12
短いテスト期間が終わり、重く沈む朝が再びやってきた。
テスト後は答え合わせに加えた簡単な授業だけで、夏休みまではあと少しなのだが、僕にとっては長く感じられるだろう。
テスト明けの最初の朝練の日、僕は目覚ましよりも早く起きてしまった。夜も緊張でなかなか寝付けなかった。起きたくない僕はまだ鳴らない目覚まし時計のスイッチを解除し、眠りに入ろうとした。しかし、一度覚めてしまった目と頭は、それを望んではくれなかった。僕はのろのろと起き上がり、身支度をし、朝食をとる。母はキッチンで、ぼーっとしている僕と顔を合わせた時「ちゃんと寝たの? 夜更かしはだめよ」などと、見当違いのことを言っていた。練習着の入ったバッグを抱え、電車に乗り学校へ着くと下駄箱へは向かわず、そのままクラブハウスへ脚を向ける。
「おはよっ」
俯いた僕の肩を、秋川が後ろから軽く叩いて挨拶した。
「おはよう」
笑顔を作る。部活で最初に会ったのが彼で良かった。僕はほっとした。
「今日、早いな」
秋川が言う。
「お前も。どうした?」
「テスト明け最初だからさ、たまには早く起きてみようかと思って。寝るのも早かったんだ」
「ふうん。僕は、なんとなく目が覚めちゃって」
二人校庭を歩いていると、他のサッカー部の生徒はまだまばらにしか見当たらなかった。皆も同じように一つの方向へと向かっている。と、秋川が何かに気付いたように首を伸ばした。
「あ、愛原さん」
「え、もう来てるの?」
この間はかつがれてしまったが、朝練なので今度は彼がいてもおかしくはなかった。でも今日はいつもより時間が早い。
「ほんと、ほらあそこに。何やってるんだろ」
彼があごで指し示す方向を見ると、遠くにある用具庫の前に、マネージャーらしき人と一緒に何かをやっている練習着姿の彼が見えた。
「着替えてから、行ってみようか」
秋川が誘った。「うん」と僕は頷く。
彼らのところに行ってみると、どうやら練習で使うボールに空気入れで空気を入れているようだった。
上田先輩と愛原さんは、ボール籠からボールを全部出してしまって、地面に転がしていた。空気が抜けているかどうか確かめ、それぞれ一つずつの空気入れを使って、1個ずつ処理していた。無事だったものと新たに空気を入れたボールは、再び籠に入れられていく。
「空気入れしてるんですか?」
秋川が上田先輩に聞く。
「うん。今朝来たら抜けてんのが結構あったからさ。そしたらこいつが手伝ってくれて」
すると愛原さんは顔を上げて微笑む。その顔は、立っている僕ら二人に向けられていた。作業している彼らは地面に片膝をついている。
「まだあるみたいですね。俺も手伝います」
マネージャーでない愛原さんが行っているのを見て、秋川が率先して言った。
「ありがとう。でも、道具の手入れは1年がやってもいいのかな」
「だって、始まるまでに終わんなきゃいけないんでしょう?」
「そりゃ、そうだけど・・・」
二人の会話の間気が付いて周りを見ると、気になったのか他の部員も――1年から3年まで、練習着に着替え終わった者は皆集まっていた。みんなも、何かやりたそうな表情をしていた。
「あの、僕たちボールを仕分けます。大丈夫なのと、そうでないのと・・・」
僕は思い切って上田先輩に言った。
「うん・・・。どうしよう?」
彼はそばの愛原さんに目線を送って聞いた。
「うん、そうしてくれるとありがたいな。やってくれる?」
愛原さんは、今度ははっきりと僕に向かって言った。僕は緊張しながらも喜びに胸が熱くなる。
「はい」
元気よく返事をし、僕は地面に転がっているボールを上から押し付けて、具合を確かめた。大丈夫なものは彼らがやってきたように籠に入れ、そうでないものは上田さんか愛原さんに手渡した。「じゃ、俺たちもやるよ」と3年の誰かが言って、秋川や他の部員も仕分けを始めた。
ボールを渡す時、愛原さんはその都度笑顔を投げてくれた。僕は作業の間、ずっと胸を高鳴らせていた。自分が彼と僅かながらも言葉を交わし、彼の役に立っているという、その喜びに・・・。
「よし、これで最後。そっちは?」
周りのボールを全て籠に入れると、愛原さんは立ち上がって両手を払い、上田さん側の首尾を尋ねた。
「うん、こっちも終わり。ありがとうみんな、手伝ってくれて。でも、監督には言わないほうがいいかな」
また、彼は愛原さんの表情を伺う。
「いや、別に悪いことしたわけじゃないし・・・。それより、まだ時間あるから他にできることあったら、俺やるよ」
「うん、でも・・・。やっぱ勝手なことしたら監督怒るかもしれないし、一応俺の仕事だから」
