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「ね、今度あれに乗ってもいい?」
晴れた土曜日の午後、光樹の先に駆けていって僕は振り返りながら乗り物を指差した。
「いいよ」
彼は優しい笑顔で答えた。
彼とは1時半に、僕の家の最寄駅であるS駅で待ち合わせた。彼の家も、ここから近い駅にあるのだ。二人で電車に乗り込み、それほど遠くはない遊園地へと僕たちは来た。
昨日の夜、世界史のテスト勉強をしてから僕は、何を着るか悩んでしまった。ベッドの上にいろんなシャツやTシャツ、ジーンズなどを並べて、コーディネートを考えた。まるで女の子みたいだと自分で思いながらも、そうせずにはいられなかった。
今日家を出る時母は、出かけるという僕に案の定驚き「勉強はどうするの?」と聞いてきた。「図書館に行ってやるから」と母に告げ、僕は黒いリュックを背負いながらいそいそとドアを開けて、脚を外に踏み出した。
その乗り物は、床が波みたいにうねっていて、その上を回転しながらマシンが滑ってゆくのだ。光樹も隣のシートに座って、僕と一緒に声を上げて楽しんでくれた。回転する風景を、一緒に眺めた。
「はー。面白かったね。結構スリルあった」
降りてから、光樹は乱れた髪を右手で掻き揚げた。僕も乱れていたので、真似をしてみる。
「ね、次は何にする?」
「うんと、ね・・・」
僕は顔を上げて首を伸ばして見回し、目的のものを探した。行列ができている、遊園地で一番人気がある乗り物――ジェットコースターに僕は向かっていった。自然に、僕は彼の腕を取って引っ張っていた。
「え? これ?」
彼は少し意外だ、という感じの声を出した。
「光樹、嫌なの?」
僕は不安になった。腕はまだ軽く彼の二の腕にかけている。周りに家族連れや男女のカップルがたくさん歩いていたけれど、あまり気にならなかったのは気持ちが解放的になっていたせいかもしれない。
「ううん。俺は好きだよ。でも、君ってああいうの平気なんだって思って」
「え。僕ってそんなにおとなしそうに見える?」
僕は不満げな顔をしてみせた。
「だって・・・可愛いから」
「もうっ、僕だって一応男なんだから・・・っ」
今度は赤くなりながらも膨れっ面をして、彼を強引に行列の最後部まで引っ張っていった。けど列まで来ると、さすがに腕は離した。
15分ほど待つとやっと順番が来て、コースターの前方に彼とまた並んでシートに座った。肩から黒い安全バーをかけると、緊張はいや増す。
「どきどきするね」
言いながらも、光樹の顔はわくわくといったふうだった。
コースターが徐々に動き出し、発着口の建物から出ると、遊園地の風景がぱっと周りに広がった。青い空も・・・。前へと進み、がたがたといいながら坂を上がってゆく。僕は怖さにバーを強く握った。
「怖い?」
光樹がまたからかうような表情をした。
「怖くなんか・・・ないよ」
頂上へと辿り着き、コースターは一気にすごい勢いで下った。僕はそのスピードとGの怖さにたまらず、さっきのマシンの時よりもずっと大きな声を出した。それは光樹も同じだった。山と谷を繰り返す度に、僕たちは騒いだ。他の客も前後で悲鳴を上げている。ループ状の道や平行な道を行く時は、二人風を切る気持ち良さに笑った。こんなに大きな声を張り上げ、思い切り笑ったのは、いつぶりなのだろう。
「ね、次は観覧車に乗りたいな」
誰の目にも触れない、二人だけになれる場所――僕はジェットコースターと同じくらいこれを楽しみにしていた。
「その前にさ、さすがに疲れたから、ちょっと休まない?」
両膝に手を載せて、中腰で彼は言った。肩で息をしている。乗り物は、今ので4つ乗ったところだ。
「僕はまだ平気だけど・・・でも、お腹はすいたかな」
僕より4つ上だからなのかな、おじさんなの、と心の中でおかしくなった。
フードコーナーの、オープンテラスみたいになっている白いテーブルとベンチの一つに二人落ち着いた。
僕はホットドッグと炭酸入りのグレープジュース、光樹は焼きそばとオレンジジュースを頼み、僕は頬張り、彼は箸を進めた。二人の真中には、チキンナゲットがある。
「おやつにしては、ちょっとボリュームあるかな?」
透明なケースに入ったやきそばを食べ終えてナゲットに移った光樹は、ほのかに笑んで言った。二人とも、昼食は先に家で済ませいていた。
「でも僕、食べられそうだよ」
グレープジュースの入ったカップのストローから口を離して、僕は言う。ホットドッグもやがて食べ終わった。
「楽しいね。来てよかった、ほんと」
光樹は頬杖を突き、穏やかな表情で僕の目をまっすぐに見た。
「うん、僕も」
ふと、黄色い風船を持ってそこを駆けてゆく小さな男の子を見た。後ろから、走っちゃいけないと母親に叱られている。なんだか昔の自分を思い出した。
遊園地なんて、何年ぶりだろう。幼稚園の時とか、小さい頃は両親とよく来ていた。大きくなってからは友達もいたけど、男同士で行くのも変だと子供心にも思っていたから、誰かと二人だけでっていうのは、あんまりない。行くとしたら、クラスの子数人で集まって行っていた。
僕は視線を戻した。しかし、彼の顔を見ずに下を向いて口を開いた。
「光樹、今日は・・・夜まで、夕方まででもいいから、一緒にいてくれる?」
