執拗なベルが、清太を悩ませていた。
 あれから、啓二からのベルは如実に増えた。一日中、時間も考えず、学校の授業中でさえも鳴らしてくる。たまらず、清太は授業中は電源を切るようにした。12時から1時までの1時間は、向こうの休憩時間になっているのか、ここぞとばかりに鳴らしてくる。一緒に昼食を取っている秋川ら友人たちに、その度に「誰から?」と聞かれ、返事に窮した。サッカー部の練習中は、ロッカーの中でずっと鳴っていたらしく、練習後に画面を見ると、メッセージが何件も入っていることがあった。

 内容は『何してる?』『今日はだめか?』『明日逢いたい』など、短いものが多かった。
 学校にいる間は、啓二のことは誰にも知られたくないので、校内の公衆電話から啓二に返事をよこすことは元々しなかった。今までは、家に帰ってから電話をかければそれで許してもらえた。しかし今は、かけないでいると『何故返事をよこさない?』『声が聞きたい』『早くお前に触れたい』と、威圧的なメッセージが送られてくるようになった。清太は疎(うと)ましく思うと同時に怖くなり、仕方なく声だけ聞かせることもあった。

 ポケベルの音は、下校時も家に帰ってからも続いた。部活などで疲れているので、着替えたりして落ち着いてからにしよう、と思っていても、部屋に着いた途端に鳴ってきたりする。
 ある日部活で遅くなっての帰宅後、着替えの途中でベルが鳴った。その日は学校からは、啓二に1回も電話をかけなかった。清太は上着をハンガーにかけ、『電話が欲しい』というメッセージを見た後、制服の白いシャツ姿のまま、電話の子機を手に取った。ベッドのへりに腰かけて、一つため息をついてから啓二の携帯番号にかけた。呼び出し音はすぐに切れて、男の嬉しそうな声に変わった。

「清太か?」
「うん、そう」
「あんまり待たせるなよ。何度も鳴らしてるのに、どうしてすぐにかけてくれないんだ?」
「学校だから。あんたのことは誰にも秘密だから。だからかけられないの」
「でも、こっちはまるで無視されてるような気分になるぜ」
 それを聞き、清太は苛ついたように顔を上げ、怒気を含んで言った。
「もう、授業中なんて無理に決まってるでしょう? それに、時々声を聞かせる程度なら、かけてるじゃない」
「休憩時間なら、昼飯が終わった後なら、ゆっくり話せるはずじゃないか。なのにお前は、その時も『後で、後で』としか言ってくれない。つれないじゃないか」
「だから、周りに人がいるから・・・電話順番待ちの人とか後ろにいたりするから、学校じゃ無理なの。分かってよ」
 清太は子機を持っていない左手で、膝を掴んだ。

 啓二は少し間を置いて、答えた。
「そうか・・・。でもつい、手がお前のベル番号を押しちまう。俺は少しでも、お前と一緒にいたいんだ。それができないから、せめて声だけでも聞きたくなる。あの夜から、それが強くなってる」
「あの夜って・・・?」
 半ば分かっていながら、清太はあえて聞いた。
「お前が、素直だった夜だ。激しく、愛し合った。お前も、俺に甘えてきた。引き止めることさえ、お前はしたじゃないか。彼氏に関係なく、お前は俺を受け入れてくれた。俺はそう思った」
「本気でって・・・そう思ったの?」
 清太は子機を握り締めた。
「そうだ。体だけじゃなく・・・な」

「違う。勘違いしないで。僕たちの関係は、前と変わってない。あんたは彼氏じゃない」
「何?」
「とにかく、あんなにベル鳴らすのやめて。しつこいのは嫌い。僕にだって、僕の時間があるんだからね」
「お前、俺が好きじゃないのか?」
 すぐに返答はできない疑問を、啓二はぶつけてきた。
 清太は、よく考えた後(のち)呟いた。
「・・・付き合ってるのは、あんたが、付き合えって言うから・・・」
「嘘だ。最初に、また逢ってもいいと言ったのはお前だ。じゃあ、この間の夜はなんだったんだ? お前、俺を振り回す気か?」
 怒らないまでも、啓二は語気を強めた。
「振り回すなんて・・・。好きとかどうとか、なしにして。抱き合うのは嫌いじゃないって、言ったじゃない。それでもいいって、あんたも言った」

