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 かつて見たなまめかしい少年の顔が、そこにあった。
 汗に濡れ、額に貼り付いた前髪、八の字に歪められた細い眉、まつ毛を濡らす汗・・・。柔らかい唇からは、定期的な吐息が漏れる。彼の体は特定のリズムを刻んでいる。
 嬉しさから、透吾は自らが感じているであろう快感を、改めて自分の分身の先に確かめようとした。しかし、それがない。彼の体に触れている実感がない。自分は今、彼の中に入っていない・・・?

 動いているのは、別の男だ。清太は自分でない誰かに感じている。
 ふと気付くと、自分はベッドの外にいて、その上では少年と青年とが抱き合い、蠢いていた。青白い月明かりの中に、その塊は存在していた。少年を抱いているのは、啓二だ。清太を貪るように攻めている。彼の足首を、自分の肩に載せて。

「やめろ!!」
 透吾はたまらず、大声で叫んだ。その声は、現実の自分にも聞こえた。そこは、寝室のベッドの中だった。彼は頭部に枕の柔らかさを感じた。ひどく寝汗をかいていた。カーテン越しに漏れる朝の光の中に、透吾は自分の掌をかざしてみた。その手もしっとりと濡れていた。いつか感じた頭痛が、蘇ってきた。あの、自分に観念を植え付けた夢を見た朝と同じ・・・。

 愛し合ってなどいるはずがない。
 あの時二人は、自分の前でキスをした。まるで自分などいないかのように、何分間も・・・。だがそれは、愛のせいなんかではない。清太はその場をしのぐためにしたのだ。
 あいつらは自分たちの世界に酔っているだけの、形だけの、つまらない関係なのだ。

 透吾はゆっくりと上体を起こし、重い頭を両手で抱えた。
 その二人の、一番見たくない、醜いものを見てしまった。
 はっとした。
 あれが、自分と清太でも、やはり醜いのではないか、外から見たら・・・。
 彼を抱いてはいけないのか。愛がなければ・・・。

 あれから数日経つが、あの街へは一歩も脚を踏み入れていない。
 清太を襲おうとしたその夜、透吾は二人を残して店を出、自宅で酒を浴びるように飲み、深い眠りに落ち、夢さえ見なかった。
 今度こそこれを、失恋と認めるしかないのか。
 清太が頬に残した小さな傷、それが、少年と自分とを繋げる唯一のものだった。それさえ、その夜のうちに消えた。
 清太と啓二、あの二人の間に愛などない。それだけは絶対に認めない。
 だが自分は、彼らの間に入っていくことができなかった。
 道尚の件に続き、二度目の敗北だ。
 そんなに自分は、男として魅力がないのか。

 どうするつもりだ、あんな男と、これから・・・。
 長続きするわけがない。だいたい、清太には本命の彼氏がいるのだ。どうせそのうちばれて、啓二とは別れるに決まっている。

 その日は平日だった。
 そうだ、会社へ行かなければならない。透吾の意識は、暗鬱なものを抱えた内側から、徐々に外へと向かって目覚め始めた。彼はやっとベッドから脚を下ろした。
 それからの透吾は、清太のことは忘れようと、そのために仕事に打ち込んだ。あの街へはやはり脚を向けず、以前は断っていた、上司や同僚からの酒や食事への誘いも、受けるようになった。そのことを、佐藤は一応は喜んだが、不審がりもした。

 二人だけで居酒屋へ入った時、彼は聞いた。
「どうしたんだ? バーへは行かなくなったのか? あの、言ってた彼女は?」
「ああ、実はよく話してみたら、・・・彼がいたらしいんだ。だから・・・」
 透吾は笑顔を作って答えた。
「そうか・・・、残念だったな。でもその彼女、彼がいるのにお前に少しは気があるふりをしてたのか?」
「そう、なるのかな・・・。その子からは、それっぽい話はしなかったんだけど・・・」

