そこへ、ボーイがグラスに入ったウーロン茶を運んできた。清太の前に置く。
口を開く前に、青年は心を落ち着かせた。
「ここじゃない時も、あるのか?」
「うん。直接・・・」
ここで少年は赤くなり、口をつぐんだ。直接――ホテルか、啓二の部屋か、ということか。どちらにしろ、啓二は時間にルーズなのだ。恋人を――そう呼びたくはないが――待たせてばかりいる。
清太は恥ずかしさを隠すためか、ウーロン茶を一口飲んだ。
ふと周りを見ると、取り巻きの少年たちは集まって、こちらの様子を見ながら、ひそひそ話をしている。自分がどう出るか、気になるのだろう。
「・・・愁に聞いたんだが、まだ高1だって?」
「うん、そう」
「ずいぶん年上と付き合ってるんだな。年上が、好きなのか?」
「好き・・・? ううん、分かんない。でも、今の彼氏も大学生だし、年下っていったら中学生になっちゃうし、どうしても年上になっちゃうんだ」
透吾はグラスに口を付けようとしていたが、すぐに下げた。
「彼氏って? どういうことだ? 君は啓二と付き合ってるんじゃないのか?」
青年にそう言われ、少年は初めて自分の失言に気付いたようだった。相手の前で、身を竦めた。
「あの、啓二、さんは・・・」
次の言葉が見つからず、そのまま口篭もる。
「彼氏じゃないのか?」
透吾は問い詰める。
「・・・答えられません。聞かないで・・・」
清太は苦しげな表情になった。
やはり、自分の思った通りだった。啓二は、清太の恋人ではない。本命の彼氏は別にいるのだ。
『啓二のこと、好きなのか?』
すぐさまそう聞きたかったが、それは抑えた。初対面ではない、ということは彼に伝えたが、まともに話をするのは、今日が初めてなのだ。機嫌を損ねては、誘えなくなる。今は清太の気を少しでも許させることが、肝要だ。
「そうか・・・。いや、まだ逢ったばかりなのに、すまなかった。ただ、気になって・・・。じゃあ、話を変えよう。君の学校の話でも・・・」
「・・・どんな?」
少年は視線を上げた。
「部活、とか・・・」
透吾は相手の目色を伺いながら言った。
「部活なら、サッカー部ですけど・・・」
「サッカー? それなら、俺も高校までやってた。もう、やめてしまったが」
唯一の共通点を見つけて、透吾はまた嬉しくなった。
「ほんと?」
苦しげな表情は和らぎ、少年は青年に聞いた。
「ああ、ディフェンダーだったんだ。君は?」
「僕は、ミッドフィルダー。まだ試合には、出させてもらえないけど・・・。でも中学の時は出てた。
右サイドとかやってたよ」
「へえ。じゃあ、センタリングとか得意?」
「うん、まあ・・・」
「中に切れ込むのは?」
「中学の時少しはできたけど、僕当たりが弱いから、まだ苦手かな。今の高校、付いてくのがやっとって感じで・・・」
「フィジカルを強くしたい、ってところなのか?」
「うん。だから今筋トレがんばってるの」
清太はまたお茶を口に運ぶ。透吾もビールを飲み、喉を潤した。
透吾は夢の中で見た、彼の体を思い返した。あの夢で見た逞しさは、あながち嘘ではないかもしれない。彼の可愛らしい容貌には、似合わないのに。華奢な体のほうが相応しいのに。しかし、どちらでもいい、早く現実に目にしたい。
「そういえば、今日は制服だな。部活の帰りだったのか?」
「うん、待ち合わせに間に合わないかもって思って、家帰らないでそのまま来ちゃった」
「荷物は? 手ぶらなようだが」
透吾は少年の両脇を見やった。そこにはカバンなどがない。
「スポーツバッグとかは、邪魔だから駅のロッカーに預けてきたんだ。時々そうしてるの」
彼ははにかんで肩を竦めた。徐々に、心を開いてきてくれているのだろうか。
「そうか。学校は、東京か?」
シャツとネクタイだけでは、そこまでは分からないので透吾は聞いた。少年の胸ポケットのあたりを見た。名札は、あえて外してあるようだ。ポケットには、生徒手帳らしいものの四角い膨らみがある。
「ううん、神奈川」
