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清太と待ち合わせたS駅のロータリーに車を停め、涼は窓から差し込む、まだそれほど温度を持っていない夏の日差しを感じていた。彼の乗ったダークブルーのスカイラインも、丸みを持ったフロントのラインに光を受けて、艶を見せている。
清太がまた、自分から離れてしまった。原因は自分にあるのだから、悔やんでも仕方ない。武司の誘いに乗ってしまった自分が、つくづく許せなかった。それで、清太を失いそうになってしまった。
思えば、最初に逢った時も、自分の欲望を止められなかった。いつもいつも、彼と関わる時は後悔ばかりしている。
――泣かせてしまった。もう、悲しませたくない。
涼はハンドルに顔を伏せ、この間の電話のことを思い出した。思い出す度、胸が痛む。かきむしられるような気持ちになる。直接泣き顔を見なかったことが、せめてもの救いだった。いや、その場で慰めることができなかったのだから、救われてはいない。
『でも・・・』
涼はそんな中にも思った。
泣いたということは、少しでも自分のことを好きでいてくれている、ということではないか・・・?
しかし、すぐに打ち消し、頭を振った。
『ばかか俺は・・・。何を都合のいいことを・・・』
家からここへ来るまで、ずっとエアコンをつけていたのだが、やや車内が冷えすぎていた。涼はエンジンを止め、シートベルトを外し、窓を開けた。そこから空を見上げると、青空が広がっている。筆で撫で付けたような雲が、幾筋か流れていく。今日も日差しが強くなりそうだった。
待ち合わせの時間は9時。美術館は10時からで、日曜でもあるし、早目に行かないと駐車場が一杯になってしまうからと、涼のほうから提案した時間だった。渋滞にはまらなければここから30分ほどで、横浜に着く。
今日は清太に、見せたい絵がある。それを二人で見ることによって、少しでも清太の気持ちが変わってくれたら、と涼は願った。
腕時計を見ると、9時10分前だった。1分、また1分と、彼は時の過ぎるのを――清太が現れるのを――待った。――1分前。彼はまだ来ない。9時。車の周りを見回したが、彼らしき人影はまだ涼の視野に入ってこない。
『・・・来て、くれるよな・・・』
不安になった。それからの1分ごとは、とても長く感じられた。ちらちらと、数十秒ごとに時計を見てしまう。景色を見ても、落ち着かない。
益々不安に包まれるうち、ふと武司の顔が浮かんだ。と、彼の心の中に暗雲が立ち込めた。まるで、水面にインクを1滴落とし、それが広がっていくような、そんな猜疑心が生まれた。
『まさか・・・』
涼は正面の計器を見つめた。
『武司は、初めから俺たちがこうなるのが分かってて、俺にけしかけたんじゃないだろうな・・・? いや、まさか、いくらあいつでも、そんなに計算高くはないだろう・・・』
二人の関係を離すために。
そんな悪友の思惑に、はまってしまった・・・?
ハンドルを握り締めながら考えている時にまた時計を見ると、5分経っていた。涼は窓から外を見た。
彼は現れた。
その途端、不安は一時(いっとき)取り除かれた。
遠くからでも、その美しさは一目で分かるほどだった。今日は紺色のTシャツに、白いパンツを穿いていた。栗色のショートヘアも明るい陽光を受け、輝いている。徐々に、彼は近づく。今までは夜の人工的な光の中の彼しか知らなかった。自然な光のもとで彼を見るのは、今日が初めてだ。
『やっぱり可愛いな・・・』
こんな時なのに、思わず涼は心の中で呟いた。初恋の相手に対する時のように、胸の鼓動は高まってしまう。彼を初めて2丁目で見かけた時も、こんな感じだった・・・。
それに、何を着ても似合う。白、赤、そして今日は紺。そのどれもが、美貌と栗色の髪を映えさせている。近づいてきたので見ると、デザインはスポーツブランドのものらしかった。
清太は言われていた車のナンバーを確かめると、前から近づいて助手席の窓越しに中を見た。
「おはよう。乗って」
涼はチェンジレバーを乗り越え、片手で助手席のドアを開けた。
「・・・おはよう」
清太は初めて涼からまともな挨拶を受け戸惑ったが、返した。そして遠慮がちに、車に乗り込む。ドアを閉め、ロックする。
「来てくれたんだね。良かった」
挨拶の時だけは目を合わせてくれたが、その後清太は自分の顔を見てくれず、笑顔も見せてくれない。俯いてただ手持ち無沙汰に、両手の指を組み合わせて動かし、それを見ている。
清太のほうはというと、少し遅れた理由を涼が聞いてくれないので、言うべきか迷っていた。それで、自分から言い出した。
