俺と彼との友情は、本当になくなってしまったのだろうか。
 考え込んでいると、享が意地悪な笑顔を見せて言った。
「それにしてもさ、ひょっとして広瀬今、好きな子がいるとか? すごい感情込めてたじゃん」
「え・・・別に、そういうわけじゃ・・・」
 そこで、言葉を止めてしまった。嘘になってしまうからだ。
 歌は恋の歌だった。「ずっと、二人でいたい、二人でいよう」そんな内容の歌詞だった。俺は無意識のうちにも、主人公の男に現在の自分を重ね合わせて歌っていた。春樹のことを考えていた。それは否めない。
「ああ、分かった分かった。いるんだ、やっぱ」
 享は益々つっついた。隠しても、顔に出てしまっているのだろうか。俺はそのまま反論できなかった。

「声さ、ちょっと練習すればすぐ出るようになるよ、お前なら」
「そうかな?」
「な、これからもこうやって、歌いに来てみない? 最終的な気持ちは、そん中で決めていって・・・ってのはどう? もし今、迷ってるのならさ」
 享は誘う。
「俺も、それがいいと思うよ。広瀬次第だけど」
 中村も賛同した。
「どう? 広瀬」
 享がまた聞く。
 二人に押され、俺は気持ちが揺らいだ。だがまだ決断しかねている。
「・・・毎回、練習来なくちゃだめかな? 体育祭の時まで・・・」
「うん、できればそうしてほしいけど、嫌かな? お前がどうしても都合悪いって時は言ってくれればいいし」
「そう・・・。なら、一応考えとくよ」
「ほんとに? じゃ、これからも待ってるよ。磨けばもっとよくなるはずだから、俺、楽しみ。うわー、どうなっちゃうんだろ?」
 スティックを持ったまま頭の後ろに両手を回して、享は天井を見上げた。

 夕方も遅くなったころ駅で彼らと別れた後、俺はまた一人になった。
 春樹と帰らなくなってから、俺は一人になることが多くなった。享たちと過ごす時以外は・・・。クラスの奴らや彰、勝彦たちが誘ってくる時もたまにあって、そういう時は駅まで一緒に歩くのだが、俺は気持ちのない返事や会話しかできなくなっていた。元気のない俺を、友人たちは不思議に思っていることだろう。
 このまま塞ぎ込み続けるのも、たまらなくなっていた。それに、ずっと練習を見に来ているだけで歌わないのも、享たちに悪い気がした。だから俺は、歌ってみた。歌うことによって、どこか気持ちが軽くなったような気がした。歌った時の気持ちが、まだ澱(おり)のように残っていた。
――春樹・・・。
 まだ完全に吹っ切れたわけではない。だが、今のままではやはりいけないと思う。

 複雑な感情のまま電車に乗り、俺の家の最寄駅で降りて、いつも通りかかる公園にさしかかった。
 ふと顔を上げると、公園の周囲に植えられていたあじさいの、濃い緑色の葉が頬に触れた。葉の端はぎざぎざになっているので、つんとした感触を覚えた。俺は立ち止まった。いつの間にかもう、こんなに育っていたのか・・・。ここのあじさいは、通行の妨げになるというので夏の時期が終わると毎年葉や茎が間引かれ、また夏――梅雨のころになると新しい葉が育ってくる。花はというと、俺の顔に当った一株にはまだ少ししかついていなかった。ほとんど白に近い、青味がかった薄紫色の花が、ぽつんぽつんと咲いている。それは、あじさいといえば思い浮かべるところの、鞠状をしていなかった。真中に蕾(つぼみ)が密集していて、その周りに一つ咲きの花が囲うようにして咲いているのだ。何故、もっとたくさん咲かないのだろう。歩いてみると、そういうあじさいは鞠状のものを挟んで、いくつか置きに咲いていた。

 公園の中へ入って、内側からもあじさいを見てみた。ベンチのあるところまで歩いた。その後ろにも、花の少ない株がある。俺はそれを少し見てから、そこへ腰かけた。
 正面にある大きな時計台を見ると6時前で、まだ遊んでいる小学生の男の子や女の子がいた。砂場や滑り台、ブランコなどの周りで戯れている。さすがにこの時間になると、それより小さい子供はいない。母親に連れられて帰ったのだろうか。薄暮れ時で、すでに闇も近い。
 腰かけながら両手を膝の上で組んで、俺はまた思いに耽った。
――俺たちは、このまま終わるのか?
 そんなのは嫌だ。
 彼との関係を、元に戻したい。明るく笑っていたい。それが友情でも、愛情でも。

 彼が告白できなかったことばかり責めるのは、間違ってはいないだろうか。――俺だって、ずっと自分の中に感情を押し込めて、告白できなかった。そう、2年も・・・。その2年の間の彼の苦しみを、俺は分かろうとしただろうか。
 俺はずっと、逃げていたのではないか。そうだ、俺は逃げてばかりいる。意地を張って、春樹の気持ちを真正面から受け止めようとはしなかった。
 分かり合いたい。もっと、分かり合いたい、彼と・・・。
 もっと自分を曝け出したい。彼を知り、自分も知ってもらいたい。
 俺は彼を愛している。たぶん、きっと・・・。この感情は、少なくとも”友情”じゃない。
 俺がいつまでも子供みたいだから・・・? 進むのが怖くて、大人になりきれなかったから・・・? だから、彼を怒らせてしまったのだろうか。
 俺から、謝るべきなのか・・・?