「ここから遠いか?」
「ちょっとあるけど、でも、ここって待ち合わせにはちょうどいいでしょう? 同じような人がいっぱいいて、安心できるし」
『同じような人』――同類のことか。
「そうだな。俺も普通の喫茶店とかじゃ、気を使ってしまうな」
透吾は微笑んだ。
「学校は、共学か?」
少年は首を横に振った後、答える。
「男子校だよ」
「ほう」
透吾はひと際目を見開いてみせた。
「それじゃ、大変だろうな、周りがほっとかないだろう」
右手に持ったグラスを、彼のほうへ向けて少し差し出した。
「え、そんなことは・・・あ」
そこで少年は赤くなり、髪を掻き揚げようとしたのだが、自分の腕時計が目に入ったようだ。
「もう7時になっちゃった。ごめんなさい、もうあの人来るから・・・」
『あの人』という響きに、透吾は自分は蚊帳の外と暗に言われているような、胸苦しさを覚えた。
せっかく話が盛り上がってきたところだが、こんな場面を啓二に見られては、彼にとっても自分にとってもまずいので、今日のところは別れるしかないようだ。透吾は席を立った。清太も立つ。
「もっと、君と話したかったな。サッカーの話とか。また、今日みたいに話してくれるか?」
「でも・・・」
彼はすぐには承諾してくれない。
「他の男の子とは、話してるみたいじゃないか。年上の友達じゃ、嫌か?」
「いえ、そんな・・・」
「そうだ」
透吾は思い出したように懐を探り、白く小さなカードを1枚取り出した。清太が見ると、名刺だった。
「これを、とりあえずもらってくれないか。覚えていてほしいんだ」
「え、でも・・・」
まだ彼は困った様子だ。これも啓二への遠慮なのか。それとも、彼氏か。
「愁のベル番号は知ってるか?」
透吾は方向を少し切り換えた。
「え、うん、この間、交換したけど・・・」
危険性のない相手には気を許すのか、と透吾は思ったが、続けた。
「じゃあ、俺にじゃ難しかったら、君がここへ来る時には、愁に教えてほしい。あの子たちの中に、老けたのが一人混じったと思ってくれればいい」
「透吾さん・・・」
困惑の表情の中にも、初めて名前を呼んでくれた少年を前に、透吾は熱くなった。夢とは違い、呼び捨てではなかったが。
「これは、持つだけ持っててくれないか。ほんの挨拶代わりだと思って」
透吾は相手の警戒心を解くよう、微笑んだ。少年の視線は相手の顔を見、名刺の握られた右手に落ち、そしてゆっくりと手を上げ、それを人差し指と親指で挟んだ。青年は手を離す。白いカードは、少年の手へと移った。
7時5分過ぎ、啓二は現れた。今日も彼は遅れた。
その頃には透吾は元の席へと戻り、清太と一緒のところは見られずに済んだ。
*
啓二がシャワーを浴びている間、清太はベッドのへりに座り、透吾にもらった名刺を眺めていた。部屋の電気は点いている。
それには会社名と所属部署、名前、住所と電話番号の他に、携帯電話番号が印刷されていた。ここにかけてほしい、ということか。彼の名字は、片桐。片桐透吾、それが彼のフルネーム・・・。会社名だけでは、何の仕事をしているのか分からない。この間も今日も、スーツは着ていたが。マーケティング部とは、なんだろう? そういえば、彼のことは自分からはあまり聞かなかった。清太は1枚の名刺から、色々なことを考えた。まだ高校生の自分には、あまり見慣れないもの。なんだか、大人の世界を垣間見ているような気持ちになった。
確かに愁のベル番号は知っていて、数回メッセージを送り合った。それは、学校の同級生と送り合うものと変わらない、他愛ないものだった。他にも同年代の、気の合いそうな男の子たち数人とは交換した。彼らは清太にとって、あくまでも友達の範疇だった。それまで同類の友達といえば秋川くらいだったから、清太は少しでもそんな存在が増えることが嬉しかった。だから自分のベル番号を教えた。