 暗くなった窓外を、清太は見た。立ち上がり、レースカーテンの上に厚手のカーテンを引いた。その布は冷えて感じた。まだ冬には遠いのに・・・。
 今更ながら、清太はあの日、啓二に甘えてしまったことを後悔した。自分が少しでも心を開こうとすれば、啓二の執拗さは増す。そのことを、考えていなかったのだ。あの日は透吾への怒りと恐怖、それに寂しさ、陶酔感から啓二を求めてしまった。こうなったのも、あの男のせいだ。清太はますます、透吾が許せなくなった。

 窓際から離れ、清太はまたベッドに座った。
「あの時は・・・体が求めただけか?」
 啓二は聞いた。
「そう。寂しかったの」
 他に不安から逃れる術はなかった。透吾のことは話せない。しかし甘えられる大人の男は、目の前に啓二しかいなかったのだ。
 自分は啓二を利用したのか? 愛してはいないこの男を、不安を埋めるために。利用――あまり心地良い言葉ではない。認めたくない。だが、そう言われても仕方がない。清太は、罪悪感を感じた。少しは好きだと、言葉にして言うべきだろうか。そう思っていると、啓二の低い声が受話口から聞こえてきた。

「そうか・・・。だがな、俺は信じない。言葉では、なんとでも言えるさ。お前は、彼氏に遠慮してるんだ。お前の目は、ちゃんと俺を見てくれていた。切ない目でな」
「啓二さん・・・」
 その呼びかけが、彼の意見を認めてしまったように、清太には自分で聞こえた。
 続いて思い出したように、最後に聞いた。
「あの、ベルは・・・減らしてくれる?」
「お前がせめて逢った時くらい、素直になってくれるならな。それにこうやって電話をよこしてくれる時、長く話してくれるなら・・・」
「分かったよ。そういえば、まだ逢う日決めてなかったね」
「そうだったな。今週、逢いたいな」

 日にちと時間を決めた後、場所の話になった。
「いつものRでいいか?」
「え、あの・・・」
 Rには透吾が来る。二度と会いたくないと決めている男に、また会ってしまう。
「どうした?」
「あの、いつもあそこだから、たまには別のお店にしない? あの大人っぽいお店とか・・・」
「でもお前、Rは知り合いが多くて落ち着くんだろ? なんといったか、愁とか、アキとか」
「そうだけど、たまには二人で逢いたいの。知ってる人が少ないお店で、話(はなし)したり・・・」
 また啓二を利用するようなことを言ってしまったが、待ち合わせにRを使わないことは、今までもあった。
「そうか。そうだな、たまにはいいな。じゃあ、Bにしようか?」
 深くは追求せず、啓二は承諾してくれた。
「うん、Bだね、分かった」

 電話を切るとようやく私服に着替え、夕食を取った。清太は自室に戻ると、思うところあって、愁に電話をかけた。先にベルで、今かけてもいいかとメッセージを送り、了承を得た。
「清太くん。どうしたの」
 愁は軽い感じで聞いてきた。
「うん、あのね・・・透吾さんのことなんだけど・・・」
 するとひと呼吸、向こうで間が空いた。
「透吾ね・・・。今、けんか中・・・っていうのかな、連絡取ってないんだ」
「けんか・・・? どうして・・・?」
「ん・・・君のこと、どうしても諦めないって言うから、僕呆れちゃって。清太くんには啓二さんがいるからって言うんだけど、いくら言っても聞かないの」
 清太はまた怖くなった。きっぱりと断ったはずなのに。

「そう・・・。それで、愁さんから、僕の行く日を教えるっていう約束は・・・?」
 清太は怖々と聞いた。
「それも、なしになったの。自分でなんとかするみたいに言ってたけど、たぶん無理だよ。あの時店にいた友達も、みんな透吾には君のベルナンバーなんて、教えないと思うし」
 それを聞き、清太の中の不安はいくらか和らいだ。
「じゃあ、絶交しちゃうの? 愁さん、透吾さんと・・・」
 図らずも二人の友情を壊してしまったのでは、と清太は申し訳ない気持ちになった。
「ううん、そんなことないよ。どうしようもないもの、今は。透吾が諦めてくれれば、また元通りになると思うよ。気にさせちゃって、ごめんね」
「いえ、そんな・・・」

「とにかくさ、もうあの輪の中に、透吾が混じるってことはないから、また色々話そうよ。あ、啓二さんと二人だけで逢いたい時は、別に僕に教えなくてもいいけど・・・」
 最後のほうは、愁は冗談混じりに言った。清太も電話の子機を持ちながら、はにかむように少し笑った。
「この次はBってお店で逢うからRには行けないけど、また連絡するね」
「そう、じゃ、啓二さんと仲良くね」
 励ますように、愁は言った。


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