 家に帰り、夜の11時ごろ、俺は部屋の明かりをまだつけたまま、布団の中で携帯を握り締めていた。毎日こうして、彼からの連絡を待っていたのだ。だが今日は、このまま眠るつもりはなかった。
 体にかかっていた水色の毛布をのけ、親指で、メモリーされている彼の携帯番号を呼び出した。画面に名前と番号が現れると、青い電話のマークボタンを押した。久しぶりに見る、この画面・・・。発信音が数回鳴り、やがて、その音は切られた。相手の声と共に・・・。
「・・・はい」
 電話の向こうにいる相手は分かっている、という感じが、彼の声で聞いて取れた。俺は息を飲んだ。
「・・・春樹?」
 ゆっくりと、怖々と、俺は声を出した。
「ああ。香純・・・」
 その一声に、俺は胸が締め付けられた。前にこの声を電話越しに聞いたのは、いつのことなのだろう。遥か昔だったような気さえした。思わず込み上げる熱いものを、抑えた。彼に、ちゃんと目的を告げなければならない。

「俺・・・俺、やっぱりちゃんとお前と話をしなくちゃと思って・・・。このままじゃいけないって・・・。・・・ごめん、春樹。俺だって悪かったのに、謝れなかった」
 言葉は、迸るように出た。今まで抑えてきたものが、一気に溢れ出すように・・・。
「香純・・・。謝らなくていい。悪いのは俺なんだ。あの時、お前に言い過ぎた。やっぱりお前のことは、もっと見守るべきだったんだ。なのに俺、焦って・・・。ずっと、謝りたかった。でも、勇気がなくて、電話もかけられなかった。香純、ごめん・・・」
 彼は素直にそう言った。苦しそうにしながら・・・。
「違う。俺が・・・」
 そこで俺はまた息を飲み込んだ。
「・・・春樹。明日、逢えないかな? 電話じゃなくて、ちゃんと直接話をしたいんだ。逢って・・・くれるかな?」
「ああ。当たり前だ。・・・俺も逢いたい」
 最後の一言の前に息を大きく吸って、彼は特に感情を込めて言った。
「じゃあ・・・。明日、帰りに校門で待ってるから・・・」
「分かった。きっと行くよ」
 それだけ聞くと、俺は彼が先に切るのを待ってから、通話を切るボタンを押した。
――その夜俺は、その深い眠りを懐かしく感じた。


 翌日の朝の目覚めも、どこかすっきりとしたものだった。今までのような重苦しさはない。
 そして、下校時間になった。
 今日も練習があるという享たちに、まずは断らなくてはいけない。俺は享のクラスへ行き、出てくる生徒の一人に声をかけて、呼び出してもらった。
「よっ。今日も来るだろ? 今日は部室だよ」
 彼は期待を込め、いつもの調子で明るく言う。
「それが、今日はちょっとだめなんだ。友達と待ち合わせてて」
「そう。・・・それって、緒川?」
 俺はどきりとした。何故、彼に分かってしまったのだろう。
「そ、そうだけど・・・」
 怪しまれるのが怖くて、俺はそう言った。

「そっか。実は最近お前ら一緒にいないから、どうしたのかなってずっと思ってたんだ。あ、俺が練習に誘っちゃってたってのもあるけど」
 享は肩をそびやかした。
「享・・・」
「だって、お前ら1年の時からいつも一緒にいるからさ。けんかでもしてたとか?」
「うん・・・。そ、んなところ・・・」
 俺は手を上げて、髪を整えた。
「じゃ、仲直りしたんだ」
「それは・・・」
 これから話し合うんだ、とは、抵抗があって言えなかった。そこまで言ったら、俺と春樹との関係が分かってしまうかもしれないから・・・。
 それにしても、彼が俺たちのことを心配してくれていたなんて・・・。そこまで彼は、俺のことを友達だと思ってくれていたのか。なんだか、申し訳ないような気がした。俺の中では、まだどこか遠慮していた部分があったから・・・。
「あ、ごめん。立ち入り過ぎかな?」
「いや、そんなことないよ。ありがとう、享」
「それじゃ、また今度な」
「うん」
 そんな会話を交わして、俺は彼と別れた。


梅雨の星