「・・・ごめん。服を選んでたら時間経っちゃって・・・」
ひとまず、素直に謝ることにした。それでも、彼の顔を見ることはできなかった。
涼はそれを聞いて、安心した。来ることを渋っていたのかと思っていたから・・・。それに、今日来てくれなかったら、俺たちは終わりだ・・・と思い始めていたから。
「いいよ。俺もさっき来たばっかりだから」
清太がシートベルトを締めるのを確かめ、自分も締め直した。
「じゃ・・・出すよ。初めに美術館に行くから」
そう言って、エンジンをかけた。エアコンも、再びつけた。涼は車をロータリーから出し、道路へと向かわせた。駅前を抜け、まずは国道16号を目指す。
清太はギアのチェンジレバーやハンドブレーキ、ハンドルを操作するその手つき、目線はまっすぐに前を見ているその横顔に、不覚にも男の色気を感じてしまった。子供の頃から助手席に乗るのが好きで、父親、親戚のおじ、友達の父親――と、大人の男がこうやって運転する姿を、今まで見てきた。そんな大人たちと涼とを、重ね合わせて見ていた。だが、ここまで色気を感じたのは、これが初めてだった。半袖シャツから伸びた腕が、今日は逞しく見えた。清太はそんな自分に、錯覚しているだけだ、と言い聞かせた。
「美術館って・・・どこに行くの?」
ゆっくりと、清太は口を開いた。
「横浜美術館だよ。桜木町の・・・。行ったことある?」
涼はハンドルを構えて前を見ながら、優しく言った。
「ううん。ない。横浜なら、いろいろ家族とか友達と行ったことあるけど・・・」
「県内だもんね。いいな。俺東京だから、海なんてめったに見られないし・・・」
自然な会話が始められて、涼はまたほっとした。できれば彼の笑顔も見たいが、それはまだ許してはもらえなかった。
マンションの立ち並ぶ住宅街を抜け、やがて16号に入った。道幅は一気に広くなった。車線の数も増える。彼らと同じく横浜方面へと向かう車も、徐々に増えていった。それでも、まだ道は混んではいない。
「あの・・・さ。高速乗って行くの?」
清太は今まで横浜に行く時は、いつも電車で向かっていた。だから、車でのルートはあまり知らない。着いてからも歩行者天国が多く、色々細かく街を見て回るなら、そちらのほうが便利だからだ。
「いや。このまま16号で桜木町までまっすぐ行けるから」
「日曜だし、横浜なら、電車のほうが良かったんじゃない?」
「うん。それも思ったけど、帰りは車で海を見ながら、湘南のほうまで行こうかと思ってるんだ」
湘南、と聞いて、清太は光樹のことを思い浮かべた。彼との思い出がある場所を、恋人でもない男と向かわなければならないのか・・・。
清太の顔が曇ったのを見て、涼は焦った。
「あ・・・。嫌かな? 海岸のほう、行くの・・・」
「・・・なんで、そっちまで行きたいの? 横浜の港からも見えるよ、海なら・・・」
「そこに、美味い店があるらしいんだ。だから、君と入ってみたくて・・・。それに、港と海岸じゃ、景色違うから・・・」
わがままだと思われるかな、と内心気まずくなりながらも、涼は答えた。
東京に住んでいるという先ほどの涼の言葉を思い出し、清太は少し彼の希望も叶えてやらなければかわいそうかな、と思った。海がめったに見られないというのなら、仕方がない。
「・・・そう。別に嫌じゃないよ。でも、あんまり帰り遅くならないようにしてね」
「分かった」
「遅くならないように」――この言葉に、二人は夕方以降のことを考えた。
清太は、今日涼はホテルへ行くつもりがあるのだろうか、と思った。「Hだけすればいい」と、この間の電話で自分から言ってしまった。ならば、やはり行かなければならないのだろうか・・・。いや、今日は涼を試そうとデートを承諾したのだ。そういう雰囲気になったら、突き放すべきだ。もっとも、車でそのまま連れて行かれてしまったら、それまでなのだが・・・。
涼は横にいる少年が、何を考えているのかが分かってしまった。ふと見た横顔からでも、視線が泳いでいるのが見て取れる。手指も、乗り込んだ時と同じように、組み合わせて持て余している。彼は気まずくなる時、いつも照れ隠しのようにこうするくせがあった。そんな彼を、やはりまだ高校生なのだな、と可愛く思った。ベッドの上では、これが信じられないほど変身するのだが・・・。
彼のほうでは、今日はとてもそこまでは許してもらえないだろう、と考えていた。今日1日で、彼との仲を修復すること、彼の笑顔を引き出すこと、それがまず第一に涼が願うことだった。
Hot Spice
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