ランニング、軽いリフティングなどの練習が一通り済むと、マネージャーと1年生が共に片付けをして、今日の部活は終了した。
ロッカールームに入ると、まだ2、3年生が着替えていた。僕は裸の愛原さんの、高く盛り上がった胸を盗み見た。まだ成長途中の僕より高い・・・。腹筋も、くっきりと6つに分かれている。肩幅が広く、腕も太い。その男らしさに、僕はいつかのように見とれた。
「おう、今終わったのか」
と、僕になのか横の秋川になのか分からなかったが、制服のズボンだけ穿いている愛原さんは声をかけてきた。僕はびっくりした顔を彼に見せてしまった。今までもあまり、口をきいたことがないから・・・。
「あ、はい。マネージャーも今来ます」
秋川が答える。
と言っている間に、後ろから3年生のマネージャーが来た。男子校なので、当然マネージャーも男子だ。マネージャーになる人は、その時点でレギュラーにはなれないことを告げられているのと同じだった。彼は愛原さんなどレギュラー組と、僕らそれ以外のメンバーで練習メニューが分かれる時、1年生の指導をすることも任されていた。まだ夏なのでレギュラーのメンバーは固定されていないが、それでも彼はその中に加えられることはない。この部ではそういうルールになっている。上田という彼のロッカーは愛原さんのそれの近くにあったので、彼に近寄っていった。僕と秋川、他の1年生も、それぞれのロッカーへと向かう。
「しかし、1年だけ片付けなんて、やめればいいのに。俺が1年の時もそうだったけど。俺はそういう体育会系みたいなルール、好きじゃないな」
制服の半袖シャツを着ながら、愛原さんは言った。厚い胸や腹筋は隠される。
「うん、俺もそう思うけど、監督厳しいからな。規律を守ることも試合のために大事だって。従うしかないよ」
上田先輩は愛原さんに同意する。彼と愛原さんは隣同士のクラスで、立場は違うのに普段から仲がいいらしい。
「今度俺、言ってみようかな。2、3年生も一緒にみんなでやればいいって」
「え、監督に?」
「うん」
愛原さんは制服を着終わった。
「監督、聞いてくれるかな?」
「言うだけ言ってみるよ。だって、俺はもっと上下関係なしにやっていきたいんだ」
彼のその言葉に、僕は胸を熱くしていた。彼はちゃんと、僕たち1年のことを考えてくれているんだ。まだ練習着のパンツとストッキング姿で、上半身は裸だった僕は思った。
「相変わらず胸、すごいな」
「え?」
気付くと、秋川は僕の胸を見ていた。僕はいつも愛原さんの胸ばかり見ているので、自分の胸は薄いと思っている。だからこんな、意味が分からない、といった声を出した。
「だってさ、比べてみろよ、俺と。監督あんなこと言ってたけど、胸と腹筋だけはお前のほうができてるよ」
「そうかな? ひょろひょろだよ、僕なんか」
「いいや。これからもっと鍛えたら、愛原さんくらいにはなるんじゃない?」
「え・・・。そんな、無理だよ・・・」
言いつつ、僕は自分の顔が赤くなるのが分かった。僕たちと愛原さんは2列のロッカーの間に背中合わせで立ち、端と端にいた。僕たちは会話が聞こえないように注意していた。まだ他の生徒もいてそれぞれ話をしているから、たぶん聞こえていないだろう。
「じゃさ、体つきの割には力がないってこと?」
「いや別に、そういう意味じゃ・・・。俺はウェイトだけだな、って思ったの。俺ももっと鍛えなきゃ」
「でも、1年の時はあんまりやりすぎないほうがいいんだろ? ほら・・・」
そこで僕は口をつぐんだ。が、秋川は察して代わりに続ける。
「ああ、監督がいつも言ってたっけ。今はまだ骨とか筋肉とか伸びてる途中だから、やりすぎは将来のためによくないって。2、3年生になったら本格的にやってもいいんだよな」
「うん」