もし監督に知られたら、仕事を他の部員に手伝ってもらったと怒られるのは自分かもしれないと、上田先輩はそう言いたいのだろう。
「そうか・・・。ごめん、でしゃばって。でも、そんなつもりじゃなかったんだ。早く終わったほうがいいと思ったから・・・」
「分かってるよ。ありがとう、愛原」
二人のそんな会話に友情を感じて、僕は温かい気持ちになった。
しばらくして部員が揃い、各自よく弾むようになったボールを持って軽くリフティングしたり、ストレッチを行ったりしていると、沢本が校舎の方向から歩いてくるのが見え、僕は微かに自分の身が竦むのが分かった。でも今日だけは、他の部員もそうだったかもしれない。彼はいつものジャージ姿だ。今日は黒いジャージを着ている。
「みんな揃ってるか。じゃあ、集まれ」
その野太い掛け声で、みんな彼の元に集合した。ボールを持っていた者は籠に戻した。
まずその日のメニューを説明する短いミーティングがあり、いつものようにストレッチ、ランニング、そしてボールを使った練習を行った。今日はテスト明けなので、軽いものだった。ボールの空気入れのことは、途中沢本の口からも部員からも上らなかった。それでみんな安心して、練習に励んだ。
しかし、1時間ばかりの練習後に、沢本は言った。
「今日は潰れたボールがないな。上田、空気入れいつやった?」
部員の手から、ボール籠に次々と戻されるボールを見ていた時のことだ。
「はい、あの、今朝・・・」
上田さんははっきりしない口調で答えた。
「これだけの数、朝早く来てやったのか?」
ボールは40、50個はあった。それがいくつかの籠に入っている。
「はい・・・」
彼は思わず俯いてしまった。
「嘘をつくな。職員室から見えたぞ。他の奴らにもやらせていただろう」
そこで上田さん初め、みんな沈黙して凍りついた。奴は職員室からじっとこちらの様子を見ていて、そ知らぬふりをして練習を指導していたのか。
「あの、それは・・・」
上田さんが返答に困っているところへ、愛原さんが沢本の前に進んできた。
「監督。俺が言ったんです。みんなに手伝ってくれって。上田一人じゃ大変だと思って。だから責任は俺にあります。上田は何も悪くありません」
すると沢本は片眉を上げ、見るからに苦々しげな表情をした。
「愛原に言われたからって、断ればいいだろう」
上田さんに向かって言う。
「監督。俺も言いました、手伝いますって」
秋川が思い切って口を開いた。
「ぼ、僕も・・・言いました」
友人と二人の先輩を助けようと、ただその思いから、僕の喉からも声が出ていた。それを皮切りに、手伝った部員みんなが「俺も」「俺も」と告白し出した。
「そうか。勝手なことをしたもんだな」
沢本は僕の顔を一瞥した後、全員に向かって言った。
「愛原。お前は人の仕事を奪って、いい格好がしたいのか」
「そんなんじゃありません。大変だと思ったからです。うちはマネージャーは一人しかいませんし・・・」
「仕事の分担てものを考えろと言ってるんだ。1年に後片付けをやらせるのも、やるべきことをやるってことを教えたいから続けてるんだ。そうすれば、規律を守ろうって気持ちが自然に育ってくる。マネージャーは道具の手入れをしながら、お前たち部員を支える役目を担ってるんだ。プロリーグだって、マネージャーの仕事を手伝う選手なんていないだろう」
言われてみればそうかもしれないが、まだ僕たちの心にはすっきりとしないものがあった。
「でも、今日の空気入れは練習が始まる前に終わらせなきゃいけなかったし、悪いことではないと思うんですが」
今朝手伝った2年生の一人が言った。
「・・・ふん。なら、今日は特別だぞ。とにかく、こういう場合も勝手にはするな。必ず俺の許可を得てからにしろ。愛原もみんなも、分かったな」
「はい」
部員たちの鈍い声が揃った。愛原さんも返事をした。
「上田も、前日にでも来てボールをチェックすればよかったんだ」
「はい、これから気を付けます・・・」
ことが大きくはならなかったので、部員みんなが心の中で胸をなでおろすのが分かった。
「今日の片付けはまた、1年とマネージャーがやれよ。2、3年は手伝わなくていい」
だが沢本の頑固さが、この一言でまた露呈した。
「でも監督、考えてはおくってこの間言いましたよね?」
愛原さんは静かに反論した。
「今日はだめだ」
沢本はそれだけぴしゃりと言い、それ以上の意見を許さなかった。
眠れる太陽、静かの海
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