だが、透吾という青年は・・・。彼は『年上の友達』と言ったが、気を許していいものだろうか。悪い人間には見えなかったが・・・。自分と啓二のことが、彼は気になっていたようだ。やはり、用心したほうがいいのだろうか。
バスルームのほうで物音がしたので、清太は慌てて名刺を胸ポケットにしまった。生徒手帳の、その後ろに・・・。啓二がシャワーを浴び終え、上がったようだ。清太は座ったまま、少し開いたカーテンの隙間から、窓外の街明かりを眺め、待った。
「何考えてる?」
部屋の明かりが消えたと思うと、バスローブを身にまとい、ベッドに来て乗り上がった啓二が、後ろから抱きしめてきて囁いた。まだ制服を着ている清太の、ネクタイを後ろから丁寧に解き、シャツの襟から外した。
「何も・・・」
振り返らず、清太は答えた。
ネクタイを握った右手を、啓二は少年の右手の甲に載せた。臙脂色の細い布を、その上で数回擦(こす)る。
「本当なら、俺のことだけ考えろ。彼氏のことも、今は忘れるんだ」
青年はボタンを二つほど外し、襟をはだけさせて清太の首筋に頬擦りをした。少年は、濡れている男の髪を冷たく感じた。啓二は顔を動かし、今度は唇で触れた。それは、熱かった。自分を求めている男の、熱・・・。残りのボタンは、二人で外した。啓二が、シャツを肩から外す。吸血鬼のように、少年の首筋と肩に、唇を這わせた。
「啓二さん・・・」
少年は感じ、吐息を漏らす。後ろから両手で裸の胸を撫でられ、理性が溶けていくのを感じた。
肩を掴み、啓二は清太を自分のほうに向かせた。少年は虚ろな瞳で見、頬は朱色に染まりつつある。シャツを肩から外し、胸が覗いたその姿には、誰かに犯された後のような艶っぽさがあった。それが、青年の劣情をそそった。しかし少年のほうは、それが自分では分からない。
啓二はバスローブを脱ぎ捨て、清太を抱きしめた。シャツを完全に体から剥がし、それを床の上の、自分が今脱いだローブの上に重ねて投げた。そして少年の半ば開いた唇に、吸い付いた。
「ん・・・」
侵入してきた啓二の舌を、清太は待ちわびていたように受け入れ、自分も絡ませた。
清太は、彼とキスをするのが好きだった。
彼は恋人ではない。
だが、ひと度唇を奪われると、全てを許す気になってしまう。彼に、どうにでもしてほしいと願う心が生まれてしまう。
いつかは別れてやる、と理性ではいつも思っている。それを、彼に抱かれる時には忘れてしまうのだ。
啓二は、濡れた少年の髪を撫でた。腕枕をしていないほうの手で・・・。
「啓二さん・・・」
掠れた声で、清太は呟いた。
「ん?」
啓二は優しく反応した。
「今日シャワー、浴びさせてくれなかった」
「は、そうだな」
青年は胸に顔を埋めた少年を抱く手に力を込め、さらに抱き寄せた。
「そんな余裕もなかった。今日のお前、なんか色っぽいからな、いつにも増して」
少年は青年の胸の上で、羞恥と戸惑いを抱えながら、眉を歪めた。
「部活があったのに、ばか。入りたい」
すねた声を出した。
「ふふ。じゃ、後で一緒に入ろう。また汗かいちまったからな」
「一緒は嫌」
清太は啓二に背中を向け、窓のほうへ向かった。カーテンは、始める前に見た時と同じくらい開いていたので、清太はどきりとした。しかし開いているといっても数センチでここは地上から高く、外からは見えないだろうが。啓二側にある、ベッドサイドテーブルに載った小さなライトだけが、二人を照らしていた。
「清太・・・」
背中に向かって、啓二が呼びかけた。
「何?」
「誰かに、言い寄られたりしていないか?」
視線だけ動かし、清太は背後を伺った。
「・・・なんで?」
「あの店でいつもお前と待ち合わせてるだろう? もしお前に声をかけるような奴がいたら、と思ってな。あの若い取り巻き連中は別にいいんだが」
「・・・気になるの?」
清太は視線を枕に落とし、シーツを人差し指で円を描くようになぞった。
「ああ。いるのか?」
「ううん。誰も・・・」
清太は目を伏せた。
彼にできた、初めての秘密。まだあまり知らない青年との・・・。