バードピアを出ると、まだ時間があるので二人は3階の「機械じかけのおもちゃ館」へと行ってみた。
そこは1920年代のアメリカで、宝石店のショーウィンドウの演出用に作られた動く人形、「モーション・ディスプレイ」が70点展示された博物館だ。メリーゴーランドや隊列するおもちゃの兵隊、馬に乗った男女のカップルなどが、ぜんまい仕掛けで同じ運動を繰り返している。その動きは、時代を感じさせる微笑ましさがあった。中には、こんな時代にこんな精巧なおもちゃが、と思わせるような複雑な動きをするものもある。
おもちゃ館に併設されている、昭和30年代の駄菓子屋を再現した「繁昌本舗」や、ロボット人形が販売されている「ロボット研究所」も覗いてみた。そこには、大人が楽しめる昔の作品も、子供が楽しめる最近の作品も多数揃っていた。
「面白いね、ここ」
ロボットの並ぶ棚を見ながら、涼は言った。中華街で買った扇子で、自らを軽く扇いでいた。今、昔好きだったアニメのロボットが目の前にある。子供の頃には、高くて買えなかったものだ。大きさは清太が中華街の店で見ていたパンダの人形と同じ、15センチくらいだった。『欲しい』と思ったが、清太のいる手前さすがに恥ずかしくて、それはやめておこうと決めていた。持って見るに留めておこうと・・・。
「うん。涼も好きなんだね、こういうの。僕もそれ見てたよ」
清太は横で明るく言う。
「へえ、そうなんだ。なんか嬉しいな」
そうやって先ほどから、二人は自分たちが昔見ていたアニメや特撮もののロボットや戦闘機を見つけては、当時の話題で盛り上がったりしていた。清太も自分と同じように普通の少年時代を送っていたのだと思い、涼は安心した。彼にも、そういう無垢な時があったのだと・・・。彼とは、年齢的にもそれほど離れているわけではない。自分と共通の思い出があるのだ。
と、なかなかロボットを離さない涼を見てか、清太が声をかけた。
「涼、ひょっとしてそれ欲しいの?」
その声にはやはり明るさが混じっている。
「え? いや、た、ただ懐かしくて・・・」
慌てて、涼は棚にそれを戻した。
「嘘。欲しいんだ、ほんとは」
清太は意地悪っぽい表情をした。両手を後ろに回して、慌てる相手の顔を覗き込むようにさえした。
その顔に涼はどきりとして、赤くなった。なんて可愛らしいのだろう、という気持ちと、彼が冗談めかしていることへの驚きで・・・。いつか見た小悪魔的な笑顔が、今ここにある。からかわれているのだろうか。まるで、中華街の時と逆の場面を演じているようだった。
「買ったら? めったに別のお店には置いてないんじゃない? これ。昔のだし・・・もったいないよ」
清太はさらに言う。どうも先ほどから、彼にリードされているような気がする。パンダの件への”仕返し”なのだろうか。涼は心を決めた。
「そうだね・・・うん。買っちゃおう・・・かな」
一つ増えた紙袋を持って、涼と清太はさらに2階、1階のお土産ショップも覗いた。そこでは、清太は「これ、可愛い」と言って、シュウマイを象(かたど)ったキャラクター人形のキーホルダーを一つ買った。彼はもう、遠慮するつもりはないのだろうか。涼ははっとした。
――彼が自分に、心を開いてくれている――
今の彼の――清太の行動の理由は、全てこれなのだ。やっと、彼が・・・。涼は今更ながら心が震えた。同時に、すぐにそれに気付かなかった自分の鈍さが、少し嫌になったりもした。
そうしてマリンタワーで過ごしていると、数時間はあっという間に流れた。ここだけでも、ゆっくりいれば一日過ごせてしまうのではないか、と涼は思った。
タワーを出て時計を見ると、夕方の時間になっていた。日もすっかり傾いてきている。夕日が海面を、赤く染めようとしていた。氷川丸の黒や白の船体にも、オレンジ色が反映している。車を湘南へ走らせるうちには、それも沈んでしまうだろう。
清太と駐車場へ向かって歩くうち、二人の提げ持つ紙袋を見ながら涼は、幸せを感じた。今日の逢瀬の、ささやかな証・・・。清太は今も、自分の買ったカーキ色の帽子を被ってくれている。その帽子が、彼が歩く度に上下する。
駐車場へ着いた。昼から日の熱に晒されて、さぞ車内も車体も熱くなっていることだろう。
「熱いかもしれないから、開ける時気を付けて」
涼は車のドアを開けようと手を伸ばした清太に言った。
「あ、うん」