「お前から誘ったら、だめって言われたのか?」
 透吾は一瞬呼吸が止まりそうになったが抑え、呼吸を整えた。
「ああ、そんなとこだ」
「そうなのか。まあ、彼氏がいる子はやめといたほうがいいな。しょうがないさ。それでお前はまた、仕事が恋人な男に戻るわけだ」
「悪いか」
 透吾は少年のような笑みで言った。心の中では、清太が可愛らしく笑って透吾に視線を投げかけていた。


 清浄な日々はしばらく続いた。自分が入っている化粧品広告チームの仕事も順調で、いいものができあがりそうだった。恋愛のことは、考えないようにして過ごした。
 だが、やはり少しずつ人恋しさは自然に募ってきた。寂しさを感じてきた。
 誰かを愛したいという感情は人の本能なのだから、避けて通れるものではない。

 そういえば、最近愁から連絡がない。賢一からは時々電話がかかってきて、Rへ来いよと誘いがあるが。透吾はそれを、仕事が忙しいからと言って断っていた。

 分からないのは愁だ。
 いつも本心を隠しているように、言葉を濁していた。
 彼も清太を欲しいのではないかと、愁に言ってしまったことがある。
 だが今冷静になって考えてみると、そうではない。
『もう協力しない』『そんなの恋愛じゃない』――そう言っていた彼の顔は、泣き顔に近くはなかったか。彼の数々の、自分への忠告・・・それはなんのためになされたのか。忠告といえば、彼は清太にも何か言っていた。そうだ、清太が自分に気を向けないよう、仕向けるようなことを・・・。何故だ。

『あいつ、まさか俺のことを・・・』
 自宅で夕食後にソファに腰かけ、一人で赤ワインを飲んでいる時、透吾は思った。
 考えすぎか? いや、しかしそうでなければ、少しくらい応援してくれてもいいはずではないか。むしろ彼は、自分と清太とを、近付けないようにしていた。一度は協力してくれたが、その後は・・・。
 その考えは、形のあるものとなって、透吾の心を覆おうとし始めた。
 それが本当ならば何故、彼はそんな回りくどいことをするのだろう。
   わざわざ自分がみじめになってゆくのを、眺めていたのだろう。
 いつも胸に何かを隠して、自分と接していた。それが、透吾はだんだん許せなくなってきた。
 清太のことはもう諦めたつもりだ。だがまだ、どこかにわだかまりがある。
 それは、愁のことが解決していないからだ。あいつの本当の気持ちを知ることで、俺は清太のことを本当の意味で忘れることができる。

 透吾は立ち上がり、家の電話の受話器を取り上げた。
 まず彼のポケベルを鳴らし、電話をかけると断り、しばらくしてからかけ直した。彼の家族ではなく、本人に出てもらえるよう、透吾はいつもこうしていた。愁は電話の呼び出し音が鳴ると、すぐに出た。

「・・・もしもし」
 力のない、相手の機嫌を伺うような声だった。
「愁か? 俺だ」
「透吾・・・。久しぶりだね」
「そうだな」
「どうしたの? 最近、街に来ないね。Rにも・・・」
「分かってるんじゃないのか? 何も、知らないのか?」
 すると愁は黙った。
「愁?」
「・・・知ってる。清太くんから、聞いた・・・」
 透吾は受話器を握っている右手に力を込め、奥歯を噛み締めた。分かっているくせに、『どうしたの』もないものだ。

「清太から、話したのか?」
「ううん、透吾がRに来なくなったから、どうしたのかと思って、僕あの子に電話したんだ。最初は話したがらなかったけど、僕が無理に聞いちゃって、それで・・・」
 透吾は送話口のそばで唇の片端を上げた。
「滑稽だろう? 俺は、そこまで落ちたんだ。今度こそ振られたさ、最大にみじめな形でな」
「透吾・・・」
 何か慰めの言葉をかけられるような気がして、透吾はそれを制するつもりで切り出した。
「お前、うちに来れないか? 話があるんだ」
「透吾の、家へ・・・? なんで? Rには来ないの?」
「しばらくそっちへは行きたくないんだ。二人だけで話したい。別に今日だとは言ってない。場所は今から教える。どうだ?」
 電話の向こうにいる少年はしばらく考えた後(のち)、答えた。
「分かった。行くから駅、教えて・・・」


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