「透吾」
清太たちが店を去り、しばらくすると、自分を呼ぶ声がそばでした。透吾が顔を上げると、愁だった。ジンジャーエールのグラスを持ち、立っている。彼は今まで清太が座っていた向かいの席に座ろうとした。
「そこには座るな」
透吾は低い声で制した。屈みこみ、膝の上で両手を組んでいる。
一瞬動きの止まった愁は、腰を落とす前に脚を一歩奥に進め、透吾の斜め前に立った。
「ここならいい?」
「・・・ああ」
青年はちらと見ただけで答えた。少年はグラスをテーブルに置いてから、やっとソファーに腰かける。
「何しに来た? 見物か?」
愁は肩を一回上げて落とし、ゆっくりと聞いた。
「清太くんに、なんて言ったの?」
「・・・抱かせてほしいと、言っちまった」
透吾は苦虫を噛み潰したような顔をして答えた。右膝の上に載せた手に、力を込める。
愁は驚いた後、何ごとか考えるように片手で口を覆った。
「どうして?」
「ベルナンバーを聞いたら断られて、付き合うなんて無理だって言われた。このままあの子に去られたくないと焦って、思わず口が滑っちまったんだ」
「そうなの・・・」
真剣な表情で、愁は年上の青年の話を聞いていた。
「それで、きっぱり断られたんだね、清太くんに」
「そうだ」
透吾は何かに思い当たったように、顔を上げた。
「お前、清太にまた何か言わなかったか?」
愁は心に浮かんだ動揺を、隠した。
「ううん。何も言ってないよ。みんな清太くんの気持ちでしょ。あの子は啓二さんが好きなんだもの。本命の彼氏だって、いるんだもの。これ以上他の人と付き合うなんて、外から見てても無理だって分かる」
「あの子の態度は、強いものだった。今までは大人しかったのに、なんでここまで拒まれなきゃいけないんだ? 本当に何も入れ知恵をしていないのか?」
「透吾。どこまで大人げないの? 抱かせてくれなんて、言ったからでしょう? 僕だってもし、彼氏じゃない人にいきなりそんなこと言われたら、怒っちゃうよ」
言い返す言葉も見つからず、青年は額に多く落ちていた前髪を右手で掻き揚げた。眉間には、皺さえ寄っている。
「・・・こんなつもりじゃなかった。もっと時間をかけて、あの子を振り向かせるつもりだったんだ。それが・・・」
透吾は水滴がたくさん付いたグラスを眺めた。雫がいくつか固まって重さを持ち、一筋側面を流れた。中に入った氷も、だいぶ溶けてきている。それがジンジャーエールの黄金色の液体と混ざり、うねりを作る。
本当にもう、取り戻せないのか。清太と自分との、関係を・・・。このまま失うしかないのか、彼を。それでは辛すぎる。
少年は少し身を乗り出し、斜め前にいる青年に語りかけた。
「やっぱり無理だったんだよ。そうでしょう? 全ての条件が、思いは叶わないって透吾に告げてる。今はまだ心の整理がつかないかもしれないけど、諦めるしかないよ」
「・・・」
「透吾・・・」
青年は押し黙ったまま、身動きしない。目の前のグラスを見つめ続けている。やがて目を閉じたかと思うと、再び開き、こう言った。
「・・・いいや、諦めない」
青年の堅くなさを知り、少年は驚きを見せた。
「どうして、人の恋人なのに。奪って、なんになるの? 透吾、あの子とどうなりたいの? 恋人にしたいの? それとも、ただ体が欲しいだけ?」
「お前には言わない」
愁はそれを聞き、奥歯を噛み締めた。
「言えないなら、後のほうなんだね。どうして、そんなに清太くんにこだわるの? 好きなら、体ばっかり求めたりしない。透吾だってそんな恋愛、したことあるんでしょ? 僕より大人なんだから・・・」
「ああ、大人さ。そんなことも、過去にはあったさ。だがな、俺はあの子が欲しくてたまらない。今度ばかりは、どうしようもないんだ。本能なんだ」
「じゃあ透吾は、その思いが叶ったら幸せなんだ」
「そうだ。あの子をこの腕に抱けたら、あとは何もいらない」
「そんなの恋愛じゃない」
いつになく表情を歪ませて、愁は言った。
「なんとでも言え。だいたいお前はなんなんだ? 俺に説教ばかり垂れて。ほんとはお前が清太を欲しいんじゃないのか?」
年下の話などこれ以上聞きたくない透吾は、皮肉を込めて言った。夢を見たことなど、彼に話す気はなかった。
最後の言葉は彼の本心ではないと、少年は思いたかった。
「何言ってるの? 僕はただ、透吾に辛い思いさせたくないから・・・。これ以上押しても、透吾が傷を負うだけだよ。透吾は僕の・・・友達だから、それを心配してるの」
「心配か」
青年は鼻で笑った。失恋の痛手が、彼にこんな態度を取らせるのだろうかと愁は思った。彼は正気を保てていないのだと・・・。
「とにかくこれからも、俺はあの子を追う。抱けるまでな」
愁は黙った。彼のグラスも、中の氷が溶け、水滴が周りを覆って曇らせている。店内にずっと流れていた、女性ボーカルの和製R&Bの音楽が、ここで1曲を終えた。次の曲が始まるまでの数秒の沈黙を、彼は聞いた。
「だったらもう、僕は協力しない。あの子から連絡があっても、透吾には教えない。僕になんて、もう頼りたくないでしょう?」
透吾は僅かに表情を変えたが、ソファーの背もたれに寄りかかって、態度を変えないよう努力した。
「なら、俺は毎日でも店に通い続ける。他の奴にあの子のベルナンバーを聞く手だって、あるしな」
「勝手にして」
少年は表情を歪めたまま立ち上がり、友人たちの場所まで戻った。まるで、先ほど清太が去った場面を再現したかのように・・・。
「そうさせてもらうさ」
少年の背中に向かい、透吾は告げた。
二人は互いにその場所で時間を過ごし、異なった時間に店を出て、家に帰った。
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