと近づいてくる、と聞いて二人はわくわくとした。
中へ入ると、入口にいるのと同じようなサイチョウが、木の枝に止まっていた。アルミカップの中にはさいの目切りのフルーツと、ドッグフードのような固形のえさが入っているのだが、それを見つけるとサイチョウは首を伸ばしてきた。
「えさ、あげてみたら?」
涼は清太に声をかけた。
赤い目と大きなくちばしに、少年は引き気味になっているようだ。
「なんか、怖い」
「じゃあ、俺が・・・。ほら、大丈夫」
涼がカップを差し出してみると、鳥はひょいひょいとえさをついばんだ。が、ガツガツという形容のほうが相応しいかもしれない鳥の勢いに、清太はまだ怯えていた。
「あ、寄ってきた」
下を向くと少年の足元に、丸くて白黒まだら模様の体をしたホロホロチョウや、白や灰色のハトがわらわらと近寄ってきていた。
「こっちにあげてみる」
しゃがんで、清太は彼らにカップを差し出した。すると、途端に競ってえさをついばみ出す鳥たち。
「可愛い」
少年は微笑む。その様子に涼もサイチョウから離れ、しゃがんでえさをやる。二人、持っていた紙袋が地面に着かないよう、腕から提げて膝に抱えた。
「慣れてるね」
涼は清太の和んだ表情を覗き込んで言った。
「うん」
また歩き始めると、今度は淡いピンク色のフラミンゴが何羽か寄って来た。尻尾の部分だけ色が濃い。彼らもまた、人懐っこかった。涼はまたシャッターを押した。
「すごいね、フラミンゴまで放し飼いか」
清太は小鳥が好きらしく、今も木の枝に乗ったシソウチョウのそばにいる。これにもカップを差し出した。と、鳥は木の枝を離れて清太の手に乗ってきた。
「わ」
思わず声を出した清太。
「すごい、ね、涼、写真撮って」
声を弾ませた。
「え、あ、ああ」
今、鳥は少年の手に止まりながらえさをついばんでいる。涼は急いでシャッターを切った。少年と小鳥は、同じ画面に収まった。思わぬ幸運だった。清太の笑顔を焼き付けることが、やっとできたのだ。
その後も、ホオジロカンムリヅル、エミュー、ハクオウチョウ、アオハネヅル、キンケイ、チャボ、セキセイインコ、クジャクなど、色々な鳥が近づいてきてはえさを食していった。固形えさはあまり人気がなく残りがちだったが、エミューは好んで食べてくれた。
涼は少年と鳥とを写真に撮り続けた。撮られることに、清太は咎めたりはしなかった。彼は羽のある動物たちに囲まれて、すっかりはしゃいで表情が緩んでいる。人は動物を前にすると、誰でも子供の顔になる。素直な、子供の心に帰る。清太も例外ではなかった。涼はファインダーを覗く度、この笑顔が自分だけのものだったら、と意識の端で強く思った。こんな顔を、彼は恋人の光樹にはいつも見せているのだ。その、無邪気な美しい笑顔を。
巨大な鳥かごの網の上を見上げるとタワーの上部が、外を見ると横浜港が見える。ここはタワーの周囲をぐるっと取り囲んでいるのだ。耳には、常に色々な鳥の鳴き声が混ざって入ってくる。都会の真中に、こんな楽園があろうとは・・・。異世界のような、鳥たちがもたらしてくれる空中の楽園。ここも、来て良かった。
お互いのえさもすっかりなくなってしまったので、涼はそろそろ出ようかと清太に聞いてみた。
「え、まだいたい」
そこで、えさがなくなった後もしばらく二人で鳥舎にいて、鳥を眺めたり、まだカメラに収めていなかった鳥を撮ったりした。鳥だけを撮ることもあったが、清太が一緒に入ることもあった。
「ね、僕ばっかり写真に撮ってていいの?」
ある1枚を撮り終えると、清太は後ろ手に柵に寄りかかりながら言った。後ろには、青いニワトリくらいの大きさの鳥が何羽かいる。
「え・・・」
涼はカメラをゆっくりと顔から離した。
「涼は、いいの?」
「でも・・・」
誰が自分を撮るのか、と涼は思った。
「僕が・・・撮ってあげようか?」
「ああ・・・じゃあ、お願いするよ」
涼は遠慮がちに、少年にカメラを渡した。そして、少年と位置を代わろうと柵に近づいた。が、彼は動かない。柵にもたれかかったままだ。
「あの・・・」
涼は意味が分からず、複雑な顔をした。少年の顔を見る。彼と、目が合った。彼は目を逸らさない。
「そうじゃないよ」
清太はそう言って、カメラを持った腕をまっすぐに前に伸ばした。
「もうちょっと、寄って。入らないから」
彼はカメラのレンズをこちらに向けたまま言う。ちょうど、周りには人があまりいなかった。
そういうことなのか。
涼は言われるまま、少年の肩に自らのそれを近付けた。清太はシャッターを切った。フラッシュがたかれ、特別な1枚がフィルムに収まった。
「待って。上手く撮れてないかもしれないから・・・もう1枚」
清太のほうから、さらに涼に肩を寄せた。見ると、少年はレンズに微笑んでみせている。その表情と、彼と密着していることに涼はどぎまぎとした。2枚目が撮られると、涼は脚を動かして彼から少し離れた。
どういうつもりなのだろうか。彼のほうから、こんなことをするなんて・・・。ただ、後ろの鳥を撮りたかっただけなのか。それとも、自分と収まりたかった・・・? タワーに上りたがったことといい、彼の気持ちが分からなくなった。
と思っていると、清太はカメラを見つめながら言う。
「だって・・・ほんとは鳥を撮りたいからじゃなかったんでしょう? これ買ったの」
「え・・・その・・・。・・・うん・・・」
見透かされていたのか。涼は、一気に恥ずかしくなった。
清太のほうでは、彼が慌ててみせた時から目的が分かっていた。いつ「一緒に撮りたい」と言ってくるのかと思っていたのだが、彼は鳥ばかり撮って言わなかった。自分があの時、不審な目つきをしてしまったせいもあるのかもしれないが・・・。
『素直じゃないんだから・・・』
そうはいっても、その言葉はそのまま自分にも当てはまった。タワーに上ると言ったのも、鳥を見たいからというのは本当だったが、今日の自分の、彼に対する態度の、罪滅ぼしの意味もあった。
もう、遠慮なんてすることはないのに。武司ほどにとは言わないが、清太は涼には、もう少し強い態度を取ってほしくなっていた。
『これって、わがまま・・・?』
彼を真正面から愛することができないでいるのに、自分は彼から愛されることばかり望んでいる。自分は誰かと恋愛する時はいつでも、与えられることばかり求めてしまう。光樹は優しく、そんな自分を許してくれ包み込んでくれるので時々忘れそうになるが、それではいけないと一人になった時に思う。今も、思う。
「これ・・・返すよ」
そんなことを考えながら、清太は涼にカメラを渡した。
Hot Spice
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