最後のほうだけ、顔を上げた。
「いいよ」
彼は変わらぬ優しい笑顔を見せる。
「あの、あの人は・・・真人、さんは・・・?」
僕は遠慮がちに聞く。
「ああ、土曜だけど試験前だから今週は来るなって、きつく言ってあるんだ。だから夜まで大丈夫」
「ほんと? あの、試験って期末テスト? ・・・とは、言わないのかな? 大学は・・・」
”高校生みたいな”台詞だったかな、と僕は言ってから後悔したが、光樹は不審な顔はせずに自然に答える。
「いや、前期末試験とは言うよ。ほんとは復習とかしなきゃいけないんだけど、君と逢いたいからさ、他の日に勉強しようと思ってる」
その言葉に、僕ははにかんだ。
「情報・・・工学だったかな? プログラミングのやり方とか、習ってるんだよね。すごいな。僕、完全に文系だから尊敬しちゃう」
「でも、基本さえ覚えれば面白いものだよ。自分で好きな図形描いたりさ」
「家にもパソコンあるの?」
「いや、一人暮らしだからさすがにそれはね・・・。夏休みにでもバイトして、いつか買いたいとは思ってるけど。学校に自習室があって、そこのパソコンも使ってる」
「ふうん・・・。じゃ、将来はプログラマーとか目指してるの?」
「うん、他にも色々仕事はあるから、今考えてるところなんだ。・・・あ、そうだ」
光樹は何かを思い出したような顔をし、座ったまま体を捻って、椅子の背にかけてあった紺色のリュックを膝の上に置いた。中から取り出したものを、テーブルの上に置く。
「写真。この間持ってくるって約束したから」
「え、サーフィンの?」
言いながら、僕は何枚か並べられたうちの一枚を手に取って見た。
それはサーフボードを砂浜に立てて支え、笑顔で立っている光樹の姿だった。
「わあ・・・ほんとにサーファーなんだ」
僕は感激の声を漏らした。上は袖がなく、下は膝ぐらいまでの一続きになった黒いウェットスーツを、彼は身に着けていた。
「ふふっ、嘘じゃないよ」
彼は僕の言い方がおかしかったのか、笑った。
他の写真は、一人かあるいは仲間と並んで、同じようにボードを持って立っているものが多かったが、2枚ほど波の上を滑っている男の姿を写したものがあった。1枚は小さく、1枚は大きく写っていた。
「友達に、浜から撮ってもらったんだ。こっちは望遠で。結構よく撮れてるだろ?」
「うん」
「それ、俺も気に入ってるんだ。去年の夏に撮ったやつで・・・」
彼はハーフパンツみたいなウェアだけ穿き、逞しい、よく日焼けした上半身を剥き出しにして滑っていた。その瞬間の男らしい、険しい表情・・・。髪は海に濡れている。なんてかっこいいんだろう。体つきは愛原さんよりすごいかもしれない、と僕は思ってしまった。この体に、僕は抱かれたのだ。
数枚の写真を何度も置いては見、置いては見して、うっとりとまたわくわくしている僕を見て、彼は言った。
「よかったら・・・どれかあげるよ?」
「え・・・いいの?」
「うん。もし気に入ってくれたのがあったら」
「ほんとに? ありがとう。えっと・・・」
どれにしようか迷い、最初に手に取った1枚を彼に見せた。
「じゃあ・・・これちょうだい」
さっきの、大きく写ってる波乗りの写真は大事そうだと思ったのでやめておいた。いつか、彼がほんとに滑っているところを生で見たい。
「これね。いいよ」
「ありがとう」
両手で胸元で持ち、すぐに彼と同じく椅子の背にあったリュックを持ち、中からスケジュール帳を取り出して中に挟んだ。かしゃかしゃと、ペンケースに入れたシャーペンがケースにぶつかる音がする。リュックの中には他に、日本史の教科書とノートが入っていた。母に「図書館に行く」なんて言って出てきたから、カモフラージュのために入れてきたのだ。それを、光樹には見られないようにしなければ・・・。
「それと・・・これも」
もうひとつ、彼は10センチ四方くらいの小さな白い紙包みを取り出した。
「はい、開けてみて」
僕に渡す。受け取った僕は言われるまま、不思議そうな顔をして包みを開ける。中から出てきたのは・・・シルバーのイルカがヘッドについたチョーカーだった。イルカは2センチくらいの大きさだ。
「キーホルダーとどっちにしようか迷ったけど、ちょっと子供っぽいかなと思ってこっちにしたんだ」
「くれるの・・・? これも・・・?」
「この間ワックス買いにサーフショップ行ったら見つけてさ、なんか君に似合うかな、って思って」
彼はちょっと照れるような笑顔になった。
「光樹・・・。ほんとにありがとう。可愛い・・・」
僕はヘッドのイルカを眺めやった。きらきらと、日の光に輝いている。
「あの、今着けてもいい?」
「ああ」
僕は自分で首の後ろに手を回して着けようとしたが、金具がなかなかはまらない。思っていると、向かい側にいた光樹が席を立って、僕の後ろに回った。彼の温かい指が、項に触れた。
「できたよ」
「ありがとう。嬉しい・・・。なんか僕今日、光樹に色々してもらってばっかりだね」
席に戻り、僕の首から提げたチョーカーを彼は眺めた。
「似合うよ」
光樹は、目を細めて今日一番優しい顔をした。僕の胸は高鳴った。
眠れる太陽、静かの海
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