そして二人車内に体を差し入れると、案の定暑かった。これはたまらない、と涼はエンジンをかけてエアコンをつけると、一旦外へ出て冷えるのを待とうと少年に呼びかけた。二人、ドアの横で待ち、数分してからやっと車内のシートに落ち着いた。荷物はトランクへ入れるほどでもないので、全て後ろのシートへと置いた。
シートベルトを締めると、車内なので清太は帽子を取った。乱れた髪を整える。
「次は・・・海岸に行くの?」
彼は涼のほうを向いて聞く。
「うん。ちょっと、渋滞しちゃうかもしれないけど・・・。いいかな? 夕食も・・・」
すると清太はきょとんとする。
「いいよ。だって、最初からそういう約束だったじゃない? ね、おいしいお店ってどこ?」
まだどこか気を使ってしまう自分とは違い、彼は軽い感じでそう言ってくれた。
「134号線沿いなんだ。だから、ほんと渋滞覚悟で行かないといけなくて。帰りの海水浴客とか、他から帰ってくる人たちとか、多いから・・・。初めは1号線から行くけど、そこも混んでるだろうな」
「しょうがないよ。日曜なんだもの。涼、海が見たいんでしょ?」
車は山下町を離れ、まずはもと来た道を辿って電車の線路に沿っている国道16号を走り、桜木町を抜ける。ランドマークタワーや二人では上れなかった観覧車も、夕日を受けて輝いている。
『もし今なら、一緒に乗ってくれるだろうか・・・』
涼は観覧車を窓越しに見ながら、そんなことを思った。
そして左に曲がり、浜松町のあたりで1号線へと入った。
『1時間、いやそれ以上かかっちゃうかも・・・』
すでに多い車の数を見て、涼は溜息をついた。ふと見ると、清太は景色を何気なく見ている。
「何か、音楽かける? 行きに聴いてたやつのでもいい?」
「うん、いいよ」
それで、涼は行きに途中で止めてしまったCDの続きを流した。切ないバラードの音色と歌声が、車内に溢れ出す。
「いい曲だね」
清太は聴きながら言った。口元は微笑んでいる。
「ああ・・・」
涼はしみじみと答えた。同じ曲を朝とは違う気持ちで聴いている、そのことを感じながら・・・。
保土ヶ谷のあたりで、清太はシートに頭を預け、目をしばたたかせるようになった。言葉が少なくなり、うとうととしている。景色もあまり見ていないようだ。
「眠い? 寝ててもいいよ。着いたら起こすから」
寝るのを我慢しているように見えたので、涼は少年に声をかけた。
今日はいろんなことがあった。さすがに彼も疲れたのだろう。
「ん・・・。でも、僕も海が見たいから、海が見えたら起こしてね。あ、シートちょっと倒してもいい?」
「うん。やり方分かる?」
「これかな?」
清太はそうして、シートレバーを動かして楽な姿勢になれるよう倒し、左腕を腕枕にして目を閉じた。少年はすぐに眠りに入ったようで、静かに寝息を立て始めた。
『僕も海が見たいから』――涼はその言葉が、妙に嬉しかった。CDの音量を下げ、自分だけ聴いていたが、やがて全曲が終わって車内は静かになった。少年の寝息だけが聞こえる。
美しいその寝顔を覗き込みたいと思ったが、運転に集中しなければいけないのでなかなか叶わない。信号が赤になった時に、やっと顔を振り向けて眺めてみた。――長いまつ毛の下に瞳は隠され、今日見てきたのとは違う表情がそこにあった。
『いつもは強がったりしているけれど、本当は素直でいい子なんだ・・・』
彼と出逢った当初から、涼にはそんな気がしていた。その自分の予感が間違っていなかったことを、その無垢な寝顔を見ることで確信した。彼の本当の姿は、天使のほうなのだと・・・。なのに何故、もう一つの面を持つのか、それは分からなかったが・・・。
再び車を走らせる。今度は彼の、自分への感情について考えてみる。
彼は笑ってくれるようになった。自分を、許してくれた。だが、愛してくれているのかどうかは、まだ判然としなかった。自信が持てなかった。
彼が――清太が、未だ自分の恋人でないことに変わりはない。人のものだ。
もしかしたら――もしかしたら、自分が彼を愛すれば愛するほど、彼を苦しめることになるのではないか。自分と、光樹という本命の恋人と、二人の男の間で、清太は悩んでいるのではないか。
彼の心を板ばさみにさせているという罪悪感。彼を愛しながら涼は、それを今感じていた。
だが、愛しているのだ。こればかりは、どうしようもない。
Hot Spice
13
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