沢本はサッカー部の監督なだけでなく保健体育の教師でもあるので、そういう知識は特に深い。サッカー部のミーティングでも、よく筋肉の構造や最適なトレーニング方法について、講義のようなことをする。保健体育科の教師としては、愛原さんたちの学年をずっと受け持っているのだ。あんな動物じみた奴が保健の授業も受け持っているなんて、ぞっとする。子供ができる仕組みを教科書片手に説明する姿なんて、想像したくもない。あんな、神聖なことをこんな奴が・・・。僕たちの学年担当でなくて、本当に良かったと思う。でも愛原さんが1年の時は、それが現実になっていたのだ。
帰り支度が終わった愛原さんは、上田先輩たちとロッカールームを出ようとした。僕たちが入口近くにいたので、通路を作ろうとよけた。
「じゃ、お疲れっ」
彼は僕の横を通り過ぎる時、笑顔で言ってくれた。あの、白い歯を見せて。それは、僕一人だけでなく秋川や他の1、2年生にも向けられたものだった。それでも僕は胸の鼓動を高めた。彼より薄い胸を見られた恥ずかしさと、嬉しさとで・・・。
「お疲れさまです」
僕も含め残っていた1、2年生は、挨拶を返した。
彼らが部屋を出ると僕はタオルで汗を拭き終わり、制服を着ようとロッカーの中にあったシャツを手に取った。
と、外で話し声がする。愛原さんの声も聞こえた。ドアが開き、顔を覗かせたのは――沢本だった。
「まだみんないるか。ビデオを部室に忘れたんでな」
照れ笑いさえ漏らし、奴は着替えている部員の間を縫い、部室へと向かった。すぐに出てこないと思い、開け放たれたドアの隙間から見てみると、モニターのそばに立ってビデオを巻き戻しているところだった。終えたらしく、ビデオテープを取り出し、振り向く。僕は向き直り、見ていなかったかのように構えた。今は周りに秋川や他の部員がいて、僕は守られている。奴は僕に何も手が出せない。沢本は部室のテーブル脇を歩き、ロッカールームに出てくるとドアを閉めた。
「監督、それいつとったんですか?」
着替え終わっていた2年生の一人が尋ねた。
「先月だ。BSでよくやってるだろう」
その生徒のそばで、沢本は答える。
「ええ。俺もよく観ます。夜中にやる時なんか、つい見入っちゃって翌朝辛かったり・・・」
言った後で、2年生はあ、しまったという顔をした。すると沢本はフッ、と笑ってみせる。
「朝練に響かんようにな。そういう時は、お前もビデオにとって後で観るといい」
彼の頭をぽんぽん、と軽くやった。
「はい、今度そうします」
誰かが噴出し、それをきっかけに部屋に部員たちの笑いが起こった。
僕は笑わなかった。横の秋川は笑っていた。そう、沢本はこんなふうに場を和ませるようなことを時々言ったりする。いつもは厳しいのだが・・・。だから父兄だけでなく部員にも信頼され、慕われているのだ。だが僕は今の一連の会話が、気持ち悪くて仕方がなかった。これも偽りにすぎないのだ。自分の本性を、隠すための・・・。こういう時、奴に襲われる前は周りの部員に混じって笑っていた自分が、今になってみると嫌になった。
「じゃ、みんな早目に部室を出ろよ。期末も近いし、寄り道するなよ。後でまた戸締りに来るからな」
「はい」
今度はみんな真面目に返事をする。
僕の横を通り過ぎようとした時、奴は明らかに僕を見た。すでに制服に身を包んでいた自分に、安心していた。奴は僕のそばに秋川がいたことにも気付いていたが、彼がちょっと目を離したすきににやりとしてみせた。僕にだけ分かるように・・・。それはほんの1秒にも満たなかったかもしれない。戦慄している僕をよそに、沢本はビデオテープを持って部屋を出ていった。
眠れる太陽、静かの海